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過疎ってた頃のモブハントの思い出〜その5(完)


過疎り時代のモブハントは、人が集まる迄の時間を持て余していた。

パーティの待機場所は、モブがポップしている側である事が多いが、その場所がテレポ可能な場所のすぐ近くとも限らず、隣のマップから来た方が早い場合もある。

人が集まるまでの間、他愛もない会話が出る事もあるが、大概は各々無言で待っていたり離席していたりクラフトなんかをしている。

こう、ぼんやり待っていても他のモブが気になる。
ザ・ハントで確認してみると、同マップにもう一体ポップしている。

なので今待機しているメンバーに「モブ探してきます」と伝え、パーティが揃うまでの間、同マップ内を徘徊してみたり。過疎っていたので、そうやって探す余裕もあった。

または待機場所に合流してきた人が、途中の別マップ内で見つけたモブを教えてくれる時もあり、目の前のモブを倒した後にその座標まで案内してもらう、なんて事もしばしば。

元々ある言葉なのか、テレポ連れていってくれてありがとうの意味合いで
「ありぽ」という文化もその頃知った。同時期に始まった「宝の地図」でもよく出る言葉だ。


そうして次第に、一体だけでなく複数体狩る事が当たり前になっていった。
この形が今思えばモブツアーの始まりだったのだろうと思う。

一度に二体、三体、複数体のモブツアーとして募集を立てて、集まった人で狩ってサイトに報告する。

やっている事はルーチンであるが、中間パッチが当たったり報酬の追加などで人の多さに変動が生まれた時、人が増えれば奪い合いになるので一体ずつ募集を出した方がいいとか、人が居なければ複数体見つけてツアーにした方が良いのかなとか、誰からともなく始まるそんな加減を体感できて面白かった。

あとどんな事があっただろうか。
さらに過疎っているエオルゼアゾーン側のモブの謎即死攻撃をくらった事。
出現条件であるミニオンを連れていたら目の前でカイザーベヒーモスが出現して感動した事。
今、思い出せるのはもう断片的な部分ばかりだ。


そうしてイシュガルド時代が終わり、2017年大型パッチ4.0「紅蓮のリベレーター」が始まった。

ここで初めて大型パッチリリースのアーリーアクセスでの参加をし、無事にメインストーリーでアラミゴを奪還したところで、自分はしばらくFF14を休んでしまった。そこで少々ブランクが生まれた。

そして1年ほどが過ぎた時、再びFF14へログイン。
休んでいた間のパッチを消化したり、没収されたハウジングを取り戻したりしていたが、ふと新しいモブハントはどうなったのだろうと覗いてみたら、かなり大きな変化を遂げていて驚いた。

モブハントが今現在のような、さらに大規模なモブツアーと化して居たのである。そして気がついたら、Yさんやその界隈の人達が居なくなっていた。

この間に何が起きたかを自分たちは全く知らない。
そんな変化の思い当たる節といえば、モブ討伐ウン千体のアチーブメントとしてマウントが追加された事だ。
モブにもっと人が増えたら良いなあ、なんて思っていたけれど、たったそれだけで、こんなに人で賑わうコンテンツになったのには戸惑う程だった。

たった一年ちょっと離れていただけでモブハントがそのような状態になっていたり、またエウレカが始まっていたりしてそちらもかなり盛り上がっている様を見て、なんだかずいぶん取り残されてしまったような気分になってしまった。今は、少なくともハウジングが没収されないぐらいにはログインしている。

モブツアーは今の形で安定したようだが、今回のように大型パッチが当たった直後はAモブの攻略の仕方や、Sモブのポップ条件もわかっていないので、今回からメインストーリーが追いついた人でも今しか味わえないカオス状態が楽しめるだろう。

6.0の新モブたちだ!


かなり端折って書いてしまったので、プレイヤーの方であれば違和感のある表現もあったと思う。
オンラインのゲームを多少なりとも知っている方までなら分かるような表現を目指したけれど無謀だったかもしれない。

でも書きたい事は書き切った!これで明日からの6.0に専念できる…。

長々とお付き合い頂きありがとうございました。

それでは
ヒカセンの皆様は良い暁月ライフを…。
そうでない方も良い週末、そして年末を…。

(完)


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