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嫌いなサーヴィス

Instagramが嫌いだ。“画像主体SNS” を騙りながら、解像度は低いわ、縦長画像は入らないわ、拡大はできないわ、おまけにその通用ジェスチャであるダブルタップが「いいね」に割り当てられている地雷が歓迎のしるしときた。URLも発効しない刑務所のような投稿欄のなかでは、そりゃあひたすらに上位概念を列挙するくらいしか遊びは無いだろう。Facebookもそうだけど、サッカーボール氏は人類の集中力を砕くためにUXを設計するのをやめてほしい。ほらもうみんな、嘘をつくのにしか使ってないじゃないか。


note
は書くInstagramだと誰かが言った。なるほど明かりも消せない無菌室*にハート型の毒餌を撒かれては、言葉は裸ではいられない。ヘッダーとフッターに圧迫され一覧性を欠いたエディタは、ただ逐時的に文字を排泄する営みを奨励する。我々がそんな真似をしても、吐き出されるのはみずみずしいエッセイではなく脱臼した文脈から飛び散る失言だけだというのに、文字数だけ数えて “クリエイター” だとおだてられる軽薄さには今だに慣れない。この無機質な市場で慌ただしく交換されるのは、書かなくてもいいことを書く “おしゃれ” と、それを読み飛ばす “スキル” である。


マシュマロ
が出てきたときは、またかと思った。だいたい匿名質問受け付けフォームなどという、自分語りにすら「訊かれている」という言い訳を求める敗者のSNSはやらないとAsk.fmの頃から言っている。しかもマシュマロは、暴言やセックスといった人間存在の底流を捨象し、誰に言われたかが最も重要であるはずの “賞賛” をこそ匿名化しようという。現実の認識より脳の低負荷を優先するその病弱な理念は、美大生のアナフィラキシーを誘う尖った円柱のアイコンによく表れている。


Adobe
の製品というのは「これやりたくない?専用のボタンを増築しました」を30年やってきただけのつみきのいえである。最も簡単にイメージできるような平面操作をも不可解に言語化し、非自明なコマンドで隠匿し、無用なサジェスチョンで制圧してくれる。ユースケースが独立に細分化されているだけなので、実際にやりたいことには応用できず、学習も足し算でしか進まない。先行者利益に胡座をかき、“デザイナー” の要件をソフトウェア操作の習熟度に貶めた罪は重い。年8万円の法外なサブスクを成約し、ソフトを開いて行う作業の7割はGoogle検索であり、残りの3割は失われた進捗の修復である。隅々まで時代遅れのUI、背景メモリに常駐するクラウドなど、デザインソフトそれ自体が「デザインされていない」という悍ましい光景は、MacBookを180°開くのに十分なフラストレーションになるだろう。

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