御山の御水

昨晩山形県東根市あらえびすから宮城県石巻市の我が家へ戻ってまいりました。
暮れの12月18日から昨日まで、あらえびすの懐で原始転換させて頂きに滞在しておりまして、お陰様で夫婦共々見事に自我の終焉の扉を開けることができました。祓い清められたその先にある世界というのは、全く別の次元が広がっている様にもひと時は見えますが実わここからが本当の自我と向き合うことの始まりなのです。ここを見落として安心しているとまた同じことを繰り返すことになりますのでくれぐれも御用心下さいませ。一時一時目の前に起こる現象に対してどう感じているのか、それは身体のどこの部分を強く感じるのか、そしてそれは何色に見えるのか、そうして一つ一つの物事への捉え方の少しの違いが、時を重ねるごとに大きく変化変容していくことに繋がっていきます。たかがそんなことと思い安易に見過ごしていますと後に取り返しのつかないことになりますので今のうちに少しづつ、向き合う姿勢、感じ方、捉え方を意識してお過ごしになられたら宜しいかと思います。という僕もまだまだ今も四苦八苦しながら微調整を繰り返しチューニングを少しづつ合わせているところでございます。波長が合ってきたと思った矢先にはもうすでにずれが生じるほどに物事は常に動いているものでございますので、同じくこちらも常に変化変容していきながら以前の自分を潔く捨て去る様に次に次に進んで参らないと先に進んでいるとは言い難いと今のところそう思っております。人類が未だ辿り着いていない境地を目指して歩んでいるのですから不都合や不調和な事は益々現れてくるでしょうけども、そこを感じれることこそがまさに自身と向き合わせて頂ける有り難い事なのです。漢字の如く難の無い無難で安定した暮らしの中で過ごすよりも、難が有るその難をどう捉えて向き合うのかそしてどう活かしていくのか、それこそが日々学ばせて頂いている奥行きの世界なのではないでしょうか。アートや音楽の世界にはそういった作家の葛藤や憤りといったものも合わせて様々な感情表現や次元表現が現れている様にも思えます。一見抽象的にも映る表現の奥に感じるそのものの内に入り込むこと、入り込もうとする気持ちが新たな扉の入り口なのではないでしょうか。上手い下手は関係なくいかに楽しめるかが要であり、そしてそれをどう自分なりに表現していくのかが、今を生きる私たちに出来る悦びだと思っております。悩むなら悩んでください。しかしどこで自分は悩んでいるのかが重要なのです。自我と向き合うとは本来そのこというのです。「二項対立」つまり「幅の世界」で限界を感じたのならば、それをどう活かせるのかと合わせて大いに悩んで頂ければ「奥行きの世界」を楽しめるのではないでしょうか。すると悩みという概念の無い次元に気がつけば立っていることに後から気がつきます。その世界で想像が繰り広げられそして現実的に創造へと動き出し始めているのがあらえびすなのです。地球は約80%の水分で成り立ち、その中でも極僅かな清く尊い水を1,000m以上もある山へ登り、冬の降り重なった雪をかけわけた水源で直接手汲みによりタンクへと入れ、山の麓に待つ家族と一緒に毎日頂いております。当たり前にすぐそばにある水。たかがそんなことと安易にお見落としの無い様にくれぐれも御用心くださいませ。御水の秘めた未知なる世界へのお道へ子供達と私たちを誘って頂いております。生きるか死ぬかの厳しさもあり、包まれるような優しさもある御山へともに入らせて頂き、有り難い御水を一緒に口に含んでみませんか。お待ちしており〼。

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