1K6畳で彼女と同棲した僕が味噌汁の味を思い出すまで
実を言うと僕は同棲をしている。
僕は29歳、彼女は24歳。
身を固めるには早すぎる訳でもない年齢である。
彼女との出会いは池袋で声をかけたことである。
「すみません、ナンパとかじゃないんですけど。」
色々な声掛けをしたけど、
数年前に流行っていたこのフレーズが
なんだかんだしっくりきた僕は
大学の頃の大して仲良くもなかった
アカペラサークルの友人との
待ち合わせの時間までに
少し時間が空いたので彼女に声をかけた。
怪しそうに僕を見つめている彼女は
少し茶色に髪を染めた胸上程度まである髪の長さで
どこにでもいる量産型のような見た目だった。
顔は少し切れ長の目という程度で
これといって特徴はなく
特別整っているわけでもない。
肌の透明感や化粧の雰囲気といい、
美意識も特別高いわけではなさそうだ。
推定身長155cm程度の
いわゆる普通の女の子だった。
そんな彼女の怪しそうな眼差しは
次第に信頼と安堵に変わっていた。
手馴れた手つきで連絡先が記された
QRコードを読み取り連絡を送ると
2時間後くらいに返事が来る。
「さっきはびっくりしました。
お仕事頑張ってくださいね!」
平均年収を満たさない程度の
うだつの上がらない会社の中でも
あまり社内で評価されていない僕を
鼓舞するような連絡がきた。
僕は間髪入れずに連絡先に登録された
彼女の名前を編集する。
「みさき 23歳 OL スト値3」
スト値とは外見のレベルのことである。
マックスは10。3ということは平凡以下である。
そんな彼女と関係性を持つのに
時間はかからなかった。
次に会ったのは2週間後の大衆居酒屋の個室だった。
お店にいる全員が機嫌よく飲んでいる
そんな金曜日の夜で
脳死で誰にでも言えるような言葉を
ルーティン的に彼女に投げかけて
ゲーム感覚で好感度を上げていき、
彼女はその虚構に満足そうな笑顔と
満更ではない眼差しを僕に送ってきた。
そして、その日のうちに
僕達は身体を重ねたのであった。
それからは外で会うのはお金もかかるし
怠惰に性欲を満たしたいだけだったので
外で会うのはやめた。
数週間おきに家に来てもらい、
湯葉よりも薄い言葉を投げかけても
満足そうな彼女の笑顔を見ながら
僕はどこか冷めた気持ちで身体を重ねていた。
多くの人と同時進行で身体を重ねている
僕からしたら彼女は都合がいい子だった。
彼女の
「旅行に行きたい!」
「イルミネーションみたい!」
「初詣行きたい!」
「お花見したい!」
「食べログで見つけたこんなお店に行きたい!」
そんな誘いは全て
「仕事が忙しいから」
などと取るに足らない理由をつけて断り、
家に誘って身体を重ねる関係だった。
そうやって惰性で季節だけが巡っていった。
夏が終わり風鈴の音が季節外れな時期になり
少しばかりの切なさを感じ始める。
そんな秋の初めだった。
彼女から
「生理が来ないの。」
女性がよく言うやつだ。
中学生の頃に
「自転車の鍵がない」
って言ってひとしきり騒ぎ立てて
カバンごとひっくり返して探したら
毎回カバンの奥に鍵があるくらいに
お決まりのセリフだと僕は思っていた。
まぁ、どうせストレスや環境が起因して
少しズレているだけですぐに来るだろう。
と思っていたが2ヶ月来ないと
電話で報告を受けた僕は
「もう用済みだ」
とボソッと呟きソファに腰掛け
タバコに火をつけながら
その憂鬱な気持ちと一緒に煙を吐いた。
そっと彼女の連絡先をブロックしたのである。
その日飲んだお酒は"味がしなかった"のを
覚えている。
これといって趣味のない僕は
休日に一緒に遊ぶ友人も多くはなかった。
インターネットで知り合った
ナンパをする同じような友人がいる程度で
彼らとはナンパ以外の共通の趣味があるとは
言えない希薄な関係だった。
そんな彼らと今日は土曜の22時に
居酒屋で待ち合わせをして
そのままクラブにいく予定があった。
僕らの制服とも言えるような
全身を黒い服でコーディネートして
自己満程度な変化しかしない
メイクとヘアセットをして
家賃6万円の6畳1Kを出ようとしたら
玄関口に彼女がいた。
「話をしたい」
驚きを隠せなかった僕は脳死的に塩対応をした。
待ち合わせの時間までに余裕がなかった僕は
突然のことに脂汗に近い汗をかきながら
「今は時間がないから話せない」と伝えた。
そうすると彼女は
「出かけてきてもいいけど、
私おうちで待ってるね。」
そう言ってきた。
思考に余裕が無い僕はその提案を飲むことにした。
その場を逃げ出すことで必死だったから
彼女に鍵を渡したが、
これが正常な判断だったとは
今振り返っても思えない。
それくらいに気が動転していたのであった。
それだったとしても一刻も早く
ネショベンをした小学生が
シーツを隠すのと同じように
現実から目を背けたかったのである。
そうして居酒屋に行き彼らと乾杯する。
"酒の味がしない"
そう思いながら希薄な彼らと
最近抱いた女性の話をする。
それ以外で話せる内容がない僕らは
