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NPB公式戦開催球場 大三沢リッドルスタジアム 跡

大三沢町、現在の三沢市に日本で初めて外国人名を冠した球場がありました。
大三沢リッドルスタジアムです。

1949年に当時米軍基地維持管理司令官であったリッドル中佐により建設された球場で、6段から7段ほどの木製スタンドを有していました。

1952年10月の航空写真ですが、木製のスタンドがハッキリと確認できます。

2リーグ分裂初年度の1950年9月にはプロ野球も開催されました。
巨人‐西日本、中日‐広島の変則ダブルヘッダーでした。

9-0で巨人が勝ち、「沢村2世」と呼ばれた中尾碩志氏が完封。
中尾氏は後に200勝を達成し、投球回3057は球団記録を現在も保持、ノーヒットノーランも2度記録しています。
特に1度目のノーノーは10個の四球を与えながら達成。2桁与四球でのノーノーは現在でもNPB唯一です。

2試合目は中日が14ー1で完勝。
この年に1度目の沢村賞受賞と、リーグ最多奪三振(当時は連盟表彰無し)を記録する杉下茂氏が完投勝利しています。


プロ野球の開催はこの日限りの2試合のみでした。

NPBの記録、及び三沢市の公式HPでは1960年頃に閉鎖とあります。

これは1956年5月の写真ですが、何となくグラウンドがあるのは確認できますが、もうすでにスタンドは取り壊されています。

街の中心部にあったリッドルスタジアムは都市計画により、解体されることになりました。

スタンドは取り壊されていますが1960年頃までは、野球場として使用されていたのでしょうか。

1962年10月の写真ですが完全に消滅しています。
1958年に大三沢町は三沢市に市制施行。球場跡地には、三沢市民会館が建設され、現在は三沢市公会堂が建っています。

太田幸司氏を擁し全国高校野球選手権大会史上初の決勝再試合となり、三沢高校が準優勝を達成するのは、1969年。



NPB公式戦開催 2試合


参考
NPB球場情報 大三沢リッドル | 球場詳細 | 球場情報 | NPB.jp 日本野球機構
野球伝来150年特設サイト 大三沢リッドルスタジアム跡(現:三沢市公会堂)|聖地・名所150選|野球伝来150年特設サイト (japanesebaseball150th.jp)
三沢市 https://www.city.misawa.lg.jp/index.cfm/1,html

地図・空中写真閲覧サービス 地図検索表示画面 (gsi.go.jp)
日本プロ野球記録 ウスコイ企画 日本プロ野球記録 (2689web.com)


2022.9.20 筆


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