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孤独に生きて、地獄に落ちる

相手が何を考えているかがわからない。何を望んでいるのかがわからない。ずっとわからないままで不惑になった。惑わないようにはなったが、わかることはできないままだ。他者のことが理解できないようにできているのか、理解しようとする意図がないのか。

僕は後者だろう。「あなたは本質的には他人に興味がない。自分への興味が強すぎる。」と言われたことがある。「確かにそうだな」と思った。「そうかもしれない」と思いたかった。

望むものをあげられたなら

他者を真に知ろうとしないから、望んでいるものを与えることができない。求められていることに気付けない。だから、自分がよいと思うことしかできない。

他者が理解できない僕は欲しいものをあげることはできない。想像力を働かせて、これならいいんじゃないかと自分が思ったものを贈ることしかできない。

喜んでもらえるかはわからない。趣味じゃないかもしれない。喜んでくれたけど、実はそこまで欲しい物じゃなかったんじゃないか。場をやり過ごすための対応として、喜んだ振りをしただけなんじゃないか。

君が「本当」に喜んでくれたのかを知りたい。僕の頼りない想像力で君の心を掬い取ることができたのか、気遣いを纏った言葉や振る舞いを引き裂いて、その奥にある「本当」に触れることができたのかを知りたい。でも、どんなに願っても、知ることはできないし、触れることはできない。

学ぶことで、他者と関わることで、想像力を磨くことはできる。しかし、理解に到達することはない。理解と想像の差分から不安が生まれる、その構造を変えることはできない。

望むものを与えることができたなら。理解を想像で代用する僕は、不安なくなく花束を渡せる世界に憧れていた。

届けること、受け取ること

生きていると予期せぬことが起きる。

その日は居酒屋で遅くまで飲んで、家に帰るために駅まで二人で歩いた。そのときの些細なやりとりが、ずっと胸に残っている。それは決して劇的なものではなかった。映画だとしたら見過ごされてしまうだろう、凡庸でささやかな出来事。

その夜、僕が受け取ったものを何と呼べばいいのだろう。名前のつけられないもの、名前をつけたくないものを、その人は届けてくれた。標識を無視して、しがらみをぶった切って、境界線を踏み越えて。

心は、不思議と震えなかった。身体で受け取めたのだと思う。じんわりとしたあたたかさが指先に広がっていくのを感じた。静かで満ち足りた感覚。心が満たされるとは、身体に行き渡ることだった。

その夜まで、僕は知らなかった。届けてくれる人がいて、受け取った僕がいる。その事実こそが全てだということ。

僕が受け取ったときに、その人が「本当に」何を思っていたかはわからない。でも、「本当」が何かを知ることは重要じゃない。何を思っているかはそもそも関係がないのだ。理解に憧れることも、想像で補うこともしなくていい。感じる心もいらない。届ける。受け取る。その行為が心そのものだ。心は、人と人の間にあるものなのだから。

理解と想像が及ばない相手に対して手を伸ばすのと同じように、差し出された手を握り返すのは難しい。人と人の間には暗闇が常在している。不安が境界を作っている。光は見えず、あたたかさは届かない。その空間に手を入れなければいけない。お互いが手を握り合えることを信じなければいけない。

受け取ったあたたかさは身体の中に溶けてしまった。感覚は消え、残骸としての言葉が手元に残っているだけだ。書き記してみても、もう全くの別物になってしまった。

孤独と地獄

自分のことを真っ当な人間だと思えない。社会の規範に従って生きようと全く思っていないし、嗜好性と倫理観もなかなかに歪んでいる。狭量で選べないものが多すぎる。その割に、どうでもいいと思っているものも多い。統制が取れていなくて、バランスが悪い。それでも生きづらいと思ったことはない。何かが欠落しているか、何かが過剰なのか、あるいは両方なのだろう。そもそも生きやすさや生きづらさに興味がない。どっちでもいい。どっちでも変わらない。

孤独に生きるんだろうなと思う。そして、死んだら地獄に落ちるんだろうなとも思う。一つの物理現象のようだ。リンゴは木から落ちる。月は満ち欠け、季節は巡る。僕は孤独に生きて、地獄に落ちる。

悲しさやさみしさはない。風向き一つで変わる人生に対する評価に意味はない。敢えて言うのであれば、今のところ生きていてそれなりに楽しいと感じている。不満はあるが許せる範囲に収まっている(ぎりぎりだが)。

こんな自分に手を差し伸ばしてくれる人がいることは一つの奇跡だ。「砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しているからだよ」という言葉の意味がわかったような気がする。

それは、孤独で地獄に行くだろう僕の差し伸ばす手が、誰かをあたためることがありえるということだ。可能性があるということ。希望は消えないということ。届けるのは祈りであり、受け取るのは希望だということ。それらがこの世界の美しさの根源なのだということ。

生きていれば、世界の美しさが損なわれることはない。生きていれば、僕はあなたにたどり着くことができる。

次の届けると受け取るに出会うまで生きていこう。地獄に行くにはまだ少し早い。

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