コップ一杯の水

あらえびすにはキッチンの真ん中に水の入ったタンクが置いてある。
あるもの使いで作られたようないびつな形をしているなんともにくめない台の上に。
お気に入りのYAZAWAジョッキになみなみ注いで何杯もおかわりをする。
あらえびすに行くと僕はトイレが近くなる。

2022年の元日
親族の挨拶回りよりも前に御所山の水源に挨拶をさせてもらいに
水汲みに同行させてもらった。
標高900mから湧き出る水源に行くには、途中から除雪車が入れない細くなった山道をATVというゴム製のキャタピラを履かせた700ccのマシンに乗り換えて深雪へ乗り込んでいく。
グリズリーというなんとも強そうで屈強な名前と見た目のATVに20リットルのタンクが17本乗るソリを連結させて山に入る準備をする。
極寒用の厚手グローブとゴーグルは必須だ。

あらえびす本部にある沢山のトラックやゴツい4WDの車両が何台も用意されているのが納得できる以上の出動っぷりに、いよいよ山形県東根市の冬本番を日に日にかもし出す。

積雪が腰あたりの山道は何度かATVで水源まで行ったことがあった。
標高と相まった気温の低さのおかげで新雪はふかふかのパウダー状態で、屈強なキャタピラーでぐんぐんとどこまでも車体の両脇を水しぶきのように吹き飛ばしながら走り抜ける気持ち良さはなんとも言えない。氷点下10℃以下をすっかり忘れ、夢中になって雪道を走り抜ける。バイクのようなハンドルを右へ左へと動かし、車体を蛇行させながら雪に埋もれた道なき道にATVのタイヤの後を残していく。

しかし、今日の積雪は180センチある僕の身長を超える深さの雪が積もっていたために、いつものように意気揚々と新雪の深雪にATVで突っ込んでしまってはATVごとすっぽりと雪の中に沈み込んでしまう。

ギアをバックに入れ替え脱出を試みるが車輪を回転させればさせるほど、どんどん雪の深みへと沈み込んでいく。
こんな時は冷静に対処するべきところだが、熱しやすい僕は意地でも脱出してやろうとギアを何度も入れ替えて抜け出そうとするが自力でどうすることもできない状態に気がつくには少し遅かった。

水源に行くにはこの700ccATV2台で乗り込むために1台が雪の中にはまるともう1台が救助に入る。パワーウインチがフロントについていて沈み込んだATVの後ろにフックを引っ掛け、一緒にバックしながら脱出する。

雪にはまったATVが抜け出せなくなる程度を掴んだところで、はまり込むギリギリまで突っ込んでは後進して、そしてまた勢いをつけて深雪へ突っ込む。
行ったり来たりを何度も何度も繰り返しながら2台目のATVがようやく走れる道を切り開いていくように、フカフカの雪をタイヤで踏み固めながら少しづつ前進してゆく。

途中には積雪の重みに耐えれなかった倒木が道をふさぎ、胸の深さまで雪の中に埋もれながら木を切って道を開ける。

深い雪の中で足腰の安定感は取りにくく、ノコギリを使うために踏ん張る足はどんどんと雪の中に沈み、いつの間にか腰まで埋まってしまう。枝を切っているとゆさゆさと周りの木々も揺れて、枝に積もった雪が頭上から降ってくるというか、ドサドサっと落ちてくる。この時に首元の隙間からひんやりと冷たい雪が入り込んで、熱った体にちょうど良く気持ちがいい。

シンシンと降り積もる雪、と言葉では表現しているけど実際はシンシンどころではない。耳をすませば音のない世界に包まれるけれど、降り注ぐ雨のような勢いでどんどんと空から雪が降ってくる。突風が吹けば数m先も見えなくなるくらい吹雪で目の前が真っ白になり、見たこともない世界に包まれる。
ようやく切れた枝を道脇に寄せて再度ATVで道を切り開いていく。

いくつもあるカーブに差し掛かる時は、いつものようにハンドルを進行方向にきれば曲がれるかと思いきやそうではなくて、当然の如くカーブに差し掛かる方向に雪が多く重なるので、直線よりも厄介に雪の中に埋もれてしまうことになる。そのためには細やかな直線の切り返しを何度も繰り返して、徐々にカーブの放射線を描くように曲がっていく。山の斜面は雪がない時も、登る時にはが手をつくほどの急勾配な部分も多くて、勢い余って雪から飛び抜けてそちらへ傾いてしまったらゾッとする。極寒の防寒着を身に纏っているとはいえ、動かずじっとしていると体温は次第に下がってくる。忘れてはいけないのは、ここは山形の山奥、標高約900メートルにも達する場所で、気温は常に氷点下10以下より上回ることは冬の間半年間はほぼない。危うく身動きがとれない事態になった時はもちろん命に関わる危機を全身で感じることになる。そのために水汲みに行った者は16時までには下山できるように山へ入る。16時を超え、戻らない者がいれば何かあったと周りの者が救助へ向かう準備に入るようになっている。そのくらい冬の水汲みというのは過酷で厳しく、そして険しい心構えと準備、共有事項が必要になってくる。スリルが好きな僕でも流石にここでは楽しむばかりでいられない心境の中で、山と向き合わせてもらうことになりそうだ。

こうして水源までたどり着くのに今日は4時間かかった。いつもであれば30分もかからず登っていける。
今回は水のタンクを持つことができなかったので、水を汲むための道を作るためだけの作業が終わっただけ。そうしてまた車両のある場所まで下山して、いつもならタンクを詰めるソリを連結させて改めて切り開いた道を登っていく。という工程を経て、ようやく水をあらえびす本部へと持ち帰ることができる。

蛇口をひねれば水が出て、お湯もでる現在の世の中で、わざわざそんなトラックを何台も用意して、ATVとソリを海外から取り寄せ、山へ向かう人員を朝から段取りを組み、一晩で膝まで積もった雪をかき分けてから出発するほどの労力をかけてまで、そんなことをしなくても良いのでは、と極端な状況が好きな僕ですら途中途中で思ってしまうほどの道のりで、ここのスタッフはこの作業を10年以上も前から行っているというので脱帽しか感じることが今の僕には出来ない。
本部へと水を持ち帰れば、次は全国のサポーターさんへと発送の準備へと取り掛かり、毎日毎日何十件もの関係者へと送っている。

しかし、この水にはこれだけの労力に見合う、いやそれ以上かむしろ、その気がある人は行くべきとも思えるこの御水と向き合わせて頂く工程は、何事の価値にも変えがたいもを感じている。御水が含む成分はもちろんのこと、この御水に出会うまでの背景や、この山を守ってこられた村の人たちの想いも含めて、どれだけ技術や文明が進化変容しようとも、この地球という星の80%に近い水分で出来上がっている惑星とともに、生命には欠かせない清らかな水として、できる限り護っていかなくてはいけない本当に大切なものとして、僕の目の前に現れてくれたように思えて仕方がない。

こうしていつもコップに注いで飲んでいる水のかけがえのなさを、身をもって感じて初めて有難うと心底思えて口に含ませてもらえた。
なんとも有り難い御水だことか。

2022年は御山と御水から始まる年になりました。

次回はこの御水に出会うまでのきっかけとなった背景を書き記しておこうと思う。


以上

「コップ一杯の水」 

中今吉凶

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?