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(ビデオ再公開♪) 〜📚読書ゼミ📚〜 内村鑑三 『 代表的🇯🇵日本人 』 を藤井聡氏が徹底解説‼️

(メルマガより〜 ✍️🐧💦)

https://pages.keieikagakupub.com/24bc2021-v1_54/   👈 ビデオ再公開 (8/18)

件名: [明日〆]五輪開幕式の闇-明治日本の対外PRとの差異
日付: 2021年8月16日 


東京オリンピックの開幕式をみて、
ほとんどの国民がガッカリするとともに、
強い恥辱を感じたかと思います。

何よりもまず、菅総理は、
陛下がお言葉を述べられておられる時、
着座のままで、慌てて途中に起立するという
未だかつて聞いたことのない失態を演じました。


世界で唯一の「エンペラー」の御前で、
国民の代表であるはずの総理大臣すら
敬意を表する能力を失ってしまっている...
そのくらい日本人は無礼なのだと、
世界に発信したと言っても過言ではありません。


また、開幕式にまつわる演出のどれもが、
日本らしさを欠いた的外れなモノばかりでした。

・なぜ日本人の間でのみ人気の芸人の寸劇を?

お笑いタレントのなだぎ武さんが寸劇で登場。

日本人なら面白おかしく感じるかもしれませんが、
あえて五輪の場で行うべきものなのでしょうか?

なだぎ武さんを知らない海外の人が見て、
感動することができるでしょうか?

・なぜ外国産のタップダンスやジャズピアノを?

世界的なタップダンサーがタップダンスを、
世界的なピアニストがジャズピアノを披露しました。

それぞれ素晴らしいものではありますが、
それを見せることで「日本って素晴らしい国だな」
と思われることに繋がるでしょうか?

もし外国の五輪でその国の方が、
「プロ級の三味線演奏」を見せたところで、
「へぇ、外国人なのに三味線得意なんだ」
「でもなんで日本の文化を開幕式で使ってるんだ?」
と疑問に思うだけではないでしょうか。

・なぜ「イマジン」を?しかも、日本人以外に歌わせる?

ジョンレノンのイマジンが流されましたが、
それを歌っていたのは、
アフリカ、アメリカ、オセアニア、
ヨーロッパのそれぞれを代表する選手。

世界平和を願うためにイマジンというのも
陳腐な選曲ながら、なぜわざわざ日本以外の曲を、、

しかも、歌っている人も日本とは無関係の四人、、、
キワメツケは、事前で録画された「ビデオ」を流すという始末...


これらの演出をみて、
「やっぱり日本は素晴らしいな」
という反応をする外国人がどれだけいるでしょうか。


そもそも、なぜこのような、
「日本らしさ」に欠けた開幕式となったのか...

それは、
博報堂出身のプロデューサーの日置氏が、
日本、国家を軽視した人物であったからです。

それは、日刊スポーツに掲載された
インタビュー記事からもわかります。


式典コンセプトは
「Diversity and Inclusion」
と誇らしげに語った上で、

「コンセプトの日本語は用意していない。
 世界に分かってもらいたいということで英語のみになった」
と答え、挙句の果てには、

「この時代に『国民は』とかいう表現は完全な時代遅れだ」
と平然と言ってのけたのです。


このように国益を忘れ、
日本らしさを捨てることで
「日本はグローバル・スタンダードだ」
と世界に媚びへつらったのが、
先日の五輪の開幕式だったのです。

誠に残念だと言わざるを得ません。

一方、昔の日本人はどうだったのでしょうか?


日本が近代化を果たす明治時代、
今と正反対の対外PRを行っていました。


欧米が急速に成長する日本を疎む中、
明治日本は「あなた達と同じですよ」
と媚びへつらうことなく、、
「日本には日本の良さがあるんだ」
とアピールしていったのでした。

その1つの書籍が、
内村鑑三の『代表的日本人』です。

本書を読んだケネディ大統領は

「代表的日本人は素晴らしい。
 特に上杉鷹山が素晴らしい」
という反応を示したという逸話があります。

現代の日本人が日本の魂を失っている中、
日本人に独特の「気概」「信念」「徳」を
しかと記録した『代表的日本人』を読み返すことは、
大きな意義があることだと思いませんか?

PS

Q.無人島に1冊だけ持っていくとしたら、
 どの書籍を持っていきますか?

