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とても内容は良いのですが、、、音楽と、早口なのが…、玉にきず? (期間限定動画だそうです)


【終戦企画①】

Q.47年間隠され続けた日米戦争の真犯人とは…?←元大統領が大暴露  
https://www.youtube.com/watch?v=EPT4QSjxlPU&t=14s



【終戦企画②】

Q.なぜ原爆投下が”不”必要だったか説明できる?→ほぼ確の結論はコレ 
https://www.youtube.com/watch?v=43Y8YaPWpVk



【終戦企画③】

Q.第二次世界大戦で一番得をした国はどこか?←ヒント:米国ではない 
https://www.youtube.com/watch?v=qHShSj3mEyo



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【終戦企画①】Q.47年間隠され続けた日米戦争の真犯人とは…?←元大統領が大暴露  
https://www.youtube.com/watch?v=EPT4QSjxlPU&t=14s


【終戦企画②】Q.なぜ原爆投下が”不”必要だったか説明できる?→ほぼ確の結論はコレ 
https://www.youtube.com/watch?v=43Y8YaPWpVk


【終戦企画③】Q.第二次世界大戦で一番得をした国はどこか?←ヒント:米国ではない 
https://www.youtube.com/watch?v=qHShSj3mEyo


(藤井厳喜氏の講演文字起こし)

裏切られた自由

今日の話はフーヴァーさんという、フランクリン・ルーズベルトの前の第31代アメリカ大統領が、この人は何冊も、20冊くらい本を書いていたと思いますが、辞めた後にも、あるいはもう大統領になる前にも本を書いてるのですよ。歴史家でしてね、大変にいろんな本を残した。そして、最後に大著を残したのですね。

それが『フリーダム・ベトレイド』という「裏切られた自由」というタイトルの本でありまして、これがしかし、原著でなんと50年近く出版されなかったということなんです。

これなんで出なかったかということが一大事件でありまして、なんで出なかったのかというと本当の事が書いてあるから出なかったということですね。知られてしまうとまずいということであります。

しかし、そういうものをもう出す時期になったんでしょう、いろんな意味で。ということで2011年に、この本が彼が残したフーヴァー研究所で出版されたということです。

我々の仲間というと恐縮でありますけれども、私にとっては先輩にあたるわけですが、稲村公望さんがこの本を見つけてきて、「フジイさん、これ、えらいこと書いてあるぞ」と。「大体、我々の歴史観と同じだ」と。

これをどうにかして世に出したいということで、我々はあちこちの出版社なんかにもお願いしてですね、これ、なんとか翻訳本が出ないかと。我々私どもも、この茂木さんもですね、早速原著を買って読んでみたと。確かにこれは翻訳に値するだろうと。

これは面白い本でして、彼の回顧録プラス兼、歴史研究書というような体裁の本です。だから回顧録ではないのです。俺はああやった、こうやったという話ではなくて、第二次大戦って何だったんだと、ならびに第二次大戦論です。同時に、共産主義論でもある。

フーヴァーというのは大変なアンチコミュニストであって、コミュニズムというのはとにかくアメリカだけじゃない、世界を蝕んばんでいる大変な害悪だと、これと戦わなきゃいけないという、たいへん使命感のあった方であります。

今もフーヴァー研究所はそういうスタンスなのですけれども、それでそのコミュニズムの害悪といかに戦うか、あるいは逆に言うとアメリカがルーズベルト時代にいかに、このコミュニズムに侵略されていたのか、ということを非常に事細かに書いてある本でもあります。

タイトルがフリーダムベトレイドというのは、フリーダムというのはアメリカ人が、そしてこのフーヴァーが最も大事だとしている価値です。自由ということがいかに裏切られてきたかということは、いかにアメリカが共産主義によって侵食されていたかと。

そして、ルーズベルト時代というのは、いかにアメリカが本道から外れて、ひどい国家になっていたかということが、この裏切られた自由というタイトルの中に、非常に良くその意味が込められているというわけであります。


