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三十姓であるという事

20代前半の頃、僕は百姓になりたいと思っていた。
当時、百姓になりたいと言うと、農家になりたいのだと思われる事が殆どだったが、そうでは無くて歴史学者の網野善彦さんの言う「百姓〜ひゃくせい〜」としての百姓になりたいと思っていた。

網野善彦さんの言う百姓とは、今で言うと兼業農家に近いのだが、
かつては多少の田畑を耕作して食料を作るというのはごくごく当たり前の事で、
大工や鍛冶屋、石工など何らかの専門的職能を身に付けていて、
それ以外にも生きてゆくための様々な技を身に付けていた。

なので20代前半の頃の僕は、百姓の事を「具体的に生きてゆくための百の技を持った人」と言う解釈で、そういう存在になりたいと考えて、ぽくりぽくりと家の裏の小さな畑を耕し始めていました。

そんな風に考えるに至ったのには理由があって、中学3年生の時に阪神淡路大震災を経験してしまった事が、僕の人生観に大きな影響を与えたのだと思います。
多感な青年期に、リアルが剥き出しになった世界を見てしまった。
「生きる事」は自らの力で「生き延びる事」だと気付かせてくれた経験でもあります。

そしてまたあのような状況になっても、自らの力で生き延びる事が出来る百姓になろうとしている時に、たまたま茅葺きに出逢い、のちの親方に「茅葺きの中には百姓の百の技のうち十くらいはあるよ」と言ってもらった事がきっかけで今の僕があります。

そんなこんなであれから20年弱の月日が流れ、そろそろ百姓になれたかといえばそんな事はなく、茅葺きばかりしてきたので、未だにお米も野菜もろくに作れず、百姓どころかせいぜい三十姓といったところです。
けれど未熟な三十姓である事で気づいた事があります。

茅葺きをしていると、修復の際に屋根から下ろした古い茅や、毎日の仕事の中で大量の茅クズが出ます
それは伝統的に良質な有機肥料の原料として利用されてきました。
それを現代の若い有機農家達が、もう一度肥料として使ってくれるようになり、
古い茅や茅クズを喜んで持って帰ってくれます。

こちらとしては仕事の中で必然的に発生するものなので、
持って帰ってもらえるだけでもありがたいのに、
それを宝物のように喜んで持って帰ってくれる。
それだけでも嬉しいのですが、仕事が終わって家に帰ると、
茅クズのお礼にと、縁側に新鮮な有機栽培の野菜やお米がお手紙と一緒に置いてあったり。

忙しさにかまけて米や野菜を作れていない自分が情け無いなと思っていましたが、自分が百姓になれていないことによって、そういった交流が生まれる。
もし百姓になっていたら全て自己完結出来てしまうので、
古い茅や茅クズも自己消費してしまうでしょうし、
米も野菜も自分で作っているので、戴いたとしても今ほど感動出来るだろうかと思うと、三十姓という不完全な状態でいた方が、もしかしたら豊かなのかもしれない。

そして、ひとりで百姓を目指さずにみんなで百姓である方が、
実はもっと豊かであり、尊い生き方かもしれないと今は思っています。

三十姓 相良育弥

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