映画『シェフ』

バモスアミーゴ
三つ星レストランのシェフが思うような料理を作らせてくれない、伝統を重んじるオーナーと辛口評論家によって、厨房から外されてから途方に暮れているところ、元奥さんの地元に戻った時に、出会ったキューバサンドの美味しさに感動して、厨房をキッチントラックに乗り変わって、キューバサンドを息子と元仲間と一緒に売り回る中で、息子の投稿する現在のSNSの発信力、影響力と合わせて一気に有名店に変わっていきながら、息子との距離だけでなく、元嫁との距離も縮まり、カリフォルニアの気候と相まったとても清々しいカラーリングのデザイン描写と、リズミカルなラテンの音楽がよく合うテンポの展開と進展がとても気分を良くしてくれる映画だった。

酷評していた評論家は実はシェフの隠れフェンで、最後はシェフの料理に惚れ込んで、自分で投資して用意したお店で一緒にパートナーとして、ともに歩み始めるという和やかな最後を迎える展開にはなんとも言えなかった。
ストーリー展開は映画を見れば分かることだけれど、見た感想は人それぞれだから、そこも面白い。映画を見る二つ目の楽しみだ。

この映画をみて感じたのは、好きなことをとことんにまで好きなようにやり尽くせ!
というメッセージを僕は感じた。上司だろうがお店の存続をかけるような、売り上げを左右するお客が来ようが、自分がやりたいと思ったことに対して素直にやりたいと、まずは申し出る勇気、そして何度と反対されてもそれを押し切るまで、自分のやりたいことに対する情熱を伝える勇気、失わない勇気、それがまかり通らなければその場を立ち去れる勇気、さらには見放された部下にも応援の言葉をかけてやりながら、本気で応援できる勇気、最後に諦めない勇気、今を楽しむ勇気を見せてもらった。

そこには偶然なのか必然なのか映画の中ではキューバサンドというものに出会い、そして息子と共に旅に出る。シェフの料理に対する情熱と人柄に惚れた男も、自分の気持ちに素直になった1人で、築き上げられた上司部下関係のない、人と人との信頼関係の深さを感じ取れた。
シンプルなストーリー展開の中に人情と奇跡の歩みが描かれており、まさに今から僕たちあらえびすがが歩もうとしている活動と、現在の進展具合が重なる部分が多くて、やたらに共感してしまった。

赤いバンダナを頭に巻いたシェフと、ハットの似合うラテンの男との相性は抜群で、お互いにリスペクトを持ちながら、各パートを補い合う姿に、どちらにも能動的な主体性を見てとれて、息子の投稿するSNSも、誰に頼まれるわけでもなく自分の好きなこと、得意で出来ることとして役割し、それを見る客体が主体を盛り上げる三位一体感が巧みに絡み合ってキッチントラックは見事に繁盛する。

言いたいことをはっきりと言える仲、言いたいことというのは、言いやすいことだけではなく、その人が傷つくかもしれないようなことでも、その人にとっては必要なことであれば、言ってあげれる気持ちが大切で、言う方も言われる方も気持ちの良いことではないのかもしれないけれど、それは後に関係性を深める本心で向き合える仲間として、かけがえのない人生のパートナーとして大切な存在となる。
相手の気を使ってなかなか言いたいことも言えなくなってしまっている僕にとっては、逆に大切なものを失い続ける結果を、生み出しているのではないかと思えてしまった。
相手のためという言い訳を自分でつくってしまい、自ら険しい道を避けて通る癖がいつの間にかついてしまい、喉を通らないはっきりと物申せない関係を、知らず知らずつくっていたように思えた。それは友達関係でも夫婦関係でも子供たちとの関係でも同じで、自分の気持ちに蓋をした状態での関係性ほど、気持ちが悪いものはないとつくづく感じ、はっきりと物申した先に、関係性がどうなったであろうと、自分の素直な気持ちを素直なままに言い合える、向き合える関係性こそを人生において大切にするべきものであると痛感した。

自分の気持ちの素直さがどこで身を結び、芽から花を咲かせるのかなんて誰にも分からないことだし、人の顔を伺ってばかりいる間はいつまで経っても、蕾は蕾のまま芽すらも顔を出せず冬を越えることができずに、別の芽の栄養分となって散る運命にあるように思えた。

「ハプニングはハピネス」という言葉を先日関わらせて頂いた現場のオーナーから聞いた言葉で、僕がとあるやらかした不謹慎な不祥事を、見事にハピネスへと展開された方々の背中を見せてもらったばかりだった。

プロジェクトの主人公でなくていい、ただ主体性を持って能動的に関わっていれば自然と主人公は全員になっている。そこに関わる全ての人が主人公になれるように、各々が持ち合わせる気持ちと技術を発揮しあいながら、言いたいことをはっきりと言う、やりたい気持ちに真っ直ぐに動く、そうすることで見事に絡み合うそれぞれが一体感となって、一つの作品が生まれていくように思えた。
それがいわゆる「グルーヴ」というもでのではないか。僕も過去に何度か体感したこがあるなんとも言えない一体感に包まれた時は、あえての言葉の掛け合いを必要なく、あえての気を使う必要もなく、それはただただ自然体の流れの中で、それぞれが自分の役割を自ずと見出し、それを一つ一つこなして動いていく中で、生まれる連帯感と一体感であった。その中でずれてたり間違ってたり、危ないと思ったことをその都度、受け答えられる協調性を持ち合わせ、表舞台も裏舞台もお客さんも一体となれる場をつくっていきたい。
そういった関係性のもとで、この地球と自然と向き合い、人と生命と、物事と関わっていこうと思いました。

映画の途中でキッチントラックでの移動中にズボンの中の股間にコーンスターチを入れていたのは何やら気になるから後日試してみようかと思う。


映画「シェフ」

以上

中今吉凶

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