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半ズボンに長靴下

今、わけあって福岡の実家に帰っているのだが(もちろんお正月だからだけど)、実家にはパジャマになるような長ズボンが一本しかないので、それを洗濯している日は仕方なく半ズボンを穿いて寝ている。高校の体育の授業で穿いていた、運動用の白い短パンだ。

僕の高校では、男子の体育用のズボンはとにかく白基調の短パンなら何でもよかったのだが、入学時の物品販売で買わされた白無地の短パンを穿く生徒が多かった。

でも僕は、別で用意した、左裾に「asics」と黒い糸で小さく刺繍されている白の短パンを穿いていた。僕はこれが気に入っていた。一見すると他の生徒と変わらない普通の白パンでありつつも、「asics」というさりげないオシャレがあることで、優越感に浸れたからである。

それを今、パジャマとして穿いている。やはり今見てもカッコいい。しかし何と言っても1月なので、穿いていると肌寒くてたまらない。いくら暖房をつけていたって、布団に足を突っ込んだって、どことなくソワソワしてしまう。

そこで僕は、足を少しでも多く布で覆うために、家の中では長靴下を履いている。ふくらはぎの真ん中くらいまでの丈のやつだ。これで少しは暖かくなる。膝まで覆ってしまいたいところだが、残念ながらそこまで長い靴下は持っていない。

僕は中高とバレーボールをやっていたのでバレーボール用の膝サポーターを持っており、それをつければもう少し防寒することも一応は可能だ。だがバレー用のサポーターは生地が厚くて蒸れるし、何より息子の雄姿を思い出した母が急にジャガイモを打ち込んできたりしたら迷惑なので、膝サポーターは付けないことにした。

だからとにかく、長ズボンがない日、僕は半ズボンに長靴下というスタイルで寝ている(上は長袖)。

でも僕はこのスタイルがどうも好きではない。すごく古臭くて幼い格好をしているような気分になる。

というのも半ズボンに長靴下というスタイルは、ドラえもんの野比のび太的な昔ながらの小学生男児の姿を僕の中に想起させるからだ。

これは偏見だが、男の子が半ズボンを穿いているときに履く靴下の長さは、昔の人ほど長く、また同時代的に見れば小学生が最も長いような気がしている(昭和〜令和の範囲で)。

つまり男の子が半ズボンを穿いているときに履く靴下の長さは、現代の人よりは昭和の人の方が長いし、また高校生よりは小学生の方が長い、ということだ。あくまでそういう偏見だが。

この偏見に従えば、半ズボンに長靴下というスタイルは、昭和の小学生男児において最盛期を迎えることになる。その象徴が野比のび太だ。あくまで偏見だが。

しかし僕は令和の男子大学生であって、昭和の小学生男児ではない。あくまで偏見だが、僕たちは半ズボンを穿くときには基本的に短い靴下を履く世代であり年代なのだ。

そんな僕の個人的な美的感覚から言って、半ズボンに長靴下というスタイルは、靴下が目立ちすぎていてバランスが悪いように感じてしまう。スタイリッシュではないのだ。サッカーやバスケのユニフォームならともかく、普段着としてはどうも受け入れられない。

やはり長靴下を履くなら長ズボンを穿きたいし、半ズボンを穿くなら短い靴下を履きたい。そういう美的感覚と強迫観念を抱えて僕は生きている。

にも関わらず僕は今、半ズボンに長靴下のスタイルで過ごしている。寒さを前にして、美的感覚がどうこうなどと言ってられないからだ。だから恥ずかしかろうと長靴下を履いている。

なんなら靴下を限界まで引き上げ続けている。

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