感染症の流行が落ち着いてきた今

2020年。世界中であのウイルスが猛威を振るった。
できなかったこと、会えなかった人、もう2度と行けなくなった場所もある。

2023年。今でも流行はしているものの、研究も進んで徐々に未知のウイルスではなくなってきた。

そこで私が語りたいのは、ある「歌」の話。
2021年にリリースされたその歌は、急激な生活の変化による、私たちや社会の混乱や、葛藤を言葉にして、メロディーに載せている。

その歌を、今聴いてみたらどう思うのだろう。何を思うのだろう、と考えた。今日、駅のホームで。

なんとなくだが、ここに記してみようと思う。


その歌というのは、「日々 feat.MCアフロ」である。
アーティストの あらかじめ決められた恋人たちへ と、MOROHAのボーカル MCアフロ がコラボして作成した楽曲。
MCアフロの、語りかけるようなポエトリーラップは、どこまでも人間味に溢れている。
興味のある人は是非一度聴いてみて欲しい。
MVに込められた想いを、感じてほしい。

「日々 feat.アフロ」あらかじめ決められた恋人たちへ 歌詞
夜明けは 来世よりも遥かに遠いと思われた
その闇に皆が立ち止まり うずくまり
口々に「厳しいね」「難しいね」
そう言って ため息でユニゾンする東京シティ
祭りの準備が終わり完成したあれやこれは
廃墟よりも物悲しく
メディアや音楽は 絶望を映し出し逆境を叫ぶ
だけど これは大きな声じゃ言えないんだけど
どっかでホッとしている俺がいた
果てしの無い欲望に駆り立てられて
削られて 擦られて 急かされて
何もない一日など決して許さず
ニュースがなくても毎朝新聞が刷られるように
必死で更新するSNS
そんな傘に傘をさすような
ゴールテープの真下に
スタートラインが引かれているような毎日から解放されて
不本意だって顔をしながら 不謹慎だって思いながら
間違いなく安らぎを感じている俺がいた

今一度問い掛ける 生きる意味とは 一体なんだ?

7月の梅雨を越えたあたり 僅かに漏れた月明かり
恐らくこれは束の間の黄昏だろう
時がくれば俺達はまた始めてしまう
焼けた鉄板の上に飛び降りて もがき のたうちまわり
激流の中に自らのり込んで
溺れそうになりながらありもしない終着点を目指す
それでも今 確かに感じてる 静かな日々の充実を
今迄まことしやかに囁かれてきたが決して信じなかった
信じる訳にはいかなかった幸福を ここに残す

久しぶりに来たのに休館してた美術館
近くの公園のベンチに腰を下ろし一人
缶コーヒー買って一息
声を上げて背伸びして浴びる日の光
体中に巡る血液 天を仰ぎ見ては思う
こんなにしみじみじと空を見上げたのはいつぶりだろう
木々の緑 花壇には向日葵 風が吹いて砂埃
見渡して気付く
これらは全ての偉大な芸術家が命をかけて描きたかった色彩だ
全ての芸術の元ネタだ
ブルーシートでぐるぐる巻きにされた遊具は この時代の象徴
それを誰かが描き留めて きっと後世に残すのだろう
目の前の夕暮れは どこかの朝焼け
そんな当たり前のことを思う

雲の動きが早くなると同時に 行き交う人の足取りは忙しく
ポツポツと夕闇に細い針が走る
つむじを突き刺したそれが次第にテンポを上げれば
半透明のビニールが景色をボカし
視界不良の人波を縫って皆 歩みを進める
その姿は人間の営みそのもので
時にぶつかり 押し合う事もあるけれど
どうにか世界の均衡を保ち続けている
道の向こう側では 駅の改札から排泄された人々が交差点で立ち並び
傘の花を咲かせている
鮮やかな配色で 二度とない配列で
それは信号が変わる度に脆くも崩れさっていく
横断歩道の上の横顔は楽譜の上の音符のようで
それぞれのリズムでこの星を奏でてる
その一人一人に帰る場所があり
忘れられない思い出や 拭いきれない悲しみ 眠れない夜がある
そう思うと それだけで......

幾千幾万の思惑と孤独を抱えて今日も
縁のない隣人とすれ違い 運命に会いに千里の道を行く
旅の度に重くなるリュックサック
気持ちが篭るから肩に食い込む
匂い 佇まい たすきような想い
沢山の短冊を背負って生きる
あなたを愛する人がどこかで手を合わす
そして新たな出会いとまた目を合わす
夢見た嬉しさはそこにある

憎しみ無しで闘える程 強くはないけれど 
恨んだままで掴み取れる程 甘くはなかった
全てを笑って許せる程に優しくはないけれど
愛情なしで動かせる程 人の心は軽くなかった
正しさばかりがまかり通る世の中ではないけれど
出来る限り善良でありたいと願う人達よ
俺はどこかであなた方に勇気付けられた人間です
教室で 踏切で アパートの部屋で 路地裏で
厨房で 怒りで震える拳の中で
コンビニで ファミレスで グラスの底を睨み続けた飲み会で
満員電車で バスケットコートで 何かのせいにして歩き続けた川沿いで
止め処ない壮大な流れの中で 今も

吹き荒ぶ嵐に立ち向かい
丸めた自らの背中を盾にして
必死に 必死にマッチをすり続ける人達よ
例えこの人生でもう二度と交わらないとしても
因果と因果のその先で
同じ銀河の下で
どうか今日 生きててくれ
生きて 生きて 生きろ