A.間違いなく『代表的日本人』です。

と藤井先生が答えるほどの書籍が、
内村鑑三の『代表的日本人』です。

これは何も藤井先生が仰っているだけでなく、
世界的にも評価されているという事実があります。

アメリカの第35代大統領の
ジョン・F・ケネディも本書を読み
「代表的日本人は本当に素晴らしい。
 特に上杉鷹山は素晴らしい」
とコメントしたという逸話もあります。

もともと『代表的日本人』は、
明治時代の日本が欧米列強に肩を並べつつある時に、
日本人の精神性の深さを世界に知らしめようと、
英語で出版されたものでした。

当時、日本を世界に紹介し大評判を呼んだ書籍で、
新渡戸稲造の『武士道(Bushido)』、
岡倉天心の『茶の本(The Book of Tea)』
の2つがありますが、それらと並んでいるのが、
内村鑑三の『代表的日本人』です。

海外に向けて書かれたものではありますが、
日本人に向けて書かれてもいました。

キリスト教文明に勝るとも劣らない
深い精神性が代表的日本人に宿っていることを指摘し、
安易な西洋礼賛で本来のよさを失いつつある
近代日本への警告を行ったのです。

これは、今の日本に向けた重大な教訓でもあります。

「気概」「信念」「徳」—

本書には、現代の日本人が忘れてしまった
大切な日本の魂が温存されています。

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それにしても、DaiGo の大炎上・・・あまり良く知らなかったけど、こんな事言ってたんですね。 馬脚が見えてしまいましたね、メンタリスト?DaiGoって方は…。

👇 (メルマガよりの抜粋&転載です)

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件名: [本日〆]  DaiGo大炎上-失われた日本人の精神性
日付: 2021年8月17日

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【New!表現者オンライン読書ゼミ
 直前割引は本日8/17(火)23:59まで】

新渡戸稲造『武士道(Bushido)』
岡倉天心『茶の本(The Book of Tea)』と並び、
世界に衝撃を与えた日本三大名著の1つ...

内村鑑三『代表的日本人』
を藤井聡氏がライブで徹底解説します!

欧米に勝るとも劣らない深い精神性が
代表的日本人に宿っていることを指摘し、
安易な西洋礼賛で本来のよさを失いつつある
近代日本への警告を行った名著です。

「気概」「信念」「徳」—

現代の日本人が忘れてしまった
大切な日本の魂を今こそ取り戻しませんか?

↓ ↓ ↓

内村鑑三『代表的日本人』を 藤井聡氏が徹底解説!

https://pages.keieikagakupub.com/24bc2021-v1_54/    (8/18 ビデオ再公開中)


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あなたはご存知ですか?

今、メンタリストDaiGoが
大炎上していることを。

8月7日公開のYouTube動画がきっかけで、
多くの人からヒンシュクを買っています。


「僕は生活保護の人たちにお金を払うために
 税金を納めているんじゃないからね」

「生活保護の人が生きていても
 僕は別に得しないけど、
 猫が生きてれば僕は得なんで」

「猫が道端で伸びてたら可愛いなぁと思うけど、
 ホームレスのおっさんが伸びてると
 『なんでこいつ我が物顔で
  ダンボールひいて寝てるんだろな』と思うもんね」

「自分にとって必要のない命は僕軽いんで。
 ホームレスの命はどうでもいいんで」

「みんな思わない?
 どちらかっていうとホームレスって
 いない方が良くない?」

「言っちゃ悪いけど。邪魔だしさ、
 プラスにならないしさ、臭いしさ」


貨幣観が間違っている点も問題ですが
それ以上に、同じ日本国民に対して、
「クサい。ジャマ。命いらなくない?」
と筆舌に尽くしがたいヒドい考えを
持っていたことが致命的です。

発言の直後、プチ炎上が起こると

「自分の家族とホームレスと
 どちらの命しか救えませんとなったら
 自分の家族の命を救うじゃないですか」

「命は平等っていうけど優劣は全然ある」

「これは別に個人の意見じゃないですか。
 それに対して謝罪っていうのは別に」

と開き直りました。


それがきっかけでさらに炎上する事態となったのです。

さすがに「マズい」と判断したのか、
8月13日に謝罪動画を投稿。


更に重ねて、8月14日夜にも、
スーツ姿で謝罪動画を配信しました。


しかし、
超えてはいけない一線を超えてしまったのか
まだ炎上は収まる気配はありません。

いったいなぜ彼は、
このような発言をしてしまったのでしょうか?

