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よくない日

 金曜日の朝、いつも私を起こしてくれるはずのアラームが鳴らず寝坊した。ケータイを見ると、消した記憶はないのに、なぜか目覚ましの設定がOFFになっていた。

 朝食を食べる暇も惜しんで準備をし、慌てて家を出発する。途中まで走ったところで、カギをかけ忘れたことに気が付いて引き返す。いつも乗る2本あとの電車に乗り、職場へ向かった

 今日は、巡り合わせが悪い日だ。

 電車の中で、私はひそかにため息をついた。

 たまにこういう日があるのだ。1日中、よくないことばかり起こる日。いつもはしないミスをしたり、自分のせいではないのに不運なことに遭遇したり、数日前の仕事のミスが発覚してその後処理に追われたり。

 そういう日は、だいたい朝から不幸なことがある。朝のテレビで流れる占いなんかよりも、よっぽど信頼できる経験知だ。

 こんな日は、細心の注意を払って1日を過ごさねばならない。何か起こっても冷静に対処できるように心構えをし、なにかしらの失敗を犯さないように気をつける。そして最低限以上のことは何もせず、さっさと家に帰って寝るのだ。大なり小なり悪いことに遭遇するため、そのもととなる「アクション」自体を最小限に抑える。可能なら、仕事にすら行かないほうがよい。それがこういう日の鉄則だった。

 予想通り、会社についてからもいくつかトラブルに見舞われた。しかし朝から心構えをしていたため、おおむね被害は軽度なものにすることができた。何より取り乱さず行動できたことはとても大きかった。

 そして迎えた終業時間。普段よりもタフな一日を終え、私は疲れを感じながらも、多少の安心感を覚えてデスクに座っていた。すると隣から、暖かいお茶の入ったマグカップがさしだされた。

「お疲れ様です、先輩。今日、いろいろとトラブルがあって大変でしたね」

「ありがとう。思ったよりも大事にならなくてよかったわ」

 お茶を入れてくれた後輩にお礼を言いながらも、注意は怠らない。ここでデスクにお茶をこぼして、大事な書類が濡れてしまうなんてことが起こりうるのが今日という日なのだ。私はデスクの上に何も載っていないことを確認して、マグカップを慎重に受け取った。

 このお茶を飲んだらすぐに帰ろう。心のなかで決めたとき、事務室の扉が開いて、営業に出ていた課長と係長が入ってきた。

「お疲れー。今日も無事に仕事終わったかー?」

「お疲れ様です。大きなトラブルもなく、無事に終わりました」

 後輩が笑顔で答えると、課長もうれしそうにうなずく。その視線が、私のところでピタリと止まった。

「あれ、篠原? 今朝、お前見なかった気がしたけど?」

「すみません、今朝、寝坊してしまって。ぎりぎり始業時間には間に合ったんですが」

 始業時間前に出かけてしまった課長と係長に、私は今日、会っていない。そのせいで課長は、どうやら私が休みだと思ったようだ。

 

 ん?

 

 そこまで考えて、私の思考が止まる。途端に嫌な予感に襲われたが、その正体をつかみ切る前に、課長が口を開いた。

「いや、お前今日、休暇届けだしてただろ、数日前に」

 ・・・道理で朝、アラームが鳴らないわけだ。

 たまにこういう日があるのだ。一日中、よくないことに見舞われる日。

 そういう日は、大なり小なり悪いことに遭遇するため、そのもととなる「アクション」自体を最小限に抑える。可能なら、仕事にすら行かないほうがよい。

 そう、私は今日、家から出るべきではなかったのだ。

 その場で、私はがっくりと膝をついた。


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