見出し画像

安田峰俊(2021)「現代中国の秘密結社ーマフィア、政党、カルトの興亡史」中公新書ラクレ【2021/02/20読了】


「秘密結社を知らないで、どうやって現代中国がわかるのか。」
中国で起きる事件、行動原理を理解するには、このような秘密結社を理解する必要がある。特に2019年に起きた香港デモを理解する上で、秘密結社の理解は重要である。本書では次の疑問の答えも提供してくれる。
「なぜ中国共産党は、秘密結社を恐れ弾圧しようとするのか。」
それは中国共産党が、歴史上最も成功した最大最強の秘密結社であり、秘密結社であるからこそ、何をどうすれば、体制を崩壊に追い詰めることができるのかを身をもって理解しているからである。

「中国の秘密結社」
 中国の秘密結社は、桃園の契りに代表される義兄弟の契りを交わす、会党、宗教的な結束を持つ教門、歴史で出てくる革命を目指す政治結社の3つがある。
 かつてのような警察的な権力がない世界で、自分の身は自分で守らなければいけないが、自分を守るために、特に身寄りのない出稼ぎ者等の一匹狼は義兄弟の契りを結び身を守った。銃火器などを用いた村同士の争い(械闘)が絶えなかった、清朝中期の南部では、この背景から洪門と呼ばれる会党が生まれた。当時他者を畏怖するため(p 44)に反清を鮮明にし、それに孫文が目をつけ(p 47)その武力を用いて、武装蜂起を行なっていた。だがクーデター(辛亥革命)後孫文は洪門の政治介入を認めなかったため、関係は悪化した。
 青帮は長江下流域の水運労働者が母体の会党であり、軍閥抗争の中、それを嫌った民が上海へ流れそれを吸収する形で、上海でマフィア化しアヘン取引で巨万の富を築いた(p50)。蒋介石と組んだが、敗北が確実になると香港へ脱出し香港の黒社会で存在感を放っている。(p 56)
 このように会党は権力者に使われ、用済みになれば捨てられてきた。中身が空っぽであるため、権力者に使われやすいが、一方で、時代に合わせて柔軟に組織を変得ることができたのが、現代でも各地で残り続けている理由である。
「共産党は秘密結社洪門を吸収した。」
 中国は1党独裁だが、正確には今やただの翼賛勢力になっているものの、他に政党が存在する。これは毛沢東が初期に他の民主党派と連合政府を作って国家を運営する新民主主義論の名残であるが、その後は急進化した毛沢東による文革で完全に無力化されることになる。この中の中国致公党は前身が洪門の政党であり、党員にはアリババ副総裁やネットイースの社員などエリート層や大女優が名を連ねる。(p 77)日中戦争の時に、洪門は共産党系の組織を援助、戦争後、蒋介石打倒のスローガンに賛同し対国民党統一戦線に加わることに成功する。こうして国共内戦の勝ち馬に乗り、政党として認められることになる。文革で活動は禁止されるなど(p 88)辛い時期もあったが、現在では同党は海外にいる同士の洪門に党への親近感や忠誠心を待たせる活動を行なっている。(p90)海亀派を中心にエリートが入党している背景には、共産党は入るのに、イデオロギーの学習など手間がかかるのに対して、到公党は入るのが簡単なことが挙げられる。(p100)共産党は、到公党を吸収することで、洪門の華僑たちを利用していた。

「中国での信教の自由について」(p235)
社会主義国家である中国では、あらゆる宗教が管理下におかれ、国内の教会は、西側との連絡を立たれた上で親政府系の組織に束ねられる。それを嫌って、反抗する宗教は家庭教会や地下教会と呼ばれ、弾圧の対象になる。1966年文化大革命では、親政府系の組織まで弾圧され地下に潜ったことで以降家庭教会が急増することになる。家庭教会は政治的な風向きが少しでも変わると、摘発の対象となり、公務員の点数稼ぎの道具となっている。だがこのような弾圧はかえって地下化した異端派を成長させていく。(p250)

「中国共産党は最大の秘密結社」
 中国は独裁社会で言論統制がある。政府が言うことが正しく、それに反する者は弾圧の対象となり、それに反する宗教は邪教と呼ばれる。日本も以前は、江戸時代のころは、お上の言うことが絶対であり、キリスト教などは禁止されていた。キリスト教が解禁されたのは明治6年の頃であった。中国共産党自体が秘密結社というのであれば、日本の幕末の薩長もまた秘密結社と言える。薩長もまた、「西洋から伝わった思想(民主主義)」を掲げつつ、「海外勢力(イギリス)」と結託して「政権の転覆を画策」し、「国家統一の破壊」を進めて、「武装反乱(薩長によるクーデター)」に踏み切った。1940年代後半の混乱期に共産党がなぜ、独裁を選び、1860年代に新政府軍がどうして民主主義を選んだのか。それは掲げた思想の違いである。中国の場合、西洋から伝わったマルクス・レーニン主義を掲げ、秘密結社を立ち上げ、日本などの海外勢力と結託しながら、武装蜂起を繰り返し、土地を占領し、貨幣も国旗もソ連の猿真似の国家を作った。そうした国家を破壊した秘密結社である、中国共産党だからこそ、往年の自分たちと同じような連中が新たに出現し、中国の壊し方を実践することは絶対に阻止しなければいけない。香港のデモへの批判として、「海外勢力と結託」や「国家統一を破壊」しているといったロジックを使うのは、それをされると共産党が壊れることを身をもって体験しているからである。

「香港の元朗事件の正体」p132
 2019年7月21日元老駅でデモ帰りの若者を白シャツの男どもが襲った事件が起きた。警察も到着が遅かったと報道され、警察と黒社会との癒着が批判された。本当にこのような癒着はあったのか。真相はどうだったのか。
 襲撃した白シャツ隊は地元の洪門的な集団の可能性が高い。元朗がある九龍半島は、現在では香港島へ通勤する者のベッドタウンとして栄えているものの、租借当時は、清朝末期以来の農村にすぎなかった。そして、地理的に、辛亥革命・社会主義革命・文化大革命を経験せず、義兄弟の契りなどで自信を守って暮らしており、その文化は今も色濃く残っていた。イギリス統治下において、原住民を刺激しないために固定資産税免除など多数の特権が与え、特権によって、洪門などの黒社会との縁も強くなってきていた。元朗周辺はイギリス統治下も、中国の主権下に置かれていたため、自信が中国人というアイデンティティを持つものも多く、特権があるため、香港を取り戻せというスローガンにも共鳴しない。よってデモ隊はレノンの壁などにポストイットなどを貼って村を汚す敵となる。そのためデモ隊への襲撃が起きたのである。この事件は勇武派が過激なデモを行う契機になり、それは中国政府の危機感を誘発させ、国安法を制定させるきっかけになった。香港デモの失敗は洪門など香港への不理解が招いたのかもしれない。


※画像は2019/08に香港に旅行に行った時のもの。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?