第9話 二つのメガEPA発効に際して思うこと - 自己申告制度の導入と大幅に緩和された積送基準
(2019年3月5日、第28話として公開。2021年12月9日、note に再掲。)
2019年の仕事始め、TPP11が発効して1週間も経っていない頃ですが、ジェトロ・メキシコ発の「TPP11の活用で税関手数料(DTA)を軽減」と題した記事(1月4日付)が掲載されておりました。この記事を書かれたのは中畑さんという方です。一昨年、中畑さんが東京で勤務されていた折、当方も一度、勉強会でご一緒させていただいたことがありました。NAFTAの原産地規則に係る分析を発表されましたが、大変な知見をお持ちでした。今回の記事の内容も中畑さんならではのもので、特恵原産地の常識を覆す内容でした。その内容を簡単に要約すると、
メキシコへの輸入において、MFN無税の品目をあえてTPP11で特恵無税として通関すると、TPP11の果実として税関手数料(DTA)の支払額が軽減され、さらに、付加価値税(IVA)賦課の母数となる価額(CIF価格+税関手数料)の軽減にもなり、支払うべき付加価値税の節税にもなりうる。この付加価値税は最終的には還付請求できるが、それまでのキャッシュフロー負担が生じる。
というものです。
特恵関税の利用方法として教科書的な文献に一律に書かれていることとして、まず特恵関税の適用が可能か否かの品目カバレッジのチェック作業に入り、その後、MFN税率と特恵税率とのマージンを計算し、そのマージンが原産地証明等の発給に要するコストを下回るのであれば特恵制度の利用は断念すべきであるとしています。EPA原産地規則の説明会における当方の説明振りも、
MFN無税の品目に特恵税率が無税で設定されていたとしても実際には無意味であって、MFN無税で通関される。何故ならば、そのような品目にわざわざ原産地証明のコストをかけてまで特恵関税無税で通関することは、輸入者の不注意が原因でない限りあり得ない。
というトーンで行ってきました。
これは、原産地規則というよりは、マーケット・アクセスの観点からの問題提起になります。もちろん、特恵マージンがゼロでありますから、上記の事例では、税関手数料の減額分及び付加価値税の還付までのキャッシュフローに生じる余裕分と、原産地証明に係るコストとの比較の結果、前者が後者に勝る場合に限られます。メガEPAは、これまで二国間EPAでは超えられなかった壁を楽々と乗り越え、貿易に係る国境が益々低くなっていきます。メキシコ以外においても、このような事例はあるのでしょうが、筆者も原産地オタクを名乗っている故もあり、あまりマーケット・アクセスを総ざらいするほどの元気もありません。本欄ではこれまで3回にわたって自由化の流れに逆行するUSMCAを取り上げてきたところなので、一層、TPP11と日EU・EPAに期待が寄せられることになります。そこで、原産地オタクの本拠地に戻って、メガ協定原産地規則の大きなメリットである積送基準の緩和と完全自己申告制度の導入についてお話したいと思います。
まずは、積送基準の緩和から話を進めます。これまで、古典的なGSP原産地規則では「鉄則」であった「直送条件」が第三国での積替え、仕分けを認める「積送要件」に進化し、メガEPAではTPP11第3.18条(通過及び積替え)、日EU第3.10条(変更の禁止)と規定の名称の変更を伴った上で内容が大幅に緩和されています。この緩和策が自己申告制度の採用との相乗効果となって、第三国の税関監督下での長期蔵置を可能にし、そこからのEPA輸出をも可能にしました。これは、GSPから始まる古典的な「直送条件」の下では考えられなかったことです。このような状況になれば、企業の生産活動も2つのメガ協定の原産地規則を同時に満たすように部材の調達先が変更されるかもしれません。すなわち、双方の原産地規則で必ず原産品となり得る我が国の国産材料の使用の増加です。それほど単純な話ではないかもしれませんが、二つのメガ協定の発効は、これまでTPP11加盟国以外の途上国に生産拠点を置いていた我が国製造業が生産拠点の移転を、特に我が国へのUターンを考えるよいきっかけとなるのではないでしょうか。バリュー・チェーンの動きはいったん流れができると、その後は更に加速されることが予想されます。
