見出し画像

中2のときパズドラのガチャ爆死スレに堪えきれず「その石で+297○体作れますよ」と書き込んだら「煽ることしかできんのかお前は」と叩かれたのは、共感の要求に解決を投げることで生じる軋轢の原体験だった。じっさい自分はパズドラを始めて1年目でガチャの費用対効果の低さを見切り、ドロップモンスターの強化に全ての配布石を費やして史上3人目の無課金一面+297を達成し、チュートリアルで引いた「フレイ」以外ドロップモンスターだけで当時の全ダンジョンをクリアしていたので、無垢な親切心から攻略情報を知らせてあげたつもりだった。ゲームはポイントではなく愉悦のための行為であることはもちろん理解していたが、損失回避バイアスを無視しても一喜三憂くらいのオッズに飛び込み続ける大人を見るのは不快だった。

個人への苦情を無関係な他人にぶちまける行為によって世界から浪費される(ことになる)気力の総量について考えても不快になることができる。愚痴を言う人間が公然と他人に要求するのは、無条件に自分のテンションと考えに同調するbot性であり、この点において彼(女)らは自身がしきりに非難する独善的な人種と本質的に変わらない。もっとも、こういう言明ができる立場自体が「嫌いな人に嫌われてもいい環境にいる」という一種の特権であって、余裕のある自分が何層目かの緩衝材になることは今日も徴兵されないための税だと思って我慢している。

「人間関係だけやって死ぬ人」にはなりたくないと常々念じているが、それを隣人に強要するのは不法であることも承知している。しかし反対に、人間関係だけの世界に生きている人はその習熟を強要してくることが多い。たとえ一方に学識が無いことが他方に共感力が無いことと同じくらいコミュニケーションの成立を妨げていたとしても、そしてそれらが同じくらい先天的な資質だったとしても、前者の強要は許されず後者は許される風潮があると思う。自分はどちらが無いことによっても困っているが、知的な関係のほうが責められることが少ないから気が楽だ。

ここから先は

758字
500円の買い切りで過去・未来すべての記事の有料部分が丸見えになるぜ!!!!

大西拓磨のこと好きな人向けの情報。近況、思い出話、グロいポエム、新コンテンツのβ公開(テストプレイ募集)とか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?