ゼラニウムの「緑」とは(自己解釈・結局分かってない)


①はじめに

ゼラニウムという曲がある。
ゼラニウムは花なので、当然赤や白などの色をした花が咲く。それぞれの色で花言葉も違うらしい。

ここで疑問が生じる。じゃあ「緑の中を あなたを追いかけた」の「緑」って何?と。

緑色のゼラニウムは(多分)ない。では、この「緑」はどこから来たのだろうか。

②緑色のゼラニウム説

繰り返しになるが、そんなものはない。現実にないと確認した上で、「この曲の緑」の可能性としては存在するのだ。
現実に存在しない花とは幻想である。つまり、「緑の中」とは「幻想の中」に言い換えられるのではないかということだ。では、この幻想とはどういうものか。
「緑の中を あなたを追いかけた」というが、幻想の中あなたを追いかけていると考えると、この幻想はあなたに関するものだ。

これは「もしあなたが生きていたら」という幻想だったのではないかと思う。「あなたが生きていたら一日の終わりにその日の出来事を話したはずだ」とか、「あなたが生きていたら私も満ち足りて生きていける」とか。

あなたはもういないので、これは現実逃避でもある。その幻想をくぐり抜けて、死んでしまった本物のあなたを追いかける、つまりあなたの死に向き合うのは辛いことだろう。それでも「私」は精一杯生きたと思うので、あなたは「私」をいっぱい褒めてあげてほしい。

③ゼラニウムの花以外説

つまり、茎や葉の部分である。
花が咲く前のゼラニウムなのか、「私」と比べてゼラニウムがめちゃくちゃ大きくて花の色が視界に入っていないのかで話が違うが、どちらの可能性もある。
前者であれば、この未完成のゼラニウムには未来がある。あなたが「私」に何かを遺したように、「私も死んで消えるけれど生物としての命を未来に繋ぐ」とかそういう話になるだろう。
「あなた→私→他の人」という構図が見えてしまえば、以降は「他の人→他の人→……」と命がループすることになる。これにより、この曲の普遍が印象づけられるのである。

後者であれば、この光景は夢か死後ではないかと思う。巨大なゼラニウム、あるいは小さな「私」は現実の光景ではない。溶け合って空に舞う寸前である。生きている時に見た夢なのか死ぬ前に見た幻なのかまでは分からないが、LANDの収録曲にふさわしい夢幻だと思う。

④おわりに

言及しないわけにはいかないので、思い浮かんだもう一つの可能性も書いておく。「そもそもゼラニウムではない」説だ。じゃあ何なのかと言われると困るが、可能性としてある以上は書いた方がいいかなと。それだけ。
まあ結局「緑」がなんなのか分からない(フワッとしててごめん)のだが、私個人の話をしていいなら「花が咲く前のゼラニウム説」が一番好きだししっくりくる。普遍はこの曲において重要だと思っているからだ。
とはいえ、個人で好きなように解釈するのが一番の普遍なのでこれを正解だと言う気はないし、私が挙げた可能性の中に答えがあるとも言わない。

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