次は、自己申告制度への橋渡し効果です。我が国がEPA原産地規則手続における自己申告制度の導入へと舵を切ったのも、直接的なきっかけとなったのはTPP交渉への参加の準備のためであったといえましょう。しかしながら、時代とともに流れていた底流は確かに感じられました。これも以前本欄で書いた内容(現在、モノローグ「体験を綴る」第6話:「ある途上国の原産地証明書発給事務所で見たこと」、2017年11月2日、第13話として公開)ですが、我が国のEPAのパートナーはこれまで圧倒的に途上国が多く、これらの途上国では我が国のみならず他国ともFTA網を拡げてきていたところです。筆者が個人的にお話しさせていただいた途上国の原産地規則担当者達についても、参照すべきFTA協定が五つか六つであれば、多少異なる原産地規則であってもよくポイントを記憶し、こちらが驚くような対応振りを見せていました。しかしながら、さすがに10を超えるFTA協定でそれぞれ微妙に異なる原産地規則が定められている状況になりますと、すべてを完全に頭に入れてはおけません。発給当局の地方の末端職員になりますと、規則の差異を必ずしも咀嚼できておらず、結果として、我が国に対して正規の原産地証明書が異なる理解の下で発給されていたという事態を生むにいたっております。
単にメガ協定に参加することだけが自己申告制度を採用するに至った理由ではありません。筆者の個人的意見ではありますが、我が国のようなコンプライアンス意識の高いビジネスコミュニティーが、適用すべき原産地規則を複数の無料ウェブサイトで容易に検索できる環境にあるのであれば、第三者証明制度は盤石なものであり続けたと思います。しかしながら、双務的な義務が生じるEPAでは、輸出面で我が国の発給が万全であったとしても、輸入面で相手国の不正確な証明書発給が続くのであれば、税関当局としてはこれを黙認することはできないはずです。その意味において、EPAにおける第三者証明制度の維持は既に困難なものとなっていると考えます。
類似事例は欧州でも生じております。欧州での事例は原産地規則への理解度の不足というよりは、某特恵受益国の発給当局が、欧州委員会からの是正要求を拒絶して確信的に自国の解釈を維持し、特定産品に対して特恵原産地証明書を発給し続けたことに端を発します。このような事態を容認できなかった欧州税関は、当該国からの当該産品への特恵待遇を否認しました。その結果、特恵輸入者と欧州税関との訴訟に発展し、最終的に欧州司法裁判所の判決で、正規に発給された原産地証明書を信頼した輸入者が勝訴することになり、関税収入を重要な財源とする欧州委員会にとって、第三者証明制度は、もはや許容できる制度ではなくなりました。有名なグリーン・ペーパーとして諸種の分析が行われましたが、この欧州司法裁判所判決こそ、欧州が第三者証明制度を捨て、新制度である認定輸出者自己証明の実施を急がせたきっかけとなったといえます。そして、さらにEUが一歩を進めたのが本年2月1日に発効した日EU・EPAで、輸出者、生産者、輸入者による自己申告を採用しました。「輸入者の知識」として整理される輸入者の自己申告は、EUの特恵史上、初めてのことです。
米国では1980年代後半にGSP税率適用上必須であった特恵原産地証明書Form Aへの発給当局の押印省略を認めています。これは、GSP受益国である途上国の発給機関において諸種のコストが生じたため、貿易円滑化の観点から廃止したものです。その後、NAFTA等のFTAにおいて輸出者の自己証明制度を維持してきましたが、米国税関近代化法(Title VI of P.L. 103-182)で輸入者に対して特恵原産地規則を含む関税・税関関係法令の遵守義務を課し、税関手続きにおいては「合理的な注意(reasonable care)」を払うものとしました。これは輸入者への一方的な責任の押し付けではなく、米国税関も重い責任を課せられることになりました。それは、「informed compliance」と「shared responsibility」によって表現されておりますが、税関側は輸入者への徹底した情報提供に努め、輸入者側はその情報を受けて責任を果たすということです。すなわち、税関が情報提供を怠ったならば輸入者は義務の遵守について一方的に責任を負うことはなく、その代わり、情報提供が適切になされていれば輸入者側の「泣き言」は一切聞かないというものです。こうした背景から、米国の関税・税関関連の情報は、ウェブサイトに網羅されております。
どの制度にも長短があり、お国柄、国民性を表したものであるとも言えますが、自己申告への流れは時代を反映したもののように思えます。
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