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#4.ダメなところが自分の最大の長所に変わった、恩師の言葉

私が子どもたちに、音楽を通してできることを、考えるようになったきっかけ。

それは、大学生の頃でした。音楽で進学することを決めて、無事に入学した国立大学の教育学部。


歌もピアノも、専門のクラリネットも大好きだった私。ドキドキと喜びいっぱいで大学入学しました。

友達もでき、音楽生活をエンジョイ♪のはずだったのですが、大学二年の頃、大きな挫折をします。

「息がうまく吸えない…楽器を吹こうとすると、涙が出て止まらない…演奏できない」

高校2年の3学期、進学校での勉強についていけず、進路に希望を持てなかった時、音楽の道を一緒に探してくれたのは担任の先生でした。

そして、音楽を志すには遅すぎる受験対策を始め、合格するために必要最低限のことをこなしてきた1年間。

大学に入学してから感じたのは、音楽を志して何年も準備をして入ってきている人との、経験と知識とレベルの違いでした。

ただ好きだというだけけで入学してから、わからないこと・知らないことが多すぎて、きっと、周りの人ももどかしかったのでしょう。一部の先輩たちや同級生に嫌がらせを受けるようになりました。

そして「私の演奏は、こんなにも人を不愉快にするんだ…」と、心底自信を無くし、クラリネットのレッスンもまともに受けることができなくなり、大学を辞めようかと思っていました。

そして「また吹きたいと思うまで、吹かなくていい」と恩師に言われ、安心したような、見放されたような複雑な気持ちで学生生活を送っていました。


そんな時、「音楽療法のゼミに入らないか?」と誘っていただき、不安ながらも、一度行ってみることにしました。


そこで待ってくれていたゼミの先輩方は、みなさんとても朗らかにあたたかく迎えてくれ「何もできなくても、いてくれるだけでいいよ」と言ってくれ、涙が溢れたことを今でも忘れません。


そして、恩師からの言葉は、今でも私の心の中心にあります。

「痛みや苦しみをたくさん経験した人は、人に寄り添い共感する力に長けている。人は本当に共感して寄り添ってもらえることで、また生きようと思えるもの。」


幼少期から、家庭の中で嫁姑の間に挟まれ、母のことを心配しながら、大人の顔色を伺いながら育った子ども時代。気づけば、家の中でも、自分の小さな気持ちに、蓋をして飲み込んできたことにも気付いた大学時代。

そこから、自分の本当の思いをぶつかりながらも伝えることを続けてきた10年。親子の信頼や愛を、本当の意味で感じられるようになったのは、本当の自分を伝えられたことで得られることを実感しました。


親子の間の信頼関係や、自分の人生が行き詰まってしまった時に、それは自分の親でなくても、私の場合は先生方が、自分の良さを見出してくれたのです。そのたった1人の先生の言葉が、私の人生を今でも支えてくれているのです。


子どもの育ちには、親子関係が大事だと、どんな書籍にも書いてありますが、その親子の中でも、子どもがなんらかの事情で、自分を見いだせないということもあると思っています。

親だからといって、子どもたちの全ての可能性を見出せるとも限らないとも思っています。だって、一生懸命愛してくれていたとしても、大人だって、それぞれの価値観があって、みんな誰でも完璧ではないから。


だからこそ、子どもたちの心に気づける人が、その子の側に1人でもいてくれたら、親御さんの気づきになる関わりが少しでもあれば…きっとその子自身の可能性をみつけ、羽ばたけるきっかけになる、と信じています。


人は完璧ではないから、良いところや苦手なところがある。でも、苦手なところで人は誰かに助けられ、良いところで人を助けられると、何かで目にしたことがあります。


自分の感じてきた痛みをアンテナにして、どんな小さなことでも、子どもたちがそれをプラスに変えられるような良さを見つけたい。そしてそれが子どもの心の中で積み重なって、生きる力になってほしいと思っています。

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