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呉善花 『韓国「反日民族主義」の奈落』 ・・・あの民族の体質は千五百年、まったく変わらない。 反日がなぜ生き甲斐になってしまったのか、、、民族性と歴史改竄

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( 宮崎正弘氏の書評 )

あの民族の体質は千五百年、まったく変わらない
  反日がなぜ生き甲斐になってしまったのか、民族性と歴史改竄

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呉善花『韓国「反日民族主義」の奈落』(文春新書)
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 「韓国がファシズム化している」と呉善花女史は強い警告を発する。
直近の選挙(ソウル市長選、釜山市長選)では与党が惨敗し、来年の政権交代が視野に入ってきた。だが野党が政権を奪回したところで、あの民族のもつ「反日」というDNAに染みこんだ病理は治癒不能だろう。

文在寅政権は「従北、侮日、反米、親中」という感情的ヒステリー症状をかかえている。いや、文政権は北朝鮮の工作で誕生した共産主義的全体主義を目指す政権ではないのか。

あまりにクレージーで、理性や論理とかのレベルで韓国の出鱈目な要求に日本が真摯に反駁しても、まったく無意味である。文在寅政権の病的な反日とその無軌道的な政策を、国際政治のレベルで説くのは、むしろ無謀かも知れない。

しかもあれほど日本を攻撃してきた韓国が、突然、態度を豹変させ、ゴロニャンと不気味に管政権にアプローチしてきた。
その心底には何かどす黒い魂胆があるに違いないだろう。このパターンは過去の歴史にモデルがあることを後節でみる。

日本敵視で世界に孤立する韓国は、東京五輪に日米中、そして北朝鮮との橋渡しを演じようという素っ頓狂で野放図な野心を抱いて猫なで声の日本接近だった。しかし本質的にそのことを知っている北朝鮮は東京五輪不参加のメッセージを送った。
文在寅の顔に泥を塗ったのが金正恩なのだ。ところが、韓国政府は鈍感なのか、適確な反応も出来ず、こうなると時間稼ぎに走ることになる。

韓国の反日とは「殆どパターン化した画一的な虚言や虚像」によるものだが、これは「韓国の国家的民族的な政治主義からつくりだされた」と呉女史は言う。
なぜなら「国家の政治的思想的な統制力が、社会の全体を巧妙に組織し得ているからである」。

そのうえ「力づくで従わせようとする政治的強制力によるものではない。幼いときから、自ら進んでそうするように仕向けられて(教化・訓育されて)きたことによっている」。 

「徴用」「強制連行」「奴隷労働」「慰安婦」等々、あたまから日本が悪いと信じ込まされている。だから「現在の日本人の90%以上は古代に、わが国(韓国)から流れていった人々の子孫、あるいは少なくともその血の混ざった人々だ」とか、「(朝鮮から)移住していった人々が、日本の古代国家と古代文化を建設した」と根拠のない訓育の所産は錯覚を拡大させ、そうした歴史認識が普遍化してしまった。 

しかし、日本国内にこうした韓国の言い分を鵜呑みにしているブンカジンが夥しいから問題はややこしくなるのである。 

たとえば『日本書紀』が描く武烈天皇は暴虐、最悪の君主である。妊婦の腹を切って胎児を取り出したり、残虐な方法で民を虐殺したり、女性のいたぶり方も酷かったと言うのだが、『古事記』にはこういう記述はまったくない。平安時代にでた『先代旧事本紀』にもない。 

ところが「このとし百済の末多王、無道暴虐により、百姓・国人ついに除きて島君を立つ。これを武寧王となる」と『日本書紀』の武烈天皇の節にあり、「これ(武烈天皇の無軌道という話)は百済の末多王のことが紛れ込んだのである」(海音寺潮五郎『大化の改新』、河出文庫)。 

呉善花書にもどると、韓国の主張の背景には「日本を侵略的で野蛮な、文化的に遅れた国として蔑視する中華主義の世界観である。むしろ、韓国の方が日本を差別し、蔑視している」ことになる(60p)。

韓国にはオリジナルな文化はない。
だから劣等感の裏返しが「曹操は韓国人」「日本の文化はすべて韓国が発祥」、「檀君は5000年前、中国より古いゾ」。果ては柔道、剣道、お茶、日本刀、空手、盆栽、刺身はぜんぶ韓国起源説となって、世界からウリジナルと揶揄されるのだが、一向にやめる気配がない。

なにしろ檀君神話を実在したと信じ込んでおり、その「建国を韓国では紀元前2323年のこととしている。韓国では1961年まで檀君紀元が使用されていた」(254P)。これほどに歴史感覚は空想的で倒錯しているのである。 

こうした反日思想は、
(1)朝鮮侵略史観が背景にあって秀吉をすぐに持ち出すが、神功皇后の朝鮮征伐を捏造と決めつける一方で、明治の征韓論も持ち出すという身勝手な歴史認識。
(2)中華思想の影響で周縁の国を野蛮と侮る特性がある。
(3)儒教的道徳観が、ここに重なると本書は分析している。
 
