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深淵を覗く。「プチエンジェル事件」

 「プチエンジェル事件」とは2003年7月に東京都赤坂にあるウィークリーマンションで起きた成人男性による小学6年生4名を監禁した事件である。しかし監禁中に同じ屋内で容疑者は自殺した。
 容疑者のまま死亡した吉里弘太郎(29歳)は無店舗型の未成年者デートクラブ「プチエンジェル」を経営しており、女子高校生をスカウトとして未成年者を勧誘していた。渋谷や新宿で「カラオケ5000円、下着提供10000円、裸体撮影10000円」などと書かれたチラシを配って男性客に斡旋しており、そのほか猥褻ビデオの販売も合わせて行っていた。

2003年7月ごろ
 吉里容疑者が勧誘した少女にホテルの部屋の掃除をさせ、「会ってくれたお礼」として1万円ほどの報酬を払っていた。少女たちは吉里容疑者から「いつでもおいで」と言われており、以降も少女とは携帯電話で連絡を取っていた。
7月11日
 吉里容疑者は持っていたフェラーリ2台を売却し、A(容疑者ではない)という男を使って赤坂にウィークリーマンション(インターナショナルプラザ赤坂No.1の1101号室)の部屋を契約させる。
 最上階11階の2LDKの部屋を借り家賃は吉里容疑者が払っていた。契約の名義人は「ヤマザキ」という名前であった。
7月12日
 吉里容疑者は都内の量販店でポリタンクや鉄アレイを購入している。この際に自殺のための練炭や七輪を購入したと見られている。
7月13日
 吉里容疑者から「部屋を1万円で掃除してほしい」と誘われた少女4人は、「スーパーに行ってくる」などと親に言い午前10時ごろ自宅を出てJR渋谷駅南口のモヤイ像前で待ち合わせたあと、タクシーで2人が、残りの2人がAに連れられて赤坂のマンションに向かった。4人は同じ小学校に通う同級生。容疑者は自分のことを「社長」と呼ばせていた。
 少女たちがマンションで掃除を始めると、吉里容疑者の態度が変わり、手錠と目隠しをされて監禁される。2人は別々の洋間、他の2人は脱衣所で監禁された。手錠にポリタンクや手錠をつけられ逃げられないようにされ、「殺すことだってできるんだぞ」などと言いさらにスタンガンも使って脅されている。さらに逃げようとした2人がスタンガンで負傷している。その後、深夜に帰りが遅いと心配した親により警察に捜索願いが出された。
7月15日
 マスコミにより少女が行方不明になったと報道される。
7月16日午前ごろ
 警視庁は宮里容疑者の逮捕状を請求。2002年3月に中学2年の中学生の少女に6万円を支払い買春した容疑である。さらに捜査員が犯人の住所付近で聞き込みを始める。少女の自宅から「プチエンジェル」と書かれたチラシが発見され、そこに書かれていた携帯電話の番号は容疑者のものだった。
 同日朝9時頃、犯人はダイニングでテント状にしたビニールの中に入り、七輪で練炭自殺を図り死亡した。発見時はビニール製シートの中に仰向けで倒れており、炭が燃えた形跡があった。死因は一酸化炭素中毒とみられ、死後十数時間経っていた。遺体は筒状につなげた2枚のビニールのなかで、椅子から転げ落ちた状態で見つかった。
 実は前日に夜に少女の親類と名乗る男性が「今日は4人とも家に帰らない、全員一緒だが、どこにいるかは言えない」と話して去っている。

7月17日
 正午ごろ、物音が聞こえなくなったことに気づき、少女の1人が手錠をはずして脱出し、裸足で外に逃げ出し近くの花屋に「助けて、助けて、警察を呼んでください」「渋谷でちょっと捕まったの」「友達が残ってるの、早く助けて」と助けを求める。
 花屋の店員が警察に通報し、駆けつけた警察官が4人を保護する。警察官が部屋に踏み込んだ際、少女の1人はショックのあまり、自分の名前も言えなかったほどであった。保護された時は4人は声を上げて泣きじゃくったという。4人は軽い脱水症状や微熱があったが、「食べ物は与えられていた」とのことだった。
7月18日
 事件を受けて翌日には渋谷で売春行為の一斉補導が行われ、少年少女約1500人以上が補導された。

 遺書もなく、犯人が自殺したためこれら監禁の動機は分かっていない。その後の捜査によって、犯人が借りていた別の埼玉県久喜市のアパートから1000本以上のビデオテープが押収されている。同アパートのゴミ置き場には40〜50人分の顧客名簿が捨てられていた。その多くが偽名であったことを理由に捜査は打ち切られている。