ルーズベルト神話の崩壊と日本の悲しい現状

そしてそれがですね、彼が1964年、ですから東京オリンピックの年です。東京オリンピックの直後に、たしか11月に死んでおるわけですけれども、彼が最後に残して、遺族にこの著書を全部執筆は終わって残していったのですが、これを世の中に出すと大変なことになっちゃうぞと。

いわゆる一般に言われている、アメリカ人が一般的に信じている、第二次世界大戦論ということを、真っ向から否定していると。こうすると、恐らく遺族の人からすると、フーヴァーの名前も非常に汚すことになるんじゃないかと、評判が悪くなっちゃうじゃないかということを恐れたんじゃないかと思います。

いまだに、このフランクリン・ルーズベルト神話というのは、生きとるわけであります。アメリカでは今日でも、このルーズベルト史観と言いますか、そういったものが主流であるということは残念ながら事実であります。

要するに、第二次世界大戦中っていうのは、ファシズム、軍国主義とデモクラシーの戦いであったんだと言って、アメリカがチャンピオンで、日本の軍国主義、ドイツのナチズム、イタリアのファシズムをやっつけたのが、正しい全く正義の戦いであったのだという歴史観が、今日も主流を占めているということです。

それに真っ向から、このフーヴァーは挑戦状をたたきつけていると。全くそういうものじゃないということで、第二次世界大戦なんていうのは、ある意味で戦う必要がなかった、非常にアメリカにとっても悲惨な戦争であったのだと、そういうことです。

恐らく遺族の方たちがですね、それを非常に警戒されたのでしょうね。それということもあって、世に出なかったということだと思います。

今日頂いた質問の中に、例えば稲村公望さんが、この本の経緯にかかわることですが、総理官邸や外務省なんかに、この本の翻訳を進言して回ったが反応がなかったということです。

日本で稲村さんは、僕なんかと違って偉い人をいっぱい知ってるわけで、こういうのはぜひ日本人全員が読むべきですが、一方で政治の要路にあると言いますか、外交なんかをやってる人たちが、みんな常識としてある程度知っておくべきことであります。

だけど、そういうことで歩いて回ったけれど、全然反応がない、これ反応ないんですよ。そういうことに、興味がない。残念ながら、官邸にも、そういうレベルの人が居ないということでしょうね。それが悲しいかな、今の現実でございます。


宣戦布告なき戦争

このフーヴァーの本(『日米戦争を起こしたのは誰か』)自身についての話をいたしますと、これを読んでくれば分かるよと言ってしまえばそれまでなんですが、非常にフーヴァーというのは単純率直な人で、歯に衣着せず書いておりまして、私も読んで非常に驚きました。

正直言って、「ここまで率直に、こう書いておるか」ということなんですね。この本の初めのほうに、一番おいしいところと言いますか、日本人にとってぜひ読んでほしいと思うあたりを書いておいたわけであります。

これは、英語の原文も載っかっております。それで、本当はフーヴァーのほうが、第二次大戦論とかそのコミュニズム論とかが、結局やっぱり第二次大戦って、ヨーロッパが大きな戦いですから、ヨーロッパの戦争に関する部分が非常に長い。

日本に関する部分が、決してメインではありません。しかし、日本に関して、日本人が知っていたらいいなという部分を抜き出して、論じたのがこの本ということになります。

この冒頭に線を引いたところをちょっと読ませていただきますと、1941年ですね、昭和16年7月のアメリカ、日本に出した経済制裁、日本ではよくABCD包囲網なんて言い方をしておりますが、当時はそういう言い方はなかったわけですけれども、後年そう言われるもの。

特にアメリカが経済制裁して、石油の禁輸なんかをやりました。これは日本に対する宣戦布告なき戦争であったと、この時点で戦争をルーズベルトは、開始していたと言っていいんだ、ということを言っております。

