キモい男は創作をしろ

たとえば素敵な女の子に出会ったとき、あなたは彼女に何をしてあげられるだろう?

ある人は身体的魅力で彼女を虜にできるかもしれない。
ある人は軽妙な会話で彼女を笑顔にできるかもしれない。
またある人は稼いだお金で彼女を自由にできるかもしれない。

ところが残念なことに、僕は無精ヒゲの下にあばらを浮かせた挨拶もできない高卒ニートである。高すぎる自尊心と低すぎるコミュ力でひとの気遣いを一身に集め、鬱病で引きこもってゴミの一袋も出せない、火葬して花壇に撒くしか使途のない社会のおりものが僕である。もはやあらゆる直接的関与が、彼女の人権を害する行為のように思われる。
……こういった場合、僕に残された最後の手段は創作になる。

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ここで言う創作とは、生身の自分ではない「もの」を生み出し、それを通して他者と関わることである。「もの」にはサーヴィスや社会インフラも含まれるので、働いている人は既に創作をしているとも言える。もとより、社会に何らかの影響を及ぼしている時点で人はみな広義のアーティストであり、創作というのも、才能があるとないとに関わらず、行き場の無くなった人間はすることになる、という性質のものだと思う。

美大生のあいだでは「メンタルがやられてる時にいい絵が描ける」現象が知られているが、これは “アーティストとして成功する” ことの難しさを示唆するいっぽうで、創作がある種のリスクヘッジとして機能するという希望をもたらす。すなわち、キモい男は遺伝子を遺すことができないが、幸いわれわれは人間であるから、かわりに技術やアイデアを世界に遺すことを生き甲斐にできるのである。

たとえば、イメージを画面に詰めて彼女に見てもらう。
たとえば、感動を音に詰めて彼女に聴いてもらう。
たとえば、知識を文字に詰めて彼女に読んでもらう。
たとえば、思いやりを形態に詰めて彼女に持ってもらう。
たとえば、エネルギーを料理に詰めて彼女に食べてもらう。
たとえば、かしこさをソフトウェアに詰めて彼女に使ってもらう。
たとえば、安らぎをアロマに詰めて彼女に嗅いでもらう。
たとえば、発想力を企画に詰めて彼女に笑ってもらう。

創作というのは、時間や体験を圧縮してプレゼントすることで誰でもひとの役に立つことができる素晴らしい方法である。自分の作ったもので彼女の人生を少しでも彩れたら本望だと割り切って努めていれば、そのうち生身の自分を受け容れてくれる人も現れるものだ。

以下サンプル1の話。

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大西拓磨のこと好きな人向けの情報。近況、思い出話、グロいポエム、新コンテンツのβ公開(テストプレイ募集)とか。

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