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ダイレクト出版の、この 「日本🇯🇵 と パラオ🇵🇼の国旗の話」 は違いますよね。 パラオ🇵🇼の国旗をデザインした人は、日本🇯🇵の国旗を真似たのではなく、「海に沈む月」をイメージしたと言っているのだけど…、話を美化しているのかな⁉️🐧⁉️ダイレクト出版に何度も何度も黙殺されました。

下記は、昨日届いた、藤井厳喜氏の講座PRダイレクト出版メールの転載ですが…う〜〜〜ん、まだやってる、またやってる👇 本当はちがうのに、🇵🇼国旗の話。

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これは、日本から3,000kmほど南、美しい海に囲まれた数百個の島を持ち、地上の楽園とも呼ばれている「パラオ共和国」の国旗です。一見、日の丸にソックリですが、真ん中の円は黄色で、そして、よく見ると、中心よりやや左に置かれています。いったいなぜこのような国旗にしたのでしょうか?
それは、ただの偶然ではなく、独立に向けてパラオの国旗を決める場で…

「日本が太陽で、私たちが月だ。私たちは日本がいて初めて輝ける。」

「月を中央にすると日本の色違いになっておこがましい。中心から少しずらそう」

そんな議論がなされ、70以上のデザインが候補にあがっていたにも関わらず、日本に敬意を表すこの「月章旗」が国民投票で選ばれたからです。パラオの人々は、なぜ日本を尊敬してくれているのでしょうか?日本はパラオに何をしたのでしょうか?調べてみると、驚くべき事実が浮かび上がってきました。

実は今から90年ほど前、パラオは日本の植民地だったのです。ふつう植民地といえば、自由を奪われ、一方的に 搾取されるそんなイメージがありますが、そんなことをした国に対して、なぜ敬意を表し、国の最高の象徴とも言える国旗をマネたのでしょうか?その答えは、、

P.S.:もしあなたが、「日本はアジアの国々に対して、とてもひどいことをした侵略国家だ」そんなメディアの報道に少しでも疑問を持っているなら、、これからお話しする、かつて30年もの間、日本に植民地として支配されていた「パラオ」のエピソードを知ることで、嘘偽りない歴史の真実を知ることができるでしょう…
ダイレクト出版 藤井厳喜事業部 神代知沙

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ダイレクト出版に、過去に何度も国旗の話についてメールしましたが、返信は無く、完全に無視されてしまいました。講座を買った事もあるのに、なんてことだとあきれました。藤井厳喜氏と上島嘉郎氏にもコメントしたけど、ダイレクト出版と同様に なしのつぶて でした…。

何故?パラオ🇵🇼の国旗をデザインをした人がそのような事を言っていないのに、日本の国旗を真似たの〜少しずらしたの〜、ど〜のこ〜のって話にしちゃうのでしょう?ちょっと調べれば、それは違うと…すぐバレてしまう話なのに。

その感違いを訂正してもらおうと、何度も何度もメールしたのに、無視をし続けた ダイレクト出版の神経が本当に理解できません。ダイレクト出版の顧客対応は最悪だと思いました。100%無視の対応は本当にヒドいですよ。そこまで話を盛って、美化しなくても良いのに。そ〜ゆ〜ことをする人にはなりたくないと思いました。

そんな事があってからもう何ヶ月も経ちましたが、なんと!ダイレクト出版は…、また同じ話を繰り返しやってるので驚きました。ここの会社の姿勢がよくわかる。残念ですが、どうやら藤井厳喜氏も同じ考えのようですね。とほほのほ…🐧💦

👇下記の国旗の話は違うのに、それををいつまで続けるつもりなのだろう?👇

👇パラオの国旗の作者が何と言っているのか?下記ブログで、ご確認ください👇

パラオの国旗をデザインした人は、「全部違うね。私はもちろん日の丸を知っているが、特別にそれを意識してデザインしたわけではない。日本は日本、パラオはパラオだ。」と、ハッキリと「違う」と言っているのですから、いつまでもいつまでも、「パラオの国旗は、日本の国旗を真似た説」に固執せず、潔くやめて欲しい。このように、まるで美化するようなを事を言い続けるのは、かえって英霊の方々に大変失礼で、とても愚かなことだと思いませんか…




( 👇下記は、吹浦氏のブログよりの転載です👇 )