それから、アメリカを戦争へ誘導していったのは他ならぬルーズベルト大統領その人であったと。それは、これまで明らかにされた冷静な歴史の光に照らしながら、1938年、昭和13年ですね、から1941年の期間を客観的に観察すればおのずと明らかであると、はっきり言っております。

要するに、ルーズベルトは日本を戦争に導いていったと、日本はそれに乗せられてしまったということです。


米英中ソの蜜月

これはなぜかというと、当時の状況を考えますと、アメリカはまだ参戦してない状況であります。1939年(昭和14年)の9月から、ドイツがポーランドに入ったところから第2次世界大戦が始まったということになっておりますが、その後ですね。この時点では日本もアメリカも戦争はしてないわけです。

ところが、もうソ連がドイツに責められて、どんどんどんどん押し込まれてくると。イギリスも圧迫を受けていると。

それからもう1つ大事なのは蒋介石ですね。これが支那大陸で、日本軍にどんどんどんどん追いやられてしまうと。それで重慶に籠って、アメリカの武将たちに頼ってなんとなく、なんとか生きながらえておる。

イギリスも、これはチャーチルですね、それから蒋介石、中華民国ですね。「ソ連のスターリンもみんなとにかく早くアメリカに参戦してくれ」と。

アメリカという世界最大の工業国が、この兵器庫がフルに回転して、アメリカが兵隊さんを送ってくれなければ、我々各国撃破さちゃうよというところに来ていたと。

ですからみんなルーズベルト政権に対して「とにかく早く第二次大戦に参加してくれ」ということを一生懸命一生懸命働きかけてたということです。

これにはもう色んな、それはそれでまた別に本が何冊も出ているぐらいでありますけれども、そういう工作がなされておったと。もともとこれはみんな3人ともルーズベルトにとっては近いわけですよね、彼はソ連が大好きですから、スターリンはアンクルヨシフですからね。お仲間なのです。彼が国内でどんな残酷なことをやっているかなんてことは関係ないわけです。

当時でいうとニューディール政策ですが、そういう社会主義への思考が強いルーズベルトの経済政策とですね、ソ連の経済というのは間にあまり大きな差というものをルーズベルトは見てないわけです。そういう形で非常にスターリンにも親しみを持っているというわけです。

それからチャーチルとも仲が良くて、チャーチルも早くやってもらわないと、アメリカに参戦してもらわないと、これはやり切れないということですね。

チャーチルとは1940年の大西洋憲章のあたりで、「戦争をやる」ということを明らかに話合っていたということはわかってるわけですけれども、それからとにかくルーズベルト政権を頼りにしているのは、中華民国の蒋介石。

これはとにかくもうこのままじゃ日本にやられちゃうということで、アメリカに早く参戦してもらわないと大変なことになると言って、奥さんの宋美麗をアメリカに送り込んで、それでもって浙江財閥の金をたっぷりあちこちに配ってですね、それから、お金だけではありませんけれども、アメリカから市内に来ていたキリスト教の宣教師。

この人達がみんなアメリカに良いコネクションがありますから、この人達を全部煽って、とにかく日本というのは悪者であると、これにやられているチャイナは可哀想な犠牲者であると、そういうパースペクティブをアメリカ中で宣伝をどんどんさせるということ。

宣教師のこのチャイナに対する思い入れというのは19世紀からずっとあるわけでありまして、ちっとも本当のキリスト教というの増えないのですけれども、それでもずーっと人を送り続ける。そしてお金を使い続ける。未だにどうにもなっておりませんけれども。

こういう事をアメリカは非常に熱心にやっておった。日本に来てもですね、日本ではクリスチャンは増えないのですね。なぜかというと、日本人はキリスト教、別にいらないのです。日本人はちゃんと道徳心もあるし、倫理もあって文化、伝統もしっかりしておりますから、要するに、ちゃんと暮らしていけるわけです。


