カサンドラテキサスジュース

スーパーマーケットで妻の持つ買い物カゴにお菓子を入れたつもりがそれはまったく違うひとの買い物カゴで、まちがえて恥ずかしかったよ、と話しかけたひともまた妻とは違うひとで、考えてみればもともと妻など存在していなかった、という婚姻記憶障害によるお買い物トラブルは例年一月と九月に多発することから、スーパーマーケットで働くひとのあいだでは「まるでアメリカの入学式だね」という言い方があります。
その言葉の本当の意味は使っているひとたちも知らぬままであることがほとんどで、今さらひとに聞くのが恥ずかしいという現場の声に応えて、今日はその言葉の起源をわたくし本店総務部の佐鳥川が紐解いてみようと思うわけです。

ケンタッキー州にある「美しい余韻」という名の採石場跡地が「まるでアメリカの入学式だね」という表現を生むきっかけをつくったとされているのですが、本当のことは誰にもわかりません。「美しい余韻」にはヤンキースタジアムの一塁側ベンチ五十万個ぶんの広大な地下空間があって、世界中で使われなくなったカーネル・サンダース像が古代中国の兵馬俑みたいにびっしりずらりと並んでいて、例年一月と九月には、一体一体の顔に保湿クリームを塗る女の幽霊が出るそうです。塗り終えた女は存在しない夫をさがして近隣にあるスーパーマーケットをしっとりと彷徨うとまた採石場に戻り、今度はKFCの学長として石棺の上に立ち、式辞を述べるそうです。

「意味などない、ただ走れ」
そんな言葉ではじまるカーネル・サンダースたちの入学式は、
「黙れ、その胸騒ぎを忘れるな」
という激しい言葉で終わります。

この世界には知らなくていいことがたくさんあります。わたくし佐鳥川はアメリカで蚊に刺された経験があり、そんなわたくしに言えることは、その採石場に傷のないカーネル・サンダースはいないということです。あなたには彼らが歌う「カサンドラテキサスジュース」の哀しみが聴こえますか。
聴こえぬのなら辞めてもらって構わない。いいかアメリカに入学式などありはしない。あるのは卒業式だけだ。
走れ、そして黙れ。

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