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NPB公式戦開催球場 杵島炭鉱グラウンド(現・大町町民グラウンド)

杵島炭鉱で栄えた佐賀県杵島郡大町町。
1930年に杵島炭鉱株式会社が、この杵島炭鉱グラウンドを建設しました。
その後、このグラウンドで腕を磨いた杵島炭鉱野球部は、1952年・53年と2年続けて都市対抗野球に2度出場しました。

NPBは1937年に阪神‐中日戦がオープン戦を行った後、1952年7月20日に西鉄‐東急のダブルヘッダーで公式戦初開催。
1953年4月12日にも同じく西鉄‐東急戦が開催され、公式戦はこの3試合のみ。

1952年の初開催時には当時米軍基地に勤務していたマリオン・オニールが先発し、5回6失点で負け投手になっています。
オニールは、同時に入団した内野手ビリー・ワイヤットとともに西鉄初の外国人選手でした。
米軍に勤務しながら、週休2日の休み2日のみ西鉄に帯同する契約でした。

ダブルヘッダー2試合目は、西鉄が8回裏に6点を取って9-5の逆転勝利。
佐賀出身選手の出場はいませんでしたが、九州出身の選手や、九州の強豪星野組や門司鉄道、八幡製鉄等でプレーしていた、九州にゆかりのある選手が両軍から多数出場しています。

外野フェンスは、板やコンクリートではなく高さ60cmほどの石積みで、石積みの外野フェンスは日本で唯一の球場でした。


NPBの公式戦は、この杵島炭鉱グラウンドで行われた1953年以降、佐賀県下では1999年にさがみどりの森球場で開催されるまで、46年のブランク期間が空くことになります。

1999年に、さがみどりの森球場で行われたNPB公式戦は、県民待望のプロ野球開催でした。

杵島炭鉱野球部は1957年に業績不振から解散、1969年には杵島炭鉱もエネルギー事情の変化から閉山。
杵島炭鉱の閉山後は、大町町民グラウンドとして存続して1970年代に改修されます。

照明設備もあり、現在も地域の野球場として活躍しています。


参考
NPB 球場情報 杵島炭鉱 | 球場詳細 | 球場情報 | NPB.jp 日本野球機構
野球伝来150年特設サイト 大町町民グラウンド|聖地・名所150選|野球伝来150年特設サイト (japanesebaseball150th.jp)
地図・空中写真閲覧サービス 地図検索表示画面 (gsi.go.jp)
日本プロ野球記録 ウスコイ企画 日本プロ野球記録 (2689web.com)
佐賀新聞 ニュース 野球の聖地・名所150選に佐賀県内2カ所 さがみどりの森球場と大町町民グラウンド かつての杵島炭鉱野球部の本拠地・大町 | 行政・社会 | 佐賀新聞ニュース | 佐賀新聞 (saga-s.co.jp)
都市対抗野球大会 九州地区予選特設サイト 歴代の九州代表チーム| 第88回 都市対抗野球大会 九州地区予選 鹿児島大会特設サイト (jaba-kagoshima.jp)
野球場 ベースボールマガジン社
野球場大辞典 沢柳政義著 大空社

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