キリスト教宣教師から見た日本と中国

日本はそんな貧しくもないし、それで自立自尊でやっとるから、今更キリスト教にならないでもいいなという人が大部分です。

明治維新の後に幕臣なんかで、戌辰戦争で負けた側にですね、結構クリスチャンになる人が出るわけですけれども、要するに薩長閥と一緒にやっていけないと、かといって、やっぱり近代化というのはしょうがないということになって、明治国家そのものに自分はアイデンティファイ出来ない人間がキリスト教の方に行くという流れがあります。

それがキリスト教社会主義みたいなもので社会主義の初期の日本の流入にも関係してくるわけであります。

それはそれとして、日本ではもう1%以上大体、カトリックもプロテスタントもキリスト教徒達が増えないのですね。

だからアメリカの宣教師というのは、非常に使命感に燃えておりまして、真面目でちゃんとした生活している人を見ても燃えないのです。

もう本当に貧しくてだらしなくてですね、神の救いを求めている人達がいると燃えちゃうというのがアメリカの宣教師で、殺されても殺されても支那の奥地に行ったりなんかして、一生懸命やる。これはよくわかりませんけれども、大変、だからこそ燃えておるわけであります。

ミッションといいますかね。ミッションと言いますけど、使命感に燃えても日本はですね、日本人はきちんと暮らしているのでキリスト教になる人も少数おるけれどもあまりなってくれない。

ということで日本に来ても面白くないということで、どんどん向こうに行くわけであります。

私の記憶が正しいと1990年代だと思うのですが、バチカンが日本を重点布教地区から外したんです。これはザビエルがどうも来てからずっと重点布教地区だったらしいのです。

だけど、なんかもう400何十年ぶりですか、布教やるのは止めたという、いくらやっても無駄だ日本は、ということだったらしいです。

そういうことで、日本でキリスト教の宣教師に来た人とか、特に息子とか娘っていうのは日本が嫌いになるっていうのは多いらしいね。というのは、「お父さんが一生懸命やってるのに、ちっとも信者が増えない」ということなんだね。

向こうのチャイナなんか行くとですね、形の上では増えるわけです。みんな食えないですから教会に行ったら飯食わしてもらうっていうだけでも人が来る。ところがね、ミッショナリーの宣教師達の影響力というのは、これといった大きな名前はないですが、非常に大事ですね。

アメリカのグッドクリスチャンというような人が、特に地方に多いですから、その人達が宣教師達のああゆう「日本人達は悪いやつだ」とか「中国人が可哀相」っていう話をどんどんどんどんやると、それはお金の問題じゃなくて非常にベーシックにですね、アメリカ社会に広がっていった。まあそれも事実であります。


ルーズベルト大統領とチャイナ・マネー

そういう上に乗っかってですね、宋美麗なんかが金をばらまきます。大いに向こうに寄っていって、取り込むと。チャイナが取り込んでいくということをやりますと、そのパブリックディプロマシーといいますか、そういった点でも日本は非常に分がよろしくないことになってくるわけです。

それでルーズベルトの家系というのは、ルーズベルトがフランクリン・デラノ・ルーズベルトというのですが、お母さんの家系がデラノ家、これはですね、もともと19世紀からチャイナ貿易で大変財を成したファミリーであると言われています。

このデラノ家のお爺さんの財産を相続したので、フランクリン・ルーズベルトは大変な大金持ちであったと言われておりますけれども、これはチャイナ貿易で財をなして、どうしてもチャイナびいき、支那びいきであると。それでもって彼の家なんか、大変古い支那の美術品なんかがいっぱいあったそうであります。

そしてクーリー(支那人労働者)をですね、いっぱい労働者を連れてきて、アメリカに連れてきて、有名なのはアメリカ横断鉄道ですね、それを作るときに使い捨てみたいにクーリーを奴隷同然に労働させてやって、そのクーリーの輸入というのをこのデラノさんはやっていたらしいです。