まるで寂しさを埋め合う野良猫の集会のように
酒を片手に談笑をした。
そしてクラブに行く。
聞き飽きた興味がまるで湧かない音楽が
爆音で流れている。
僕は不器用に音楽にのりながら周囲を見渡す。
周囲を見渡すと音楽に器用にのって踊る人、
酒を片手に通路脇でケータイをいじる人、
その場で上下に揺れている人。
異性同士でハグしあって今にも
唇が重なりそうな距離で話している人。
色んな人がいた。
だけど、みんな共通しているのは
何者にもなれなかった人達が
何者かになれた瞬間をこのクラブで
錯覚していることだった。
そんな虚しさを埋め合わせるように
その場にいる女性数人に声をかけるが
不思議と相手の反応が悪く、
連絡先すら交換できずに
朝の5時にクラブを退店した。
その後街中にいる女性に声をかける元気もなく
希薄な関係の彼らと大して名残惜しくもない
別れを告げて帰路に着いた。
家に着き恐る恐る扉を開けた。
彼女は安堵の表情で
僕の狭いシングルベッドで眠っていた。
それと同時に見知らぬ荷物が大量にあった。
これは彼女の私物だろう。
疑問に思った僕はそっと荷物の中身を
確認しようとするとハッとした表情で彼女が
「おはよう。今日から私ここに住むね。」
いや、待て。それは非常にマズい。
どうにかして彼女を追い出さないといけない。
眠さと酔いでロクに回らない頭を回転させたが
妙案は思いつかず
一旦話し合いを放棄して眠ることにした。
隣で二度寝をする彼女の甘い匂いに
どうしても我慢ができない自分を呪いながら
性懲りも無く身体を重ねて気付いたら眠っていた。
家の中で聞きなれない音が聞こえて目が覚める。
狭いキッチンから物音がしたので
薄く目を開くと彼女が頼んでもいないのに
朝ごはんを作っていた。
簡単な卵料理とお味噌汁を
作ってくれていたようだ。
寝不足で酔いが抜けきらない
僕にとってはありがたかった。
味噌汁を飲んで五臓六腑に染み渡る感覚を
久しぶりに体感するが
どうしても"味噌汁の味"がしない。
そんな"味のしない状況"に少しずつ
慣れを感じてきた僕は
この状況をどうにか解決する方法はないだろうかと考えたが、
彼女に堕胎をお願いするにしてもお金が無い。
お金を借りるにしても気軽に借りれる
友人もいない。
当然田舎にいる両親にも
相談することなんてできない。
思考が終わりのないメリーゴーランドのように
ぐるぐる回るがロマンチックな答えも出ず、
次第に混乱し始める。
そんな混沌とした自分会議をしている
空気にも関わらず彼女は少しの笑みを浮かべて
「美味しい?」
と聞いてきた。
"味がしない"とは言えず月並みな感想を
義務的に伝える。
そうして食事を終えて再び眠た眼になった僕は
思考することが面倒になり、
やがて考えることをやめたのである。
僕は29歳、彼女は24歳。
身を固めるには早すぎる訳でもない年齢である。
それはまるで無宗教な野蛮人である僕や
多くの日本人が都合よく出す神様って
ヤツからのお告げだとも思った。
いや、正確には物憂げな犬のように
従順に事態を飲み込んだのであった。
絶世の美女との婚姻を理想として描いていた
将来の航海図を破棄して
僕のワンピースは終わった。
どこにでもいそうな普通の女の子と一緒に暮らす。
そこからは仕事を頑張った。
同じやり方をしているのにも関わらず
不思議と社内の評価が上がっていった。
街に出てナンパをすることしか趣味がなかった僕は
街にでることもなくなり、
元々友人もあまりいなかったので
お金も自然と溜まるようになった。
家に帰ると世間から見たら可愛いとは
決して言えないどこにでもいる彼女がいる。
そんな風景も度重なる日の出と日の入りを
繰り返すうちに少しずつ日常になってきた。
お腹が風船のように大きくなりはじめた時期に
実家に彼女を連れていったが、
母親は涙を浮かべながら
「あんたにお似合いの優しそうな子でよかったわね。」
と言ってくれて自然と僕は久しぶりに
涙を誘われてしまった。
家に帰り彼女は疲れたのか
シャワーを浴びて清潔な状態で
いつもの狭いシングルベッドで
寝息を立て始めていた。
「そんな暮らしも悪くないな。」
とボソッと呟き
ソファに腰掛けタバコに火をつけながら
あの日の憂鬱だった気持ちと一緒に煙を吐いた。
太陽が地平線から挨拶を始める。
それはとても爽やかな陰鬱の香りを
微塵にも感じさせない
どこか甘酸っぱい陽の光だった。
そんな状況とはまるで正反対の
全社畜人類において憂鬱な月曜日の始まりだ。
24時間を5回繰り返せばまた土曜日が来る。
そう機械的に自分に教えこみ
今日という世界を始めようとする。
「おはよう!」
朗らかな表情で彼女は僕に声をかけてくる。
朝ごはんは卵料理と味噌汁だった。
小さな声でいただきます。
と呟いた僕はそっと1日を始めるための栄養を採る。
最近少しだけ"味噌汁の味"が分かり始めてきた。
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