11 居場所

落ち着いてから、翔太と楓は一緒に女将さんのところへお礼をいいに行った。

 聞くと、翔太が風呂に入っている間、楓も女将さんとお話をしていたらしい。その時翔太と同じように旅行に来た敬意を尋ねられ、理由を交えながら楓はお話ししたという。

 女将さんに話す前は、翔太に自分の過去を離すべきかどうか迷っていたそうだ。しかし、女将さんに話した後、やはりここまでしてくれたのだからお礼をしなければならないと思い至ったらしい。その時の心境の変化やきっかけは詳しく聞けなかったが、それでもあの女将さんのおかげでそういう心境になったことは確かなようだったので、二人でお礼に行くことに決めたのだ。

 一回に入口近く、管理人室の扉をノックすると、女将さんが笑顔で現れた。翔太と楓が二人揃って頭を下げお礼を言うと、女将さんは笑顔で首を横に振った。

「別に私は何もしておりません。ただお客様のお話を聞かせていただいただけで、私としてもとても有意義な時間を過ごさせていただきました。私からも、お礼を言わせていただきます」

 そう女将さんに頭を下げられて、翔太は胸の奥に温かいものがこみ上げるのがわかる。ここに来ることはもうないかもしれないが、ここもすでに自分の居場所となっている気がした。

「ただ、お節介とは存じますが、お客様に、一つずつだけ、私からアドバイスというか、助言のようなものを差し上げたいのですが」

 そう前置きして、女将さんが下げていた頭をあげる。翔太は楓と顔を見合わせたが、すぐさまお互いにうなずいて、お願いしますと促した。

「ありがとうございます。まあ、アドバイスと言っても私のようなものの言葉ですので、参考にならなければ無視してくださいませ」

 そう前置きして、女将さんはまず楓のほうを向いた。

「お客様は、もう少し笑われてはいかがかと思います。せっかくお美しい容姿をお持ちなので、笑うだけで、おそらく印象がとてもよくなると思います。勿論、無理にとは言いませんが」

 ありがとうございます、と楓は答える。その顔にはすでに、わずかながら微笑が浮かんでいた。それを満足そうに眺めて、女将さんは次に翔太に向き直る。

「お客様、居場所とは、与えられるものではなく、手に入れるものと、私は考えております。こんな私の考えが役立つかわかりませぬが、もしお客様が本当にほしい居場所があるのでしたら、簡単に諦めないほうがよろしいと思います。形はどうあれ、その結果が、いまお客様のお隣に立たれていると私は考えております」

 翔太は思わず隣を見た。そこには、笑顔の楓が立っていた。自分が求めた居場所。逃げるという形を取りこそしたが、求め行動を起こした結果、手に入れた居場所。

 おそらく女将さんは、翔太がどのような状況にいるかはしっかりと把握していない。入部テストに落ちたことも知らないし、楓との関係もしっかりとはわからないはずだ。

 それでも、なんとなくは翔太の置かれている状況を察しているのだろう。だからこその、アドバイス。翔太はまた胸の奥が温かくなるのを感じて、もう一度頭を下げた。隣で、楓もまた頭を下げる。

 そんな二人を、女将さんは笑顔で見ていた。

 翌日、翔太と楓は朝食を済ませ、民宿を後にした。朝食は女将さんがサービスで作ってくれたものをいただいた。

 昨日の夜、楓が自分の部屋に帰って行ったのを見届けてから、翔太は自分の部屋で一人、女将さんの言葉について考えていた。

 居場所を手に入れるための、行動。

 その行動とは、一体何をするべきなのか。

 答えは、五分も考えないうちに思い浮かんだ。ぐっとこぶしを握りしめ、翔太は覚悟を決める。

 その答えを今朝、楓に伝えお願いしたところ、楓はすぐに了承し、帰ろうと言ってくれた。見たかった景色をしっかりと見れなかっただろうから、もう半日はここにいてもいいと翔太は言ったのだが、楓は連れてきてくれただけでも十分だと首を横に振った。

 そうして翔太と楓は、帰りの電車に揺られていた。昨日からのことを思い返すと、なんだか別の人の人生を生きていた気分だった。同い年の女の子と一緒に二人だけで旅行。その旅行の内容も特殊なもので、ひどく現実感がなかった。

 それでも、隣の席を見ればそこに楓は座っている。疲れているのか、翔太の肩にもたれかかって眠ってしまっている。そのせいで翔太は先ほどから身動きが取れず、心臓も早鐘を打っているのだが、それでもうれしい気持ちがこみ上げる。楓の表情は行きのようには緊張しておらず、視線は外には向けられていない。寝顔はあどけない、どこにでもあるような少女のものだった。