噂によるとついでにアヘンもやっていたっていうのですけどね。これは当然であって、というのはクーリー連れてくるとみんな労働が辛いですから、それでアヘンを飲みたがるというので、それを連れて来て売っぱらって儲けて、それでまたアヘンを売って儲けると。今これは支那人がやっていることですが、支那大陸でそんなこともあったのではないかと言われております。


アメリカ世論とルーズベルトの本音

とにかくルーズベルトさんは大変な支那びいきであったと。そうすると、スターリンの方から来る、これは1つのイデオロギー的なですね、なんていうか親近性もあるわけですけど、これとあとは血筋的なイギリスとの一体感、チャーチルなんかからの働きかけと、それから、チャイナからくる宣教師なんかを通じたもの。

それから蒋介石。蒋介石自身も俺もクリスチャンだと。非常に形式的ですけどね。ということを言って、クリスチャンであるその蒋介石や中国人がいじめられてるんだという形で、日本悪者にする。

で、蒋介石のほうからとにかく早くアメリカ参戦してくれというのがくる。だから三人というか、三方からきているわけですよ。ルーズベルトのところにね。早く参戦したい。彼は1940年の大統領選挙で第三選の時に、もう十分参戦ですね、三選目に参戦の腹は固めていたわけですが、それはおくびにも出せないということで。

というのは、当時アメリカは8割ぐらいの人はヨーロッパで始まった戦争に、これはアメリカが参戦するべきでないと。というのは非常に核心的な中立論者だったわけです。

有名なのはリンドバーグなんかが中立運動やっておると。これはドイツ系の人だけじゃなくて、中西部に広く住んでおる北欧系の人たちなんかも、やっぱりドイツとあまり近いので戦争したくないと。

そういう人たちが大変力があったわけでありまして、第一次世界大戦ではアメリカは途中から参戦したんだけど、このヨーロッパで始まった戦争にアメリカは巻き込まれないほうがいいと、アメリカンボーイズがヨーロッパの戦争で死ぬ理由はないんだということ。これは非常に圧倒的な数を占めていたわけであります。

これが「アメリカ第一委員会」ことアメリカファースト・コミッティと言って、アメリカを第一に考えようということ。アジアの事もいろいろあるでしょう、ヨーロッパの事もあるけど、アメリカはアメリカだといういい意味の中立主義、孤立主義の運動が大変に力があったわけです。


アメリカが開戦に踏み切った訳

そういうこともあって、ルーズベルトは簡単には戦争は始められないと。で、一生懸命初めはドイツを挑発しようとするんですが、ヒトラーも頭がいいですから、なかなかそれに乗ってこない。

これは三国同盟を悪用して、まぁ、逆用してって言いますか、そして、何とか早く日本に一発目を打たせて、これで第ニ次大戦にアメリカがなだれ込むとそういう作戦を立てて。結果から言うと、これがものの見事に成功してしまうということになるわけです。

国内的にも、大不況から始まった経済は一向によくなっておりませんで、それこそルーズベルトもいろんな手を打つんですけれども、これはなかなか経済浮上しない。で、そういった問題をですね、一挙に戦争政策で解決してしまうという内政的な意味も含めて、彼は早くからもう戦争をやる覚悟です。

1940年の大統領選挙では絶対にアメリカはヨーロッパの戦争に参戦いたしませんと。Never, Never, Neverと言って3回言ってですね、絶対に参戦しないと。ですからアメリカのお母さんたち安心してくれと。あなたがたの子供をヨーロッパの戦争に送ることは絶対ありませんと言って堂々としらを切って嘘ついたルーズベルトです。

これ、その時はもうやる気です、ということなんですね。ですからルーズベルトが戦争を始めるには、内政的な理由もあったし、特にソ連・イギリス・中華民国からとにかく助けて早く開始してくれと、戦争を。アメリカ参戦してくれと大変強力な働きかけがあったということ。こういったことがもちろん前提であります。

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