小説 無題2/4
レストランの雰囲気ははなんだか懐かしい感じ。不潔なわけではないけれど、綺麗過ぎず、洗練されすぎず、だから居心地がいいのかもしれない。イタリアの大衆食堂みたい。行ったことはないけれど。考えてみれば気がつかないうちにあらゆる場所が随分とお洒落に、綺麗になった。コロナが始まってからは潔癖さが加わった。
ここの懐かしさは記憶や知識からくるものではないよ、と夫が言った。まるで頭の中を読まれているみたいに。そういえばさっきなんとなく仕事用のスマホはちゃんと鞄に入ってるよ、と私が夫に伝えた時も、今確かめようと鞄を開けるつもりだったと驚いていたから、ここではそういうことが起こりやすいのかもしれない。夫は結局おっちょこちょいの私の話は信じきれずに、自分で開けて確かめていた。
意識だよ、意識。
ひとつじゃない、沢山の。
お洒落すぎないグラスの中から、氷の音が溝落ちを刺激した。
そういえば消毒もパテーションも見当たらない。スタッフもお客もマスクをしていない。
隣のテーブル席では4人組の外国人が昼間からワインやビールを片手に大きく笑っている。
もしかしてここは影響を受けていないのかもしれない。そんな仮説がもたげた時、あんちゃんは大丈夫かな、と夫が娘のことを話題にした。
大丈夫じゃない?昨日から体育だってできるようになったんだもの。
へえ、それはすごいな。楽しんでるといいな。
預け先にはきちんと説明してある。娘は年齢の割にしっかりしているし、毒の見分け方は小さい頃から散々言い聞かせてきた。自分にとって命に関わる毒が世の中に溢れていて、最終的に自分で自分を守るしかないことも。
だから心配はしていない。
多分夫も同じ。
娘といるのが当たり前すぎて、2人でいる時もついつい気になってしまうのだ。
『そういえば』
夫の口から、私の頭の中で、同時に言葉が出る。
彼が次に何を言おうとしているのがわかる。
ここに来てどれくらい経ったのか、感覚が随分馴染んできた。
この場所に根をはり始めている。
少し早すぎはしないかな?
夫の目は私の考えを見透かした表情で私を通り越した何かを見ている。
続く
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