 そんな自分の居場所を肩に感じながら、翔太は電車に揺られていた。

 午後一時半。翔太と楓は地元の駅に返ってきた。改札を通り駅の入り口をくぐると、そこはもう見慣れた町である。その風景を、なんだか久しぶりにみる気がして、翔太はなんだか懐かしい思いになった。

「帰ってきたね」

 隣に立つ楓が、どこか感慨深そうにつぶやく。その視線は、やはり翔太と同じように懐かしそうに町を眺めていた。

「行くときは帰ってくることなんて考えてなかったけどね」

 翔太は少し照れながら呟く。本当に、あの時は現実から逃げるのに必死でここに帰ってくることなどまったく考えなかった。

「今から、行くの?」

「…うん」

 楓に尋ねられて、翔太はしっかりとうなずく。今日は土曜日だが、あの部活なら練習は休日だろうとしているはずだ。

「だから、清泉さんとはここまでかな。一人で、帰れるよ…ね、そりゃ」

「大丈夫」

 微笑を顔に浮かべながら、楓はうなずく。

「それじゃ、また月曜日に学校で…」

「あ…」

 別れの挨拶をしようとしたところで、楓に呼び止められ、翔太は止まる。楓はすこし恥ずかしそうにしながらも、おどおどと口を開いた。

「その、呼び方だけど、苗字じゃなくて、名前で、いいから」

 ……。

 しばらく、何を言われたかわからなかった翔太だったが、その言葉の意味を頭で理解してからは、顔が熱くなるのを感じた。

 言った楓はというと、恥ずかしそうに顔を伏せている。とにかく何か言わなければと翔太は口を開き、

「じゃ、じゃあ、そうする、ね」

 そうしどろもどろに言ってから、あわてて付け足した。

「あ、その、僕のことも、名前で呼んでもらっていいから」

 そう言ってから、これまでに楓に自分のことを呼んでもらったことがないような気がした。なんだかいきなり変なことを言ってしまったようで、翔太はあわてて訂正しようとしたが、その前に楓が口を開いた。

「じゃあ、今度からは、そうする」

 その言葉で、二人の間に気まずい沈黙が流れた。なんと声をかければいいかわからず、翔太はそわそわしてしまう。一方の楓も顔を伏せたまま、何も言ってこない。

 一分ほどそのまま時間がたち、先に行動を起こしたのは楓だった。キャリーバッグを持ちなおし、「それじゃ」と言って歩き出す。

「あ、うん。また、学校で」

 そう小声で言って、翔太は楓と別れた。楓が歩いていく後ろ姿を見つめながら、翔太は少しだけ楓と距離が近づけた気がした。

 学校に着き、体育館に向かうにつれて、さすがに翔太は緊張感を覚えていた。いったん家に帰り卓球用具を取り出してから、ここに来るまではまだよかったのだが、学校に入ってくるとさすがに緊張感が高まってくる。

 それでも、翔太は決めたのだ。自分の居場所を手に入れるために、自分にできることをするのだ。

 がらりと体育館の思い扉を開け、中に入る。予想通り、いつもの体育館の隅で、卓球第が並べられていた。

 そこには、安奈と麻紀、そして、良平の姿があった。体育館に入ってきた翔太の姿を見て、三人は少し驚いた顔をしたが、まっすぐ向かってくる翔太を見て少しうれしそうな表情に変わっていく。翔太はそんなこと全く気にせず、安奈の正面に立って足をとめた。

「どうしたの? 部外者は勝手に入ってきてもらったら困るんだけど」

「にゅ、入部テストを、もう一度、受けさせてください」

 意地悪そうな笑顔とともに投げかけられた安奈の言葉に、翔太は内心少しビビりながらもそういう。その言葉を聞いて、安奈の顔がうれしそうな笑顔へと変わった。

「昨日は林君だけが来て、君は来ないと思っていたけど、どうやら勘違いだったかな?」

「僕は、諦めてません。この部活に入れてもらえるまで、何度でもやらせてもらいます」

 これが、翔太のだした答えだった。

 居場所を手に入れるために、自分にできる、精いっぱいの行動だった。

 そんな覚悟を決めた翔太の表情を見て、安奈は満面の笑みを浮かべてから、台についた。

「いいわよ。満足するまで、何度でもかかってきなさい」

 以前とは違い、自分の意志で、翔太は試合を始めた。

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