ほら もうすぐ雨はやんで
雲がはれて虹が出るぜ
虹が出たらさ きっと良い事があるよ
そんな馬鹿みたいな迷信を まんまと信じ込んだご機嫌な俺達が
きっと何かをやらかすよ
俺が思うに「生きる意味」っていうのは
自分自身がそれをわかっていないままに
誰かに教えていくものだと思う
そんな日々こそが 生きる意味なんだと思う
大切な 俺の友達よ 家族よ 恋人よ
あなたが今日 生きていてくれて 本当によかった

日々 feat.アフロ あらかじめ決められた恋人たちへ

10分を超えるこの曲。
それだけ表現したいことがあるのが伝わってくる。

その中で、私が好きなフレーズを記す
よかったら、曲を聴きながら読んで欲しい。

ゴールテープの真下にスタートラインが引かれているような
毎日から解放されて
不本意だって顔をしながら
不謹慎だって思いながら
間違いなく安らぎを感じている俺がいた

とても共感した。誰に急かされているわけでもないのに、自由は掌の中にあるはずなのに、何かに追われていた毎日。そんな余白を許さない日々があった。
スマートフォンは手放せず、でもスマートフォンは嫌いだった。休む理由をくれなかったから。
でも家にいる時間が増えて、強制的に余白が作られた。それが嫌だとも感じたけれど、どこか心地よかった。それは、私だけじゃなかった。


時がくれば俺たちはまた始めてしまう
焼けた鉄板の上に飛び降りて
もがき のたうちまわり
激流の中に自らのりこんで
溺れそうになりながら
ありもしない終着点を目指す

これは間違いなく、感染症が流行する前の私たちの暮らしだ。
自分で自分の首を絞めながら、苦しんで、その先に何かあると信じて、なにかをしないと気が済まなかった。
外出が自由にできなくなった頃、この暮らしから一時的に離れることができた。
私たちはまたそんな日々を始めていないだろうか?なにもしなくてもいいと気づけたのに、それをまた手放そうとしていないだろうか?本当に、そうしなければいけないのだろうか。

今までまことしやかに囁かれてきたが決して信じなかった
信じる訳にはいかなかった幸福を
ここに残す

このフレーズはとても刺さった。
何もしなくても幸せなんだって、求めなくても大丈夫なんだって、認められない自分がいた。
だって、それを認めてしまうと、今何かを欲して頑張って、余白を潰している自分を否定することになるから。
だから、信じる訳にはいかなかったんだ。
そう表現したことを、とても魅力的に感じる。
今もまた、余白を潰していく毎日に戻っている気がする。


木々の緑 花壇には向日葵 風が吹いて砂埃
見渡して気づく
これらはすべての偉大な芸術家が命をかけて描きたかった色彩だ
すべての芸術の元ネタだ

ハッとした。
この前の歌詞で、美術館が休館であることを描いている。
今は美術館も開館している。
しかし、美術館に行かなくとも芸術は目の前に広がっているのだ。
それを気づけたのは、皮肉にも、美術館が開いていなかったから。
不自由にこれまでの自由を実感するように、ないから見えるものがある。
ないことは必ずしも、不足とは限らないのだ。
余裕から生まれるこの感情には、限りない価値があると思う。

幾千幾万の思惑と孤独を抱えて
縁のない隣人とすれ違い
運命に会いに千里の道をゆく

最も近くにいる隣人とは距離を取り、自分の好きな人のために遠くへだって出向く。
これは現在も変わらない姿だ。
隣人トラブル、過剰な地域コミュニティの同調圧力を恐れ、本当は助け合いたい隣人とは話もしない。哀しいが、それが最善なのかもしれない。その哀しさと、遠くでも会いたい人がいるという喜びを巧みに対比している。僕が一番好きなフレーズ。


曲全体を通して

初めはピアノで、時間がゆっくり流れる。ドラムがフェードインしてくる。でもリズムは変わらない。まるで誰かに背中をさすられているような感覚になる。
中盤から、街の様子を描くにあたりテンポが上がる。
それは沢山の人の営みを表し、忙しない東京の摩天楼を想像させる。
それでもどこかに優しさがあって、一つ一つの音の響きに温かさを感じる。
終盤、MCアフロと、自分について語られる。〜ないけれど、〜なかったという、逆説の連続。
一点の曇りもないほど綺麗じゃないけど、綺麗であろうとし続けることが素晴らしいんだと、解釈した。
慰めなのかわからないが、自分は、自分のこれまでは、決して間違っていなかったんだと言われている気がして、元気をもらえるところだと思う。


2023年のいま、この曲を聴いて。

また、私たちは命の大事さを、死の近さを忘れかけていないだろうか。
今、生きている。大切な人がいる。好きなことができる。
この、当たり前の幸福が、見えなくなっていないだろうか。

流行した時には、多くの人が亡くなった。隔離され、最後を看取ることもできなかったという話を聞いたのも一度や二度ではない。
その悲しみや怒りは、今どこにあるのだろう。

人は、欲しがるくせに、手にした途端、その魅力を見失ってしまう。そして失ってようやく、大事さに気が付く。
不謹慎かもしれないが、感染症の流行は悪いことだけではなかったと思う。
当たり前の大切さを気づく機会になった。

この曲を今聴いて、またその大切さを忘れようとしていることに気がつけた。また、余白を塗り潰すような日々になろうとしていることに気がつけた。元気がもらえた。ぜひ、一度聴いてみてはどうだろうか。

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