ふりかえる事もたまにある② ~デビューしてからの20年間~

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回顧録の「WHIRLWIND!G-VALION」に先駆けてザックリとお伝えするプロレスラー生活20年の出来事。

今回は途中から有料記事になりますが、興味のある方は是非購読して下さい。

☆2000年6月~:かつて履歴書を送った団体に出場···が、まさかの対戦相手、ガキの頃から好きだった選手との対戦、自団体への不満、谷津さんのPRIDE参戦で付き人で同行

プロレスラーになろうと決めた時に、SPWFと一緒に履歴書を送ったIWAジャパンさんに出場が決まったと電話が。

かなり嬉しくて(当時はインディーズ団体にもかなり壁があり、IWAジャパンさんはキャパも選手の知名度もSPWFより少し上だった)はしゃいでいたら、シリーズの対戦カードを伝えられる。

「山形でミスター・ポーゴ(会話の再現なので敬称略ですみません)とストリートファイトマッチが組まれてるわ」

と言われ、地獄に落ちたのを覚えています(案の定、試合では血ダルマ)。

他団体さんでの試合は巡業中のバス移動の緊張感を含めて、SPWFでは経験できない事もたくさんあり、本当に楽しかったです。

お客さんがプロレスを観に行って、他団体からの参戦選手がイキイキしていると感じたら、それは自団体での変な縦のしがらみから解放されているからです(持論)。

ちなみに自分の初勝利はデビューから40連敗した後の2000年6月の栃木・小山スケートセンターでした。

試合後に高熱出して倒れたから良く覚えています(笑)。

自団体のSPWFは相変わらず居心地が悪く、代表の谷津さんとも不仲が続き、真剣に他団体への移籍を考える。

SPWFでは唯一頼れる先輩の高智さんとも度々口論になり、栃木での試合から帰る時に車を止めてかなり揉めたりもした。

辛抱強く話を聞いてくれた高智さんには感謝。

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SPWFの仙台大会に大阪プロレスさんが出場、ガキの頃から大好きで、デビューしてからもファイトスタイルを参考にしていたスペル・デルフィン選手と初対戦。

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くいしんぼう仮面選手とも対戦したのだが、20年近く経ってこうして写真を撮れるのは嬉しいです。

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