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交換日記2(2)宝石の涙

<2週目のお題「宝石の」>

哀しくて、泣いた。
あなたのように涙は流れなかったけれど。
ころころと転がって、地面に落ちた粒。
拾い上げたそれは、情けないほどに美しかった。
それはどこか、あなたの吐いた花に似ていて、
だからつまり、
哀しさが美しさに昇華される様が、
酷く、切ないのだった。



防衛機制の一つである、“昇華”という言葉。
社会的に実現不可能な、反社会的な欲求を、別の、より高度な、或いはより社会的な欲求に目を向けて実現させ、自己実現をはかること。

つまるところ私は、哀しさは社会的に認められないから、そんなふうに感じてしまうから、皆に認められるような美しさにしてしまいたいと、そう願うのだろう。

哀しみや怒りといった負の感情は、きっとあまり良しとされない感情で、だからあまり表に出してはいけないのだと、いつからかそう思っていた。
感情なんてなくていいと思っていた。日々をそうやってやり過ごそうとした。“心を氷にする”と自分の中で名付けていたその手法で、心をすっと引き抜き、感情を切り離す作業を重ねていった。

ただひたすらに、消えたかった。人生に疲れた、と思っていた。たった十数年しか生きていない、家族にも友人にも恵まれた小娘が、なんて生意気なことを考えていたのだろうと、今でも思うし、当時も思っていた。

きっと、不幸に憧れていた。同情されたかったわけではない。ただ、自分が消えたいと、死んでしまいたいと、そう思ってもいい理由を探していたのだ。どう考えても、私は幸せで、恵まれていて、不幸なことなんてこれっぽっちもなくて、それなのに、消えてしまいたいなんて考えていて、それはあまりにも罰当たりだと、分かっていたから。

負の感覚を身に纏ってしまうことへの正当な理由を探した。それが私の不幸探しの始まりで、でも探せば探すほど、自分の恵まれた環境が浮き彫りになってゆく。

もう、理解している。きっと、ただ、受け入れて欲しかったのだ。
いいこで優等生な私ではなくて、優しくて穏やかな私ではなくて、多くの人から認めてもらえる私ではなくて。幸福というステータスを身に纏いながらも、どうしようもなく消えてしまいたくなるような、多くの人に非難されても仕方の無い駄目な私を、認めて欲しかった。
認められるべく作り上げてきた私ではなくて、認められるはずがないと隠して押し殺してきた私を、ちゃんと、受け入れて欲しかったのだと、思う。間違っているのは分かっていたけれど、そう言い聞かせていたけれど、本当は、それを私の中の正当な感情なのだと、そう思ってもいいのだと、許して欲しかった。

他者に認められないと思われる部分をひた隠しにして生きていく。その代償として純粋で清らかなイメージを持たれてしまうこと、本当はとても苦手だけれど、そうやって生きていくしかないのなら、生きていく。そのつもりだった。自分を殺しても生きていけるぐらいに、意思がなかったから。

けれども、うっかり、負の感情の吐き溜めを作ってしまったばかりに、自分の感覚を受け入れてもらえることがあると知ってしまった。それどころか、今まで流れ消えていた意思を、繋ぎとめて反芻し、自分の中に刻み込めるようになってしまった。自分の意思を持ち始めた人形は、気付いてしまった。

失敗したのだ。
私は、人間になってしまった。
もう、綺麗事だけでは、生きていけない。



さて、宝石なんていう、美しくて物語性のあるお題なのに、こんなにも暗くてなんの面白みもない話をしてしまった。ただ、「涙が宝石になる」という事象に憧れていたから、それを題材に持ち出しただけなのに、どうしてこうなったのだろうか。私にも分からない。

憧れへの根源を掘り下げると、大抵の場合、劣等感に類似した感覚が付随しているものだ。これもつまり同じことで、涙を流すこと、そこに至るまでの負の感情を抱いてしまうこと、それが後ろめたいから、美しさに代えて、昇華してしまいたかった。

つまり、そういうことだ。



零れる涙が宝石だったらよかったのに。
ころりと音を鳴らす、小さく光る石。
哀しみが疎まれるだけならば
誰からも認められる美しさが欲しいと
ただ、それだけの思いだった。

けれどももし、
あなたが受け入れてくれるなら。
この石を宝石ではなく
涙と呼んでくれるのならば。
これはもうきっと光らない。
光らなくていい。

ごつごつとした、歪な形の石ころ。
それがいつか宝物になる日を
いつまでも夢見ている。