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植物のような

とある茅葺き屋根にお住まいのおばぁちゃんに、「何かやりたいことはある?」と問うと、「別にないな。」とそっけない返事が返ってくる。
「どこか行きたいところは?」と聞くと「それも別にない。」と、
基本的に欲も自我もあまりないような答えが返ってくる。

もちろん歳をとったから今更という側面もあるのだと思いますが、
そういう前提とはまた違う、静かなニュアンスが含まれた佇まいで、
とつとつと答えてくれる。

これはこのおばぁちゃんに限らず、今まで出逢ってきた田舎にお住まいの
おじぃちゃんおばぁちゃんに共通する特性で、基本的には平穏無事に毎日を過ごせているだけで有り難いので、
それ以上は特に望むことは無いと言ったような心境を感じる。

簡単にどこにでも移動が出来る現代では考えにくいかもしれませんが、
一昔前までは、生まれてから村を出た事が無かったり、市や県を出た事が無いような人が普通にいたそうです。
その世代の人達が「あんたの郷土(クニ)はどこや?」と言うように、
今の僕たちにとっての国土(クニ)の感覚が、かつては自分が生まれ育った地域の事を指していた様に思います。

生まれた地域から出た事が無いと言うと、
現代人の我々からすると、信じられなかったり可哀想に思ったり、
ネガティブなイメージを抱く人も多いと思いますが、
それは大きな間違いで、横方向に移動しなかった代わりに、
深く深くその土地に根を下ろし、まるで植物のように、
産土(うぶすな)からたくさんの贈り物を戴いている。

その産土からの贈り物を戴いている状態は、
違う言い方をすればすでに自我や欲は、その贈り物によって満たされているので、これ以上望む事は無い状態とも言える。

その土地に生えている古木が、もの言わずそこに在るように、
古老達も同じような佇まいでそこに居て、今の僕たちとは違うやり方で、
生きる事の充実を知っているのだと思う。

その充実した生を目の当たりにすると、
何処へも出かけずに、産土に深く根を下ろして、
静かに歳を重ねたいなとも思う。

相良育弥

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