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百田尚樹さんの「永遠のゼロ」が元共産党員の恋の橋渡しをしたという不思議。🎉 ㊗️💐🐧💦

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百田尚樹さんの「永遠のゼロ」が元共産党員の恋の橋渡しをしたという不思議。 | ご存じ無いかもしれませんが、恋愛小説家です。
https://ameblo.jp/takeyama35hinaho/entry-12681229079.html


百田尚樹さんの「永遠のゼロ」が元共産党員の恋の橋渡しをしたという不思議。

2021-06-17 22:33:45

週刊文春のコーナー「結婚」。今回はジャーナリストの篠原常一郎さんと由佳さん。 (「週刊新潮」の間違いだと思います。。。🐧💦 )

篠原さんは元々共産党員。筆坂秀世さんが国会議員をされていた時に秘書をされていたそうです。

篠原さん曰くは単なる秘書というよりも、疑惑追及の情報収集をされていたのだとか。つまり、スパイ。
鈴木宗男さんが斡旋収賄事件を起こした時や村上正邦さんがKSD事件を起こした時に活動されていたそうです。

2004年に党幹部を批判したとして査問にかけられて、党を除籍されたそうです。さすがは階級は絶対の共産党。
それ以来、ジャーナリストをされているそうです。

奥さんの由佳さんはリクルートに元々勤務されていてましたが、その後、発達障害を支援するNPO法人を設立されたそうです。

こんな二人がどこで出会ったかというと、ウェッブサイト「日本共産党・民青同盟悪魔の辞典+」だそうです。

ここに書かれる共産党へのぼやきが面白くて、由佳さんが読んでいたそうです。12年ごろにこのサイトのオフ会に参加。ここで篠原さんと出会います。
2人とも歴史好きという共通点があって、気が合い、会うようになります。

当時、由佳さんは体が悪かったそうで、篠原さんはお見舞いに来てくれたそうです。救急搬送された病院でも先生のお話を一緒に聞いてくれたりしたそうです。心の支えだったとか。 

ある時篠原さんは由佳さんのお爺さんが、海軍の名パイロットだと知ったそうです。マレー沖海戦で英国戦艦プリンス・オブ・ウェールズを沈めた舞台にお爺さんはおられたそうです。
後年は飛行機の教官になったそうで、百田尚樹さん作の小説「永遠の0」に出てくる宮部久蔵そっくりだなぁと言ったそうです。

それから、取材で潜入なんかを一緒に訪ね歩くうちに14年ごろから同居を始めたのだとか。

なんと、共産党員だった方がバリバリの保守派百田尚樹さんの「永遠の0」が取り持った縁でお付き合いを始められたのです。 

由佳さんの勧めで篠原さんはSNSで時事問題に関する情報を書くようになります。すると、フォロワーが6万人を超え、2年前から始めたYOUTUBEは23万人の登録者を超える人気チャンネルになったそうです。

そこでは共産党時代はタブーだった北朝鮮の拉致問題についても話しておられるようです。 

篠原さんは4000万円ほど借金があったそうですが、それもグーンと減ったのだとか。

由佳さん不満があったそうです。現場から放送するので、編集や撮影をするために由佳さんも同行されていたそうですが、誰?この人。とい怪訝な顔で見られたそうです。

誰にだろう?視聴者?取材相手?

それで、結婚しようかとなったそうです。昨年の12月28日に入籍されました。
篠原さん60歳、由佳さん54歳。
末永くお幸せに。


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「大艦巨砲主義の終焉(プリンス・オブ・ウェールズ 撃沈)」

大艦巨砲主義の終焉(プリンス・オブ・ウェールズ 撃沈) 

1941年12月10日、日本軍の上陸を阻止するため出撃した英国海軍の戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」は、日本海軍航空機(九六式陸攻、一式陸攻)の雷撃及び爆撃により、僚艦「レパルス」と共にマレー沖にて沈没した・・・・・

マレー海戦・・・太平洋戦争開戦直後の出来事です。

「プリンス・オブ・ウェールズ」 は、キング・ジョージ5世級の2番艦で
35.56cm(14インチ)砲を4連装2基(前部、後部に各一基)
連装1基(前部に配置)の10門装備の大型最新鋭戦艦

東洋艦隊の旗艦として1941年10月25日に配備されます。
英国首相チャーチルのお気に入りの船でもありました。

この撃沈の報告を聞いた首相チャーチルは、「あの艦がー‼️」と絶句し、
「戦争全体で(その報告以外、)私に直接的な衝撃を与えたことはなかった」と
著書の第二次世界大戦回顧録で語っている。

マレー沖海戦で最新鋭戦艦が航空機の攻撃で撃沈された事は
対空砲多数を装備した新式戦艦でも、航空機の攻撃に
対処出来ないことが露呈し、それまでの大艦巨砲主義
(世界の海軍がその主力たる戦艦の設計・建造方針に用いた思想)
から今後、海戦の主役が航空母艦に切り替わる重要性を
世界に知らしめることとなり、各国海軍の考え方を180度
変えるものとなります。

しかしながら、この作戦を行なった日本海軍は
航空機の重要性を認識しながら、軍令・戦術方針における
大艦巨砲主義が依然根強く、航空母艦を増産した米国海軍との違いが、
後のミッドウェイ海戦において主力空母を失って以降もあくまでも戦艦中心の
第一艦隊ありきの考え方は変る事がありませんでした。
1944年2月に第一艦隊が廃され、翌月に第一機動艦隊が創設されたことにより、
ようやく軍令・戦術方針においても大艦巨砲主義が終焉を迎え、
機動艦隊が最重要視されることとなりますが、主力の航空母艦はすでに無く
戦局は既に終盤にあり、退潮の趨勢を変えることはでませんでした。

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