1つだけ確かなのは、彼の思想・発言には
これまで日本で大事にされてきた美徳が
欠落していたということです。

江戸時代屈指の名君「上杉鷹山」は、
このような考えを持っていたと紹介されています。


「自己に天から託された民
 経済と道徳とを分けない」

つまり、、

自分の周りにいる民は、
天から「預けられた」ものであり、
自分の思い通りに自由に扱っていいものではない。

あわよくば、より良くして
天に返さなければならない。

間違っても、
弱者や敗者を切り捨てるようなことは
あってはならない。


また、経済的合理性だけで物事を考えず、
道徳といったかけがえのないものも大切にする。

そういった考えを持っていたのです。


そして、この考えこそ、
私たち日本人が昔から育て、
大事に守り抜いてきた価値観です。

だからこそ、それを全く無視した
DaiGoの発言は多くの人から批判されるに至ったのです。


ただ、今はDaiGoが炎上していますが、
なにもこの問題は彼に留まる話ではありません。

日本の政治家、官僚、
はたまた一般の国民についても、
同じような問題を抱えている人は多くいます。

もし、そんな冷たい考え方、
他の国民は切り捨てていいという思想が
日本中を覆い尽くしてしまったら、
カンタンに国家は解体されてしまうでしょう。

私たちは、今一度原点に立ち返り、
日本人の精神性を取り戻さなければなりません。

そこで今回、「代表的日本人」を通じて、
「気概」「信念」「徳」—
現代の日本人が忘れてしまった
大切な日本の魂を今こそ取り戻すべく、、

「表現者オンライン読書ゼミ」を
開催することに決定いたしました。


先日からお伝えしているように、
直前割引でお申し込みいただけるのは、
本日8月17日(火)23:59までです。


ぜひ今すぐ詳細をご確認いただき、
8月29日(日)18:30-20:30の
オンライン読書ゼミにご参加ください。

(お申し込み者全員に、
 アーカイブ版をプレゼントしますので
 当日ご参加が難しくても後日ご受講可能です)


↓ ↓ ↓

>詳しくはコチラ (8月18日現在、、、ビデオは再公開されています。)

内村鑑三『代表的日本人』を 藤井聡氏が徹底解説!

とりあえず、こんな動画もあったので下記👇に貼っておきます。

・・・・・・・

・・・・・・・

代表的日本人 | 内村鑑三,齋藤慎子(現代語訳) | 致知出版社 オンラインショップ
https://online.chichi.co.jp/category/BOOK/979.html

海外との交流が盛んになってきた19世紀末、キリスト教指導者内村鑑三が「日本人にもこんな人物がいる」と世界に伝えようと英語で書いたのが本書だ。
その日本人の代表として取り上げたのは西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮の5人。維新の立役者、藩主、農民、儒学者、僧侶と、その人選のバランスに著者の慧眼を感じる。
その5人の生い立ちから時代の中で果たした役割、私生活までが過不足なく語られる。とりわけその内面を当時の欧米人にもよく分かるよう、聖書の言葉や歴史的人物を例に出しながら解説している。本書が書かれたのは百年以上前のことだが、そこに書かれていることは決して古色蒼然とはしていない。それはできるかぎり現代の言葉に置き換えた翻訳の力もあるだろう。同時に、ここに書かれた5人の生き方が「代表的日本人」として現代にも通じるということに他ならない。

<目次>
西郷隆盛 新しい日本の創設者
上杉鷹山 封建藩主
二宮尊徳 農民聖者
中江藤樹 村の先生
日蓮上人 仏教僧侶
解説 「日本人とは何か」を考えるには、外からの視点も不可欠

・・・・・・・

『代表的日本人』 ゲスト講師 若松英輔
内村鑑三とは誰か

『代表的日本人』は、内村鑑三の主著といってよい一冊です。刊行から百年以上が経過していますが、今も多くの人の心を動かし続けています。
しかし、今日、内村の名前を知る人が少なくなっているように思われます。この本を皆さんと読み解くにあたって、まず、内村鑑三とは誰か、この人物を何と呼ぶべきか、どんな使命を背負って生涯を送ったのかを考えてみたいと思います。

