自己啓発か社会批判か

 今日は4限からの登校だった。昨日勉強し疲れたのか9時間も寝てしまったので、7時半に起きたのだが、それでも登校までに余裕があった。時間的に余裕があると心にも余裕が生まれる。非常にすがすがしい気分で、毎日このような暮らしができたらいいのにと思う。自分だけじゃなく、労働に苦しんでる人たちが人間らしい生活を取り戻せればいいのにな、と思う。8時間(+残業)も労働する必要ないだろう。どうすれば8時間労働制を廃止し人間らしい生活を取り戻すことができるのか、が知りたい。

 多くの人は8時間労働制を受け入れざるを得なくしてる社会を変えようとするのではなく、その制度に適応することを考えるはずだ。そして自己啓発的なものが資本主義の内部に取り入れられることになる。マインドフルネスや禅といったものをすることによって、雑念を払い集中力を高める。あるいは自己啓発とは反対に、カフェインやエナジードリンクといったものに頼り体を壊してでもその場をしのいで働こうとする。いずれにせよ、働かないといけないという強迫観念に取り憑かれているからこその選択である。そして、それは選択にみせかけた実質的な強制でもあるはずだ。個人個人にとって生きるためには仕方ないものであるが、そのような自己啓発はさらなる資本主義社会による労働者への搾取をを生み出すだけだ。

 しかし、このように部外者的に社会批判をすることに何の意味があるかとも思う。無論批判がないよりはある方がマシなのだが、批判をしても実際に変わらないのであれば力を奪われてる労働者にとってみればそれこそ適応したほうがマシだろう。結局のところ余裕がある人間が余裕のある立場から建前的に批判しているだけでは、そうそう社会は変わりはしないのだ、という直観がある。(この直観は、余裕がないからこそ、虐げられてきたからこそ運動をしている人の存在を否定するものではない。むしろ虐げられてる人こそ、その自覚を持たないようにさせられている、あるいは批判する余力が奪われている、という現状があるように思う)

 なんの結論も出てないし、ろくに論点を整理できてない同じことを繰り返しているだけの文章になってしまっているが、一番の目的は備忘と自分の問題意識をはっきりさせることなので許してほしい。何か答えになりそうな考えがのっている本や思想があればぜひ教えてほしい(とりあえず資本論を読みたいが、それは受験が終わってからにする。このような"やらなければならないとされていること"を優先する態度こそ、まさに自己啓発の精神であり、結果的に体制に取り込まれることになるのだろうが)

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