真実はこうだ。
実際の日本の朝鮮統治は、日本の「投資過剰の赤字経営」だったことは広く知られる。「朝鮮の財政赤字は総額17億6657円で、赤字分は本国からの交付金(年間約1200万円)、借入金、公債でまかなわれた。また貿易収支では総額6億4700万円の赤字である。1900年前後以降、日本から投入された資本は総額で80億ドルにのぼった」(56p)。 

現在の金額に勘案して幾らになるのか不明だが、当時の日本のGDPの40%が韓国統治のために注ぎ込まれた。その恩を韓国は仇で還した。
にもかかわらず文在寅は突如、豹変する。

「日韓両国は最も近い隣国であり、北東アジアと世界平和・繁栄のために共に歩んで行かなければならない最も重要なパートナーだ」と驚くべき発言(21年1月14日)に切り替え、態度を一変させた。日本叩きが行き詰まった結果である。 

1998年、金大中は「韓国政府は今後過去の歴史問題を持ち出さない」と約束し、「過去は清算される」と放言した。

2001年、日本の歴史教科書すべてに対して「事実が歪曲されているので是正せよ」として日本が断ると韓国の国会は「日韓共同性宣言廃棄」を満場一致で採決した。

2021年、反日が行き詰まり政権の末路が近付くと、態度を一変させ、日本に阿るようになる。

──似ているなぁ。
仁?天皇の御代、ヤマト王朝は勢威を内外に示した。その仁?天皇陵がエジプトのピラミッドより大きいこと、大阪湾から御陵が見えたほどに大和朝廷の栄光の時代だった。百済も高麗も新羅も大和朝廷に朝貢していたのである。

「日本書紀」仁?十七年のくだりには「新羅朝貢せず、秋九月、的の臣の祖砥田の宿弥、小初瀬の造(みやつこ)の祖賢遺の臣を遣わして、朝貢を欠くことを問わしむ。ここにおいて新羅人懼れて、乃ち調絹一千四百六十匹および種々の雑物すべて八十艘を貢献す」とあり、また允恭天皇の宮にも八十艘で挨拶に来たことが書かれている。

以後、雄略天皇から継体天皇にいたる間に、半島からの朝貢がつづいていた。   その一方で朝鮮半島の勢力争いは激烈熾烈をきわめ高句麗、新羅、百済が戦争を繰り返していた。

百済の王だった王璋は事実上日本に人質として置かれていたが、本国滅亡寸前に帰国を許されたばかりか、日本に援軍を求めた。日本は軍を派遣したが、白村江で日本軍は中国軍に敗北した。すると王璋はさっさと国を捨てて逃げた。

歴史の公式的な記述では、遣隋使・遣唐使が日本最初の外交使節とされるが、すでに崇神天皇のころから朝鮮半島との交易、使節の行き来があった。

精密に記すと聖徳太子の時代に、三回の遣隋使、隋の時代となると、初回の遣唐使は西暦630年、弐回目が653年、四回目の遣唐使派遣は659年だった。

しかし中国の史書では、日本が朝貢にきたと高みから夷を見下ろす中華思想で書かれ、日本側が外交上の挨拶に行ったことを、日本が中華の册封体制に入ったと喧伝している。 

任那に日本府がおかれ、朝鮮半島南部は日本の影響下にあった。欽明天皇の御代に、新羅が任那を滅亡させた。日本は回復に努力した形跡がある。しかし、この頃すでに半島には唐の影響がじわりと浸透していた。一方で新羅も高麗も時々、日本に朝貢していたし、百済や毎年のように朝貢していた経過はみてきた。

大化の改新の前後に唐は大軍を派遣し、高麗と対峙した。その前に隋の煬帝は四十万の遠征軍を派遣したが、血気盛んだった高句麗(高麗)が撃退している。

その後、新羅は百済を滅ぼすに唐の軍事力を当てにして、そのために唐に服属したので、百済は舒明天皇三年(631)に王子の豊璋を人質に差し出し、日本の支援を乞うていたのである。

百済は新羅と唐軍の挟み撃ちとなり、滅亡寸前。そこで支援を叫んできた百済救済に、ときの称制・中大兄皇子は軍派遣を決断して、筑紫に兵団、船舶、食糧などの集積を開始した。

その前にも日本は百済に弓、織物、布などを大量に送り、百済軍の立て直しを大規模に支援した。さらに武器、兵食糧、船舶を送り、準備に余念がなかった。

百済ではこんなときに王朝内で激烈な内訌を繰り返し、参謀や側近を豊璋が斥けたため、戦意は急速に衰えていた。

しかし情報戦に後れを取る日本は、ろくに偵察もせず、斥候も怠って突進を繰り返したので、待ちかまえた唐の水軍は日本の船団を囲い込んだ。海戦で日本軍は敗れ、多くが死んだ。
生き残りの日本軍は百済王朝の関係者2400名をつれて日本に引き揚げた。 

以後、日本は防衛力強化、近江への遷都となり筑紫には水城など強靱は防衛システムを作り上げた。中大兄皇子を継ぐ天武天皇は「まつりごとの要諦は軍事力にあり」と勅諭したほどだった。 

白村江以来、朝鮮半島の日本へのアプローチのパターンは変幻自在とでも言おうか、一貫した基本方針は存在せず、ことほど左様な事大主義に寸毫の変化もないのである。 

その韓国を管政権はどう対処するのか?

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