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小説 無題1/4

夫と久しぶりに訪れたK市はすっかり変わっていた。それもそのはず、あれからもう15年以上も経つのだ。

大きな川。ひしめき合う産業や娯楽の渦に流されないよう舵取りしながら必死に生きる人達。

もう離れてから随分経つので、私は部外者の気分。懐かしむことはあっても。住む土地に根がはるのは避けられない。もし今よりもっと自由でいたければ一生引っ越し続けること。

K市は変わった。確かに。ただ、意外にも街並みは思っていたほどでない。15年という月日とセットになっていた思い込みが若干崩れるくらい。

じゃあ何が変わったかというと、K市は川の底に移動していた。こちらは経過した年数など全く意味がないほどの変化。

念のため言うけど、水没しているわけではない。

いや、正確には水没しているんだけど、街は生きている。水の中で活動している。

川の底にビルも工場も学校もショッピングモールもあるし、電車だって通ってる。

人々は相変わらず変幻自在な音と光とあらゆる感情の一部であり、エネルギーであり、点。

息だってできる。水の中で息ができないなんて、一体誰が言い出したんだろう。今思えば面白いアイデア。

私たちは自宅近くの発着地から遊園地の乗り物を利用してここまできた。小さな子が乗る、怖くない方の。前の部分は茶色いクマの顔になっている。ピンク色の耳が愛らしい。

このタイプは随時デザインが変わるらしいから、このクマにはもう会えないかもしれない。

ジェットコースターみたいに急下降するのは苦手。夫はスピードは大丈夫なんだけどね、なんて言ってたけど、多分スピードも苦手。でもそれは言わない。男の人はいくつになってもあり得ないタイミングで傷ついたりするから。そういえば、ここ、K市にいた頃もたまにそれが原因で喧嘩になったっけ。

遊園地の乗り物がいつからこの街に乗り入れることになったのかは忘れた。誰が許可したのかも。割と最近のような気もするし、何年も前のような気もする。まーちゃんは最近忘れっぽいね、なんて夫には言われたけど、自分だってそうじゃない、とは言わなかった。理由は同じ。私も少しは大人になったのだ。

驚いたのは水の中でも風が吹くこと。それだけじゃない。鳥の鳴き声もするし、匂いだってある。空も太陽も雲も。夜になれば月だって出るに違いない。水上にあるものが全て変わらず存在している。ただひとつ違うのは感じ方。水を通してダイレクトに感知するためか、全て体の中で起こる。風は体の中を横切り、鳥は頭の中でさえずり、香りは体の中心を波打つ。一般的な五感よりも個人差が激しいから、感じ方はよりバラエティに富んでいるらしい。確かめようが無いんだけど。

“決められたレストラン”に着いたのは昼過ぎだった。水色と赤に縁取られた太陽の強い光が目の奥で揺れている。“決められたレストラン”なんて妙な名前だな、と思ったけど、夫が得意げに教えてくれたので行くことにした。SNSで見つけたらしい。何が有名なの?と私が訊くと、妙なこと言わないでよ、とたしなめられた。その時は意味がわからなかったけど、なんて奇妙な質問を投げかけていたんだろうと今さら少し恥ずかしくなった。

続く



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