一般に、内村鑑三が紹介されるとき、よく「キリスト教思想家」と書かれています。誤りではないのですが、彼が考えていたキリスト教と、世に知られているキリスト教が、少し異なることは理解しておかなくてはならないように思います。彼は、従来のキリスト教のあり方にとても大きな疑問を投げかけました。教会は不要なのではないか、教会で行われる儀式、それを執り行う聖職者も不要なのではないかと語ったのです。すべての人間は、個であるままキリストと結びつくことができる、といい、「無教会」という立場を説いたのでした。

内村鑑三は、一八六一年、高崎藩の下級武士の子として生まれました。札幌農学校でキリスト教に出会い、洗礼を受けます。同級生には『武士道』の著者で思想家の新渡戸稲造、植物学者宮部金吾らがいました。卒業後、彼はアメリカにわたります。そして、それまでのことを書いたのが英文の自伝『余は如何にして基督信徒となりし乎』で、この本は内村の生前から世界各国で広く読まれました。彼は、自分にとってのキリスト教は、西洋からもたらされた外来の宗教ではなく、日本人の心の求めとして結実したものであると語りました。

『代表的日本人』は、その希求する働きが、古くは日蓮に発したもので、西郷隆盛まで脈々とつながり、ついに自分に到達したということを述べた本でもあります。
帰国後、第一高等中学校の教師をしていたとき、教育勅語への礼拝を十分にしなかったことが不遜とされ、社会から厳しく弾圧されることになります。これはのちに「不敬事件」と呼ばれます。この出来事により、教職を追われ、同志だと思っていたキリスト教会からも追われることになります。さらに彼は、病を背負い、生死の境をさまようところまで行きます。このとき、世に見捨てられた内村を支え、献身的に看病したのが、妻かずでした。内村は回復しますが、妻が亡くなります。このとき、彼は『基督信徒のなぐさめ』と題する本を書きます。この本が、思想家内村鑑三の誕生を告げることになります。この本で彼は、はじめて「無教会」という言葉を用いています。

内村をめぐっては「二つのJ」という表現を聞いたことがあるかもしれません。イエス・キリスト(Jesus)と日本(Japan)です。彼はこの「二つのJ」への献身を誓います。それは神と隣人と言い換えることができるかもしれません。理想と現実とも言えます。『代表的日本人』は、この「二つのJ」を生きた内村の境涯を知るにもとても重要な一冊です。

『代表的日本人』(一九〇八年)は、日本が近代化を推し進めていた明治時代、英語で出版されました。この本は、同時期に、同じく英語で書かれた新渡戸稲造の『武士道』(一八九九年)、岡倉天心の『茶の本』(一九〇六年)とともに、日本人の精神性を世界にむけて発信した名著のひとつとして知られています。

この本が取り上げているのは、西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮の五人の生涯です。しかし、実際に読んでみると、彼らの歴史的業績や名言を連ねた、いわゆる偉人伝とは違うものであることに、すぐ気が付くと思います。じつは、この本の本当の主役は五人の人間ではなく、彼らを超えたものの存在なのです。

それを内村は「天」と書いています。人は、「天」に導かれるとき、どのように人生を切り拓き、苦悩や試練と向き合うことができるのか。また、そこで他者と時代と、どのように関係を作り上げてゆくことができるのかが、この本には活き活きと語られています。また、ここに登場する五人は、内村の先達であり、彼の鏡のような存在です。この本は他者の伝記のかたちをした内村鑑三の精神的自叙伝でもあるのです。

『代表的日本人』は、西郷から日蓮へとおおよそ時代をさかのぼるように書かれていますが、逆に、精神的にはどんどん内村に近づいていくという構造になっています。武士の家に生まれても時代が変わって武士としては生きなかった内村にとって、西郷は時代や生まれは近いけれども、立場的には遠い人でした。鷹山、尊徳、藤樹は、内村がなり得た人物です。内村は、鷹山のように無教会という精神的共同体を率い「聖書之研究」という雑誌を長く刊行し、全国に勉強会の集まりをつくってゆくなど尊徳を思わせる実践家としても優れていました。藤樹のような教育者として生きた時代もありました。広い意味でいえば、内村は、時代の教師でもあったのです。そして、キリスト教徒である内村にとって、心情的にいちばん近しい人は、いちばん時代の離れている、異教徒の日蓮だったのです。

五人の生涯は、内村のなかにある可能性であり、生きる力の象徴でもあります。私たちは必ずしも内村のように西郷を、日蓮を読む必要はありません。本に「正しい」読み方などないのです。私たちは内村の言葉をたよりに「私の西郷」「私の日蓮」を見つけてよいのです。さらにいえば、私たちはそれぞれ、内村とは全く別な「私の代表的日本人」を書くことすらできるはずです。

