経験の変容

 僕にとって外出は意識的にかなりのパワーを消費して行うものであり、ずっと家にいるほうが「自然」なので外出を自粛しているという感覚はあまりない。そんな感性の持ち主なので親知らずの治療のため歯医者に行くか、なんとなく体か心の調子がわるい時に散歩しにでかける以外に外出はしない。その代わりなにをしているかといえば、受験生らしく勉強をするわけではなく、読書をするか通話をするかといった感じだ。これは最近わかってきたことだが、対面でも通話でもいいのだが、人と本についての話をすると読書に対してのモチベがあがるのだ。これは別に、人と話すための話題をつくるために読む、とかそういったことではない。端的に読書のおもしろさによりいっそう気付ける契機があるからだろう。しかし通話にばかりかまけていると肝心の読む時間がなくなってしまうのが、少々残念ではある。

 ところでこのあいだ学校のHRがZoomで実施された。話題のサービスなのであえて説明するまでもないとは思うが、このサービスを利用するとビデオ通話(会議)ができる。中央の巨大な枠に発言者がわりあてられ、上部に参加者数名が小さく映っていて、矢印ボタンを押すことで他の参加者の状態を観察することができる。僕はパソコンの設定にてまどってカメラをオンにすることができないままHRに参加したのだが、クラスメイト全員の顔をパソコンの画面を通してみるといういまだかつて経験したことのなかった状況に対してうまく馴染むことができなかった。通常のHRや授業では、教師が教室のいちばんまえにある教壇から全体にむかって話しかける。ゆえにそれなりの距離をたもって教師の顔と身体全身、それから他生徒の後頭部とその座っている姿勢が見えるというのが僕たちがいままでに経験してきたHRや授業のかたちである。しかし、ビデオ通話アプリを介した双方向のやりとりでは、顔がクローズアップされ、身体や距離感は失われることになる。本来、親しい友人には、親しい友人との距離感があり、そうでないクラスメイトとの間にはそれにふさわしい距離感がある。これまで僕たちはその距離感という見えない壁によって守られることによって、コミュニケーションにグラデーションを付与して教室という閉鎖的な空間を生きる術を身に着けてきた。しかしながらビデオ通話で顔がクローズアップされれば、僕たちはコミュニケーションに配分をもたせることが難しくなる。クラスメイト40人に顔を見られているかもしれない、しかも等しい距離感で。そういうことを考えると、僕は次のHRがちょっと憂鬱である。


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