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             Skebong氏と吹浦氏

 今月2日、私はJohn Blau Skebong氏を
パラオ共和国の前の首都で、
最大の町であるコロールの
ご自宅でお目にかかりました。

 この人は1979年、パラオの国旗が公募されたとき、
これに応じて当選し、それが現在の国旗になった
その発案者です。

 ご自宅は私が泊まった日航リゾートホテルから
タクシーで15分くらいのところでした。

コロールの町外れに近いところを左折して、
海岸に面したところにお宅はありました。

 いかにも熱帯海洋性気候のパラオの家らしい
風通しのいい、大きな部屋で、壁を背に、
大家族の大半がソファに座り、
テレビを見ていました。脳梗塞の後遺症で
やや言語に聞き取りにくいところがあり、
途中からパラオ語で話してもらい、
お嬢さんに英語に通訳してもらいました。

 家族をいろいろ紹介されましたが、
あまりに大家族で、とても覚えられませんでしたが、
奥様とそのまたお母様、子ども、孫ったちが
ごいっしょのようです。

 82歳の義母は日本語を久々に話すといいながら、
とてもお上手でした。女学校まで日本時代でしたから
ということでした。

 同氏はアルモノグイ州知事の実兄です。

私「体調が芳しくないというのにご無理を言って
  申し訳ございません。日本ではパラオの国旗に
  諸説があって混乱していますので」

S「どういう混乱かな?」

私「①パラオの国旗は日本の日の丸を真似したという説、
  ②日の丸の太陽に遠慮して、照らされて輝く月にした、
  ③日の丸が旗面の中心であることに遠慮してすらした」

S「全部違うね。私はもちろん日の丸を知っているが    👈‼️否定してます 🐧💦
  特別にそれを意識してデザインしたわけではない。
  日本は日本、パラオはパラオだ。あなたは
  パラオの満月を知っているか?」」

私「あいにく、今回はほとんど月の出ない時期で・・・」

S「それはいかん。いや、気の毒じゃ。今度は
  是非、満月のときにいらっしゃい。それはそれは
  感動的な夜景だよ」

私「はい。国立博物館で満月の夜、みんなが踊る
大きな油絵を拝見しました。月が文化や生活の
中心になってきたことを感じさせるものでした。
是非、またトライしたいと思います」

S「そうするがいい」

私「ところで、あなたは・・・」

S「1935年生まれ。日本時代に10年過ごした」

私「戦後は日本には?」

S「船乗りをしていたので、若いころはよく行ったよ。
  大阪、東京、神戸・・・懐かしいね」

私「いつごろですか?」

S「1950年代だね。その後は教師になったので、
  行っていない。ずいぶん発展したようだね、日本は」

私「ドイツ系の一族とか?」

S「いや、はっきりしたことはわからん」

S氏の妻「この人のお母さんは
本当に色の白い方でした」

S「たぶんスペイン系かドイツ系ということだろう。
  オヤジもパラオ人にしては白かった」

私「スペインが15年、ドイツがこの島を買
い取って15年」

S「その後、第一次世界大戦で日本が勝って
国際連盟の委任統治ということで31年統治した。
スペインは宣教以外何もせず、ドイツは
アンガウル島でりん鉱石の開発かな。日本が
教育、経済、何でもやってくれた」

私「その後がアメリカ、ま、国連の信託統治ということですが」

S「だから私の名前も、ジョンは英語、
ブラウはドイツ語の青」

私「Skebongは?」

S「ドイツ系の言葉らしいが英語読みでスキーボング」

私「?」

S「スキーボン、スキェボン」(旨く聞き取れず)

私「デザインをしたときに月を竿側にずらしたのは?」👈 国旗の話を再び🐧💦

S「最初はまん中に置いたんだよ」            

私「で?」

S「試みに少しずらした旗を作ってみたら、なかなかいい」

私「却って真ん中に見えるということでしょうね」

S「結局、横の10分の1ずらした」

私「色に遠く別の意味を含んだのですか」

S「空色はパラオの海の色。黄色はproudとか unity」

私「日の丸のことは」

S「考えなかった。さっきも言ったよ」          👈‼️ここでも否定してます 🐧💦

私「はい、失礼しました。
  応募数はどのくらいでしたか?」

S「私は20作品くらいと聞いていた」

私「一説には70とも100とも言われている」

S「そうかね。選考委員は
  Ngiraklang Malsol氏を委員長とする
  特別の委員会だった」

私「Malsol委員長はどうしておられますか?」

S「残念ながら亡くなったよ」

私「お体の具合が悪いようだが」

S「5年ほど前に脳の病気をしてご覧の車椅子生活だ」

私「急な面会の申し込みをお受けくださって
  ありがとうございます」

S「これで日本での混乱も治まるだろう」

私「重ねて御礼申し上げます」。



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