また、『代表的日本人』のような古典は、人生のさまざまなときの、別々な語りかけをしてきます。良書は、読まれることによっていっそう豊かになっていきます。それは読者とともに育ち、読者によって完成されるものです。五人すべてに関心が持てなくてもよいのです。今の「私」にとっての「代表的日本人」を見つけるような心持ちで、この小さな、しかし、力強い言葉に満ちた本を読み進めていただけたらと思います。

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            ジョン・F・ケネディも絶賛

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            (アメリカ第35代大統領)
            代表的日本人は素晴らしい。

            特に上杉鷹山が素晴らしい。

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発表!

シークレット読書ゼミを遂に解禁...
この度、表現者ブランドと経営科学出版が共同で「表現者オンライン読書ゼミ」を立ち上げます。

なぜ「読書ゼミ」を行うのか?それは、あなたに「真の教養」を身に着けていただきたいからです。

一般的に「教養がある人」というと、「単に物知り」だとか「雑学王」といったイメージを持たれるかもしれません。しかし、真に教養がある人というのは、そうした表面的な知識を持つのではなく、さまざまな分野において「深い知識」を持ち、仕事や日常生活で「適切な予測・判断」を行うことができる人のことを指します。

なぜ表現者グループの識者が、社会の混乱に惑わされること無く、「軸」を持って「適切」な判断を下すことができるのか。鋭い洞察を持って「物事の本質」に迫ることができるのか。それはひとえに「真の教養」を身に着けているためです。

では、「真の教養」とは、いかにして獲得できるのでしょうか?

その最も有効な手段の1つが「良著に触れること」だと藤井氏は言います。


良著は裏切らない
真の教養を身につける方法

この世には、知性を磨く上で重要な本がいくつも存在しています。それが、いわゆる「古典」「名著」「良著」として認められる本です。

今の日本では、1日におよそ200冊、1年で7万冊の書籍が出版されています。日本だけでこの数ですから、世界全体では果てしない数になるでしょう。

そのような中、どの時代でも評価を受け、現代までダイヤのような輝きを放ち続ける書籍には、この世の原理原則や重要な教訓・学ぶべき叡智がギュギュッと詰まっています。

「100冊のビジネス書を読むより1冊の名著を何度も熟読せよ」と言われる通り、「古典」「名著」「良著」は私たちを裏切りません。

だからこそ、真の知識人たちは必ず読むべき「古典」「名著」「良著」を舐め回すように読み込み、日々、知性と教養に磨きをかけ続けているのです。

また、「ハーバード式教育法」などといった新しい教育法が日々生み出される中で、過去から一貫して「読書ゼミ」が各大学で行われているのも、その有効性が広く認められているからでしょう。  (省略)


内村鑑三『代表的日本人』を藤井聡氏が徹底解説!

ジョン・F・ケネディも絶賛:代表的日本人は素晴らしい。特に上杉鷹山が素晴らしい。

今回解説する書籍は、、世界に衝撃を与えた日本三大名著の1つ
『代表的日本人』(解説:藤井聡氏)
Q.無人島に1冊だけ持っていくとしたら、どの書籍を持っていきますか?
A.間違いなく『代表的日本人』です。と藤井先生が答えるほどの書籍が、内村鑑三の『代表的日本人』です。

これは何も藤井先生が仰っているだけでなく、世界的にも評価されているという事実があります。アメリカの第35代大統領のジョン・F・ケネディも本書を読み「代表的日本人は本当に素晴らしい。特に上杉鷹山は素晴らしい」とコメントしたという逸話もあります。

もともと『代表的日本人』は、明治時代の日本が欧米列強に肩を並べつつある時に、日本人の精神性の深さを世界に知らしめようと、英語で出版されたものでした。

当時、日本を世界に紹介し大評判を呼んだ書籍で、新渡戸稲造の『武士道(Bushido)』、岡倉天心の『茶の本(The Book of Tea)』の2つがありますが、それらと並んでいるのが、内村鑑三の『代表的日本人』です。

海外に向けて書かれたものではありますが、日本人に向けて書かれてもいました。

キリスト教文明に勝るとも劣らない深い精神性が代表的日本人に宿っていることを指摘し、安易な西洋礼賛で本来のよさを失いつつある近代日本への警告を行ったのです。

これは、今の日本に向けた重大な教訓でもあります。

「気概」「信念」「徳」―

本書には、現代の日本人が忘れてしまった大切な日本の魂が温存されています。


                西郷隆盛

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               新日本の創設者


               

