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アーチ橋にみる日本と西洋の違い...違うことを大切に

石積みあるいはレンガ積みアーチ橋の図をインターネットで見ると、2種類の作り方があることが分かる。石またはレンガの長手方向がアーチの断面に垂直な場合と、長手方向がアーチの曲線に沿う方向になっている場合である。前者が本来のアーチで橋に掛かる荷重がアーチの曲線方向に発生する圧縮応力で支えられるものである。石やレンガは圧縮応力には強いが引張り応力には弱いので、アーチというのは極めて理に適った使い方である。

建物の柱は重さを支える役割であるから、石やレンガを柱に使うのは当然であるが、柱と柱の間の重みを支えるのには工夫が要る。柱と柱の間を棒状の構造で支えようとすると、引き張りに弱い 石やレンガの棒では役に立たない。そこで生まれたのがアーチという構造である。西欧には築数百年の石作りの大聖堂があるが、みな天井が丸くなっているのはこのためである。

後者の石やレンガの長手方向がアーチの曲線に沿うのは、力学的にはまったく異なる原理に基づくものといって良い。アーチ風構造とも呼ぶべもので、根本に大きな力が掛かる両端固定梁において根本が壊れないようにするために、根本を太くしていると考えられよう。

日本は良質の木材に恵まれてきたので、橋は木材で作られてきた。木材は圧縮ばかりでなく引き張りにも強い。日本古来の木造建物で天井が丸くなっているものはほとんどない。日本の太鼓橋の構造を見ると見掛けはアーチであるが、アーチ構造ではなくてアーチ風構造である。

日本にも純西洋風のアーチ橋もある。例えば長崎のメガネ橋である。アーチ風の橋としては山口の錦帯橋である。メガネ橋は人が歩く所が平らであるのに対して、錦帯橋ではアーチ形状そのものの上の所、すなわち丸い曲面の上を人が歩く。随分と大きな違いである。

機能的には、平らな所を歩く方が便利であることは間違いないが、丸い所を歩くのも悪くない、風情がある。なんとなく、橋と人間に一体感、情緒がある。平らな所を歩くのは、人間を中心に置く考えのように思える。機能を重視して人間を中心に据えるのが良いのか、情緒を重んじて物や自然との一体感を重んずるかであるが、東洋人としては後者に魅力を感ずる。

昨今、世の中は機能重視、効率重視の考え方が日に日に強まっている。それで万事上手く行けば、文句を言う筋合いはないが、機能重視、効率重視が強まるほど、世の中は潤いが消えて、ギスギスした殺伐なものになりつつある気がする。日本人が古来持ってきたものがどんどん無くなりつつある気がする。

われわれのような年配者の若い頃には、日本的なものがいろいろ残っていた。子供のときには、パジャマではなくて寝巻きを着ていた。靴ばかりでなくて、下駄を履くことも多かった。食事も肉よりも魚を食べることが多かった。今の若い人が生まれた頃には生活の欧米化が進んで、魚よりも肉を食べることの方が多くなっていたと思う。

日本古来のものが、身の周りから完全に無くなってしまう前に、残す努力をすべきと思う。そのことによって、日本人はもっと心豊かに成れるのではないか。


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