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縁側と畔と車移動と。

茅葺きのお家には必ず縁側があります。
同じように田んぼと田んぼの間には必ず畦がある。

どちらも特に何をするでも無い場所でもあるのですが、
そんな農村の営みの余白のような場で、
実は結構大切なやり取りが行われていたりします。

そんなに大した用事ではなく、家に上がらせてもらって腰を据えるまでもないような、日々の何でもないやり取りの際は縁側に腰掛けて話したり、
ちょっと通りすがりに用事を思い出したり、農作業の休憩をしに家に帰るのも億劫な場合は、田んぼの畦に腰掛けて話したり。

僕はこの2つの場のコミュニケーションがとても好きで、
そのどちらも同じ方向を向いて話すので、目を合わせる事がないのです。

農村に暮らすおじぃちゃんおばぁちゃんは基本的にはシャイなので、
膝を突き合わせたり、座敷に上がって腰を据えて話すような場になると、
とたんに本当のことを話さなくなります。
それよりも縁側や田んぼの畦に腰掛けて、同じ方向を向きながら、
お互いの日常が溶け合った時にだけ、ぽつりぽつりと本当の事を話してくれたりします。

茅葺きのお屋根の葺き替えは、1ヶ月とか1ヶ月半くらいの時間を要します。
現場仕事は必ず10時とお昼と3時に一服をするのですが、
その際に縁側をお借りして休ませてもらったりします。

最近は代替わりしてめっきり減ってしまいましたが、10数年前くらいまでは、
茅葺きにお住まいの方といえば、十中八九おじぃちゃんおばぁちゃんで、
一服の度に縁側に来て、僕たちに昔話や含蓄のある話を聞かせてくれました。

初めは遠慮がちなのですが、長期間一緒にいると少しずつ関係が解れてきて、
後半は同じ方向を向きながら、とんでもなく大切なものを赤の他人の僕達に渡してくれたりします。

本当は自分の息子や孫に渡したいと思うのですが、盆と正月くらいしか帰ってこないし、茅葺きにも興味が無いので、人生の集大成として生きた証を僕達に託してくれたりしました。

それは物ではなく、その人が何十年と生きてきて気付いたことや、
後を生きる人達に大切にしてほしいことのような、ほんわりとあったかい
魂のカケラのような形のないものでした。

それは真正面から向き合った時には重たすぎて受け取れなかったり、
恥ずかしくて渡せなかったりするものを、
同じ方向を向いている時に、しれっとAirDropしてくるような感じで、
「ほなら、あとは頼んだで」って渡し逃げするようなやり方ですが、
シャイなじぃちゃんばぁちゃん達の精一杯の渡し方だなと、今になって思います。

そんな風に僕も弟子や後輩達に色々と渡していけたらなと思いながらも、
縁側や畦に座るシチュエーションも中々無いので、
しれっと大切なものを渡せずにいるのですが、
実は車に乗っている時って、縁側や田んぼの畦と同じシチュエーションなので、
移動の多いこの仕事ならではの環境を活かして、
僕がおじぃちゃんおばぁちゃんにもらったものを、
少しずつお裾分けしていこうと思います。

相良育弥


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