                上杉鷹山

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                封建領主


                二宮尊徳

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                農民聖者


                中江藤樹

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                村の先生


                日蓮上人

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                 仏僧

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まだ、【 ⚠️ 🏗 工事中 🏗 ⚠️ 】です。。。✍️🐧💦



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本ゼミ解説者:藤井聡
1968年奈良県生まれ。京都大学卒業。同大学助教授、東京工業大学教授などを経て、京都大学大学院教授。京都大学レジリエンス実践ユニット長、2012年から18年まで安倍内閣・内閣官房参与を務める。専門は公共政策論。

<受賞歴>
1997年度:土木学会論文奨励賞(土木学会)「個人の生活行動と 動的な交通流を考慮した交通需要予測手法に関する基礎的研究[総合題目]」
2003年度:土木学会論文賞(土木学会)「土木計画における社会的ジレンマ解消に向けた理論的・実証的研究[総合題目]」
2005年度:日本行動計量学会林知己夫賞 (優秀賞)[(日本行動計量学会)「リスク態度と注意-状況依存 焦点モデルによるフレーミング効果の計量分析-」
2006年度:第1回「表現者」奨励賞 (雑誌『表現者』)「村上春樹にみる近代日本のクロニクル」
2007年度:文部科学大臣表彰・若手科学者賞「社会的ジレンマについての処方的研究」
2008年度:第4回米谷・佐佐木賞(社団法人システム科学研究所)「交通シミュレーション・交通行動変容・社会的都市交通施策研究」
2008年度:交通図書賞 (財団法人交通協力会)「モビリティ・マネジメント入門」(共著)
2009年度:第11回日本社会心理学会奨励論文賞(日本社会心理学会)「地域コミュニティ保守行動に 関する進化論的検討:階層淘汰論に基づく利他的行動の創発に関する理論的分析」
2010年度:第6回日本学術振興会賞「社会的ジレンマに関する社会科学的工学研究とその実践」
2018年度:土木学会研究業績賞(土木学会)「土木とシティズンシップの学校教育に資する交通・防災・まちづくり・くにづくりの実践研究」
京都大学大学院教授

表現者クライテリオン編集長

藤井聡

「最高の読書とは古典を読むことである」
ドイツの哲学者として活躍したアルトゥル・ショウペンハウエルは読書についてこんな言葉を残しました。


「この世界には、まったくもって読むには値しない悪い書物…"悪書"が雑草のように生い茂っている。雑草というものは、麦の養分を奪い、麦を枯らしてしまうだろう。つまり、悪書というのは読者の"金"と"時間"と"注意力"を 奪い取る存在なのだ。

本来であれば、そういった貴重な資源は良書に向けられて然るべきだ。にも拘らず、我が国の現在の書籍、著作の大半というのは読者から、金と時間をむしり取ることしか考えていない。更に、著者も出版社も批評家も固く手を結び合っている。

・・・であれば 読書をする際の心がけとして大切なのは多くの読者が我先にと、貪り読むような本に軽々しく手を出さないことだ。皆さんに読んでいただきたいのは、比類なき、卓越した精神の持ち主、即ち、あらゆる時代、あらゆる民族の生んだ天才の作品だけだ。それを熟読しなさい。

"悪書"というのは、精神の毒薬であって読む者の精神に破滅をもたらす。 一方、"良書"というのは真に我々を育て、啓発する。 従って、良書を読み過ぎるということもない。

とにかく、良書を読む条件は 悪書を読まぬことだ。人生は短く、時間と力には限りがあるのだから。古典の読書に勝るものはない。古典の大作家のものであれば 誰の本を読んで貰っても構わない例え、わずか30分でもいいから読むと良い。 」


私たちは今まで、兎に角たくさんの本を読みなさいと教わってきました。

しかし結局のところ、読書において本当に大事なのは"量より質"です。 そして古典とは、適切に訳され、正しく紹介されているかぎり、読むべき書物の中で最も良質なもの。 時代や文化の違いを超えて、長年にわたって読み継がれてきた本は、人類の叡智の結晶なのです。

そのような書籍の一つであり、海外に向けた日本三大名著として名高い『代表的日本人』を、藤井先生とともに学びましょう。



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