感染症の流行が落ち着いてきた今
2020年。世界中であのウイルスが猛威を振るった。
できなかったこと、会えなかった人、もう2度と行けなくなった場所もある。
2023年。今でも流行はしているものの、研究も進んで徐々に未知のウイルスではなくなってきた。
そこで私が語りたいのは、ある「歌」の話。
2021年にリリースされたその歌は、急激な生活の変化による、私たちや社会の混乱や、葛藤を言葉にして、メロディーに載せている。
その歌を、今聴いてみたらどう思うのだろう。何を思うのだろう、と考えた。今日、駅のホームで。
なんとなくだが、ここに記してみようと思う。
その歌というのは、「日々 feat.MCアフロ」である。
アーティストの あらかじめ決められた恋人たちへ と、MOROHAのボーカル MCアフロ がコラボして作成した楽曲。
MCアフロの、語りかけるようなポエトリーラップは、どこまでも人間味に溢れている。
興味のある人は是非一度聴いてみて欲しい。
MVに込められた想いを、感じてほしい。
10分を超えるこの曲。
それだけ表現したいことがあるのが伝わってくる。
その中で、私が好きなフレーズを記す
よかったら、曲を聴きながら読んで欲しい。
とても共感した。誰に急かされているわけでもないのに、自由は掌の中にあるはずなのに、何かに追われていた毎日。そんな余白を許さない日々があった。
スマートフォンは手放せず、でもスマートフォンは嫌いだった。休む理由をくれなかったから。
でも家にいる時間が増えて、強制的に余白が作られた。それが嫌だとも感じたけれど、どこか心地よかった。それは、私だけじゃなかった。
これは間違いなく、感染症が流行する前の私たちの暮らしだ。
自分で自分の首を絞めながら、苦しんで、その先に何かあると信じて、なにかをしないと気が済まなかった。
外出が自由にできなくなった頃、この暮らしから一時的に離れることができた。
私たちはまたそんな日々を始めていないだろうか?なにもしなくてもいいと気づけたのに、それをまた手放そうとしていないだろうか?本当に、そうしなければいけないのだろうか。
このフレーズはとても刺さった。
何もしなくても幸せなんだって、求めなくても大丈夫なんだって、認められない自分がいた。
だって、それを認めてしまうと、今何かを欲して頑張って、余白を潰している自分を否定することになるから。
だから、信じる訳にはいかなかったんだ。
そう表現したことを、とても魅力的に感じる。
今もまた、余白を潰していく毎日に戻っている気がする。
ハッとした。
この前の歌詞で、美術館が休館であることを描いている。
今は美術館も開館している。
しかし、美術館に行かなくとも芸術は目の前に広がっているのだ。
それを気づけたのは、皮肉にも、美術館が開いていなかったから。
不自由にこれまでの自由を実感するように、ないから見えるものがある。
ないことは必ずしも、不足とは限らないのだ。
余裕から生まれるこの感情には、限りない価値があると思う。
最も近くにいる隣人とは距離を取り、自分の好きな人のために遠くへだって出向く。
これは現在も変わらない姿だ。
隣人トラブル、過剰な地域コミュニティの同調圧力を恐れ、本当は助け合いたい隣人とは話もしない。哀しいが、それが最善なのかもしれない。その哀しさと、遠くでも会いたい人がいるという喜びを巧みに対比している。僕が一番好きなフレーズ。
曲全体を通して
初めはピアノで、時間がゆっくり流れる。ドラムがフェードインしてくる。でもリズムは変わらない。まるで誰かに背中をさすられているような感覚になる。
中盤から、街の様子を描くにあたりテンポが上がる。
それは沢山の人の営みを表し、忙しない東京の摩天楼を想像させる。
それでもどこかに優しさがあって、一つ一つの音の響きに温かさを感じる。
終盤、MCアフロと、自分について語られる。〜ないけれど、〜なかったという、逆説の連続。
一点の曇りもないほど綺麗じゃないけど、綺麗であろうとし続けることが素晴らしいんだと、解釈した。
慰めなのかわからないが、自分は、自分のこれまでは、決して間違っていなかったんだと言われている気がして、元気をもらえるところだと思う。
2023年のいま、この曲を聴いて。
また、私たちは命の大事さを、死の近さを忘れかけていないだろうか。
今、生きている。大切な人がいる。好きなことができる。
この、当たり前の幸福が、見えなくなっていないだろうか。
流行した時には、多くの人が亡くなった。隔離され、最後を看取ることもできなかったという話を聞いたのも一度や二度ではない。
その悲しみや怒りは、今どこにあるのだろう。
人は、欲しがるくせに、手にした途端、その魅力を見失ってしまう。そして失ってようやく、大事さに気が付く。
不謹慎かもしれないが、感染症の流行は悪いことだけではなかったと思う。
当たり前の大切さを気づく機会になった。
この曲を今聴いて、またその大切さを忘れようとしていることに気がつけた。また、余白を塗り潰すような日々になろうとしていることに気がつけた。元気がもらえた。ぜひ、一度聴いてみてはどうだろうか。
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