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N.と断末魔が香っている

 ああもったいない、もったいない。細胞がもったいない。美容室に向かいながらそんなことを思っていた。

 今日は何だか毛にゆかりのある日であった。午後には学校に行く用事があったから、午前中に今日の用事を済ましてしまうことにした。具体的に何をしたのかというと、髪を切りに行き、剃刀の替え刃を買いに行った。

 勝手に伸びる毛というものはどうも細胞の無駄遣いだと思えてならない。髪が勝手に伸びなければプリンを気にする必要もないし、月に1回前切った時と同じスタイルに整え直す必要もない。そりゃ伸ばしたい時は伸びてくれていいんだが、こっちの意見も少し聞いてくれよ、と思う。お前が勝手に伸びるせいでこっちは毎月6000円の出費を強いられている。

 また腕やら脚やらに生えてくるムダ毛というのも実に無駄である。名前にムダとついているくらいだ。無駄無駄言われまくってるのに全然動じず生えてくる。空条承太郎なのか?3日に1回は剃刀で根絶やしにしてやっているのだが、全然へこたれやしない。宿主にもそのど根性を分けてくれよ。とにかくこんな不要な毛に細胞やらDNAやらを消費しているのだと思うと人体の非合理さに泣けてくる。あんまりに人員の配置が下手だ。そんなもんじゃなくてもっとヘモグロビンとかを作って欲しい。貧血でつらいのだ。

 美容室の予約は朝一番の9時だった。今回はカットだけお願いしたので、1時間足らずで終わった。ちょうど帰り道にあるドラッグストアも開く頃だろうと思い、寄る事にした。早く『ストレンジャー・シングス』の続きが見たかった私はムダ毛処理用品のコーナーに直行する。いつも使ってたのはどれだっけと目をウロウロさせていると、あるものが目についた。

 真っ白なタイツを履いたバレリーナの写真、つまりは除毛クリームであった。普段私は剃刀処置のことが多いのだが、最近乾燥のせいかどうも埋没毛が目立つ。炎症なんかは起きていないからあまり問題視はしていなかったものの、自分で見ていてどうも釈然としない。脱毛クリームならそうはならないと聞いた。幸い金銭にはそこそこ余裕があったから物は試しだと思い、いつもの剃刀の替え刃に加えて初めて除毛クリームを購入した。

 先ほど使ってきた。感想はひとことで言えば「ざまあみろ!!」である。剃りづらかった部分だったり普段だと毛穴の跡が残るような部分も随分綺麗になった。今度からも愛用しようかしらと思う。ただ除毛クリーム独特のあの匂いにはまだ慣れが必要かもしれない。あれはきっと毛のタンパク質にダメージが入っている匂いである。何だかわかる。

 だってあの匂いは美容室で嗅いだ。今朝嗅いだ。だから間違いない。ブリーチと同じ匂いがするのだ。今朝新人のお姉さんが練習していたあのマネキンと同じ匂い。ツンとして焦げるようなあの匂い。理科室で嗅いだことがあるような、ないような独特の匂い。

 まだ洗っていない頭から、髪を切った後につけてもらったN.のポリッシュオイルの匂いがした。柑橘系で好き嫌いのない爽やかな香り。丁重にケアされている毛の匂いだ。一方四肢から香るのはタンパク質の融け焦げる異臭。嗅覚に訴えてくる断末魔であった。同じ人間に生えたというのにこの違いはいったい何なんだ。浴室に充満する湿気とむせかえる匂い、格差。もったいない、ああ勿体無い。こんなところの細胞に生まれなければよかったのにね、おまえも。そんなことを思いながら毛の浮いたクリームを皮膚からこそぎ落とすのはたいそう気持ちがよかった。

 


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