秋の雑感

 秋はなんだか物寂しい。ずっと見てきたスポーツ選手は引退するし、かわいい顔の電車も引退してしまう。何かがなくなればそこに代わりのものが現れるはずだが、秋は去りゆくものを惜しむのに向いていても、新しくやってくるものを受け入れるのにはあまり向いていない。今そこにあるものを大切にしたほうがいい。

 道端の彼岸花が散るとすぐに金木犀が咲いた。金木犀の黄色い花は凛々しく、香りは心地よいものであると思うが、この花は自己主張が強く周囲の環境と調和的であるとは言いがたい。ほぼ全ての木が人によって植えられたものであるから、金木犀は誰かの意図を反映してそこに香っていると言えるのかもしれない。だとすれば、金木犀の香りを楽しみつつも、それによって影が薄くなってしまった植生の中にも小さい秋を見出してあげる意識が必要だ。

 最近は通勤時にオフコースばかり聴いてしまう。オフコースの歌詞にはよく季節が登場するが、名曲には秋(あるいは夏が過ぎ去ったこと)が登場する場合が多いような気がする。その一曲である「YES-YES-YES」の一節には「君の嫌いな東京も 秋はすてきな街」というフレーズが登場する。歌詞は「でも大切なことはふたりでいること」と続くため、一体どんなところがすてきな街なのか、曲中ではわからない。この曲が誕生した1982年、ちょうど40年前の秋の東京の街はどのような場所だったのだろうか?もしそれが東京固有のすてきな要素なのだとしたら、それは現在の東京も持ち合わせているものなのだろうか?黄色く彩られた外苑と青く高い空のコントラストは当時から今に至るまで鮮やかなものであり続けているだろうが、誰もスマホを持たない当時の人々が散歩した道は、今と異なる道に見えただろうか?これらのことは考えてもよくわからないし、当時から東京に住んでいた先達に尋ねてもあまり得心が行く答えに出会えないような気がする。それなら、東京の街が、なぜ東京が、なぜ秋だけすてきな街だと言えるのか、その答えを探す旅に出るしか方法はない。あるいは、その答えかもしれないと思うものを見つけた人がいたら、ぜひ共有してほしい。残された秋の2か月のひそかな目標にしよう。

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