見出し画像

何がこんなに許せなかろう

 ほうじ茶、お前のことだ。聞いているか?

 狭量かもしれんが、コレだけは言わせてほしい。ほうじ茶よ。お前のことがまだ許せていないんだ。私は。

 サーティーワンアイスがムチャクチャ好きで、月に2回くらいは食べに行っている。アイスマイルゴールド会員なので、少なくともこの1年で1万円以上をサーティーワンに貢いでいる。サーティーワンのアプリっちゅうのはかなり気がきくので、新しいフレーバーが発売になると毎月携帯に通知が届くようになっていて、私はそれを確認しては気になる味とお馴染みの味を2段重ねにして食べていた。

 8月が半ばに差し掛かった頃、9月の新作の情報が届いた。

画像1

 コイツが登場するらしい。

 いやお前お前お前、お前お前お前お前。ほうじ茶スイーツの存在自体は前々から知っていたが、ついにコイツのことが本格的に許せなくなってきた。今まで見ないようにしてきたのに、ついに、こいつ、ズカズカとバスキンロビンスの敷居まで、ああ、ああ……。

 想像してみて欲しい。

 小学校の頃にすごく仲良くしてた女の子がいるとするじゃないですか。気取ったところのなくて、素朴でふんわりとした雰囲気の可愛い子がいたとするじゃないですか。少し浮世離れしたところがあって一部の層からはちょっと避けられてるんですけど、自分からしたらその子といる時に発生するカルチャーショックがむしろ面白いと思っているような、そんな感じの子です。

 彼女は中学校から私立の学校に行くようになって、結局小学校の卒業式を境に会えなくなっちゃうんですよ。「手紙書くね」なんてやりとりをしたものの、お互い別の居場所を見つけてしまって結局そのやり取りも中1の夏には終わってしまって。

 でもたまに駅前とかにいるそうなんです。自分が直接見たわけではないんですよ。飽くまで人伝に聞いただけなんです。彼女は私立の女子校の制服を着てる。紺色のお上品なジャンパースカートに茶色の皮鞄を提げて、「定期」というのを使って電車で学校へ行くそうなんです。彼女が自分と同じく中学生として生きているのは知っているはずなのに、なんとなく実感が湧かないままで。自分は最後に見た格好のまま、白いボレロにピンクのブローチをつけた姿のままで彼女を認識し続けているんです。

 あっという間に自分は20歳になっていて、市の成人式への招待状が届いて、真っ当に出るんですよ、中学時代の同級生に再会できるのも楽しみだし、もしかしたら「あの子」も来るかもしれない、そう思ったんです。楽しかったかといえば、かなり楽しかった。久しぶりに会った友人たちとも話は弾みましたし。

 「あの子」も来ていました。後悔しました。会わなきゃよかったのかもしれません。久々に会った彼女は何だか随分と垢抜けていました。目頭がやけに長くって、一瞬誰だか分からないほどでした。古典柄の真っ赤な振袖に、ピンク色したエルメスのバーキンを提げていました。自分のお金で買ったものではないことはどことなく自明でした。彼女は私を見つけるなり、ぱあっと笑ってこっちに駆けてくるのです。名前を呼ぶその声だけが昔と変わらないままでした。

 彼女とは少しだけ世間話をしました。「彼氏いる?」と尋ねられて「居ないよ」と答えると「いい人教えてあげよっか」だの「若いうちに遊んでおかないと」だのと言われたような気がします。何だかそれに少々むかっ腹が立って、ちくりと刺すつもりで「その鞄、すごいね。バーキンでしょ。」と、私は彼女に言います。彼女はこう返しました。「これね、一緒に御飯とか行く人に買ってもらったの。」「あなたも始めてみれば?一緒にご飯食べるだけでいいんだよ。」至極無邪気な発言でした。お使いのお駄賃で100円をもらうことと、そういう行為との間には何の違いもないというふうでした。その瞬間、私は彼女のことが決定的に「苦手」になりました。わなわなと震え出した唇は、1月の寒さのせいだったとしましょう。

 私は何となく憤りました。もちろん勝手に彼女を純朴な小学生のままに時間を止めていたのは私です。勝手に決めつけて勝手に憤っている。何とも勝手です。彼女がどんな目的を持って、どんな相手と交友しようが。どうやってお金を得て、どんなふうに使おうが。そんなものは個人の自由であり、他人、ましてや10年近く会っていなかった他人に口出しをされるべきものではありません。彼女は全く悪くなんてない。

 そう思えば思うほど、今度は彼女の周囲にいた人間に憤ることになってしまう。そんな子じゃなかったのにお前らが彼女をそうしたんだろ、と。寂しい思いをしてたんじゃないのか、悪い大人もいることを誰か教えてあげられなかったのか。彼女の純朴さに付け入ろうとした人物がいたであろうという事に無責任に憤るしかないわけです。憤怒や憎悪は深まれば深まるほど矛先がめちゃくちゃになるもの、ついには結局彼女自体のことも許せなくなってゆく自分がいる。

 私はあの頃のほうじ茶が好きだった。ボコボコの大きいヤカンに入っていて、地域の児童会で出てくるような。緑茶ほどお高く止まってなく、麦茶ほど庶民的でなく、その地位から決してブレないあなたが好きだった。ほうじ茶が市民権を得るとしたって、「ラテ」「ブリュレ」「アイス」こんな手を使って欲しくなかった。純粋に美味しいお茶のひとつとして成長していってほしかった。誰よ最初にラテにしてスイーツ路線でいこうとした奴。許せない、許せない……。ほうじ茶も、その周りにいた奴も全員許せない……。


 こんな具合のデカめの感情をほうじ茶に対して抱いている。京都に遊びに行く機会が多くて、いわゆる和スイーツを見かけることが多いのだが、最近は抹茶スイーツと並んでメジャーな味付けに位置しているし、もうダメかもしれない。最近ほうじ茶スイーツを見かけるたびに強めの歯軋りをしたくなるくらいに憎い。皆さんは私のことなんかどうか無視してほうじ茶スイーツを食べて。私はイチゴ味のやつ食べるので。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?