吉里弘太郎(29)容疑者について
 高校卒業後は東京藝術大学に通い、大学時代から複数の女性と交際し生活費を援助してもらっていたらしく、いわゆるヒモであったらしい。1993年に父親が頭頸部ジストニアの難病にかかり自殺、1999年に兄も自殺している。2001年に母親も自殺を試みたが未遂に終わっている。容疑者も重度の皮膚病に悩み、6月ごろから自殺願望があることを仄めかしていた。
 その後ホストクラブでアルバイトをしながら、未成年のデートクラブに通っていたらしい。ロリータ趣味の傾向があったようだ。何か才能があったのだろうか、人妻などの買春斡旋を始め、資金を貯め始める。その後少女のデートクラブを開業し、35億円の貯金をしていたとも言われている。2500万円ほどのフェラーリを2台所有しており、高い商才があったのだろう。
 しかし自身も高校生2人との買春により一度逮捕され、事件発生時は執行猶予中だった。「プチエンジェル」は女子高生5、6人にチラシを配らせて勧誘を行っていた。「短時間(30分)でもお金がもらえる」「エッチ系はなし」「やさしいフツーのお兄さんとカラオケしたり、ご飯を食べたり、それだけだヨ」「電話番号は非通知でもOKだヨ!質問、ギモン、なんでも聞いてネ!」などと書かれていた。会員制で年会費60万円、未成年との行為は5万円だったそうだ。
 事件当日は午前11時ごろにとある風俗店に電話をかけ「自分がプレイしているところを女の子たちに見せたい」と派遣を何度も要求していたらしい。それでも断る店長に「今日しかない」と言っていたらしい。自宅からは多額の現金が見つかっている。

自殺について
 椅子を中心にビニールテントを貼り、足元に七輪を置いて煉炭自殺を図ったとされるが、「真相報道 バンキシャ!」では煉炭による熱の発生からビニールが溶けてしまい、一酸化炭素中毒は不可能ではないのかという検証結果を放送した。この番組が主張するには煉炭から出る高熱でテント内は1000度を超え、ビニールシートは溶けてしまうらしい。
 しかし、その後この番組は再度検証が行われ、睡眠薬で気絶していれば大丈夫だという結論に至ったそうだ。明らかに「誰かに殺されたのではないか」説を打ち立てたかったのであろうが、大失敗に終わっている。誰かが殺したのであれば、部屋に入って行く男たちに少女たちが気づくはずはない。

デマゴギー
 報道では「顧客リストの大半は偽名だった」と発表している。事件直後はマスコミが「顧客名簿に載っていたのは医師や弁護士、政治家など」と報道し、ジェフリー・エプスタインのようにスキャンダラスに報じたわけだが、偽名が多いのは当然のことだ。
 そもそも未成年者の性的サービスのために自分の実名や職業などを明かすわけはあるまい。顧客リストの中には政治家や芸能人などがいたとされるが、捜査は打ち切られたためその背後にあるとされたデートクラブの疑惑は真偽不明のまま終わっているとされるが、資産を持つ男どもが性搾取していただけで疑惑も何もない。
 また、犯人の父親は元朝日新聞西部本社社会部長だったため、更にダークエフェクトがかかったのだろう。
 さらに、2003年の衆議院予算委員会にて議員の鴻池祥肇(当時防災担当大臣)は「少女4人も、加害者か被害者か分からない」という答弁をしたことでその真意を問いただされ、発言を撤回している。これが「あなたもその一人では?」という疑惑を深めることにもなったのだろう。
 それらがこの事件が「メディアが急に手を引いた」「急に報道をやめた」「事件を調べていたフリージャーナリストが殺された」などの都市伝説に拍車をかけることになったのだろう。

殺されたフリージャーナリスト
 フリージャーナリストのSさんが2003年9月6日に東京湾で遺体となってトラック運転手により発見されている。
 Sさんは「柏原蔵書」というペンネームで2003年7月に「歌舞伎町アンダーグラウンド」を執筆している。
 被害者の死因は肺にまで達した刺傷で、2002年ごろから自宅の窓ガラスを割られたり、空き巣に入られたりしており、周囲には「中国人に狙われていて、殺されるかもしれない」と話していた。
 発見時遺体は上半身を鎖で拘束され、両手を紐で縛られ、体には錘が付いていた。殴打により頭の陥没骨折が2箇所見つかり、背中には刺し傷が8箇所もあった。なお、犯人の3人は金銭関係のトラブルで逮捕されている。
 この事件も報道規制がかかったかのように不自然な点が多く、裏社会や政界の圧力が関係していると言われている。
 プチエンジェル事件は中国人マフィアとの関連性があり、この犯人が中国マフィアと繋がりがあると囁かれているが、まず中国人はその3人にはいない。しかも事件発生後からわずか2ヶ月で殺害されたことになる。秘められた未成年との性犯罪を2ヶ月で突き止め、大物政治家などから殺されたことになるが、チャイニーズマフィアの犯行ならまず死体は見つからないだろう。

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