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MY BOOK REVIEWS①  越境する家族ー在日ベトナム系住民の生活世界

このシリーズは、私が「移動する子ども」学を構想するようになった経緯や問題意識を、私の書籍をセルフ・レビューする形で述べてみたいと思う。


最初にレビューする書籍は、『越境する家族―在日ベトナム系住民の生活世界』(2001, 明石書店)。

この本は、「ベトナム難民」として日本に定住した人々について人類学的調査を行い、1997年に大阪大学へ提出した博士論文をもとにした書籍である。科研費の出版助成を受けて出版社に相談したところ、書名を「在日ベトナム人」にしてはどうかと提案された。当時は「在日外国人」に関する書籍が少なかったので、商業的には、こちらの方がインパクトはあるのだろう。しかし、私は、「越境する家族」、「生活世界」、そして「ベトナム人」ではなく「ベトナム系住民」としたかった。つまり、その頃から、既成の「名付け」では表せない領域や世界があることを感じていた。


なぜ、そのように感じたのか。少し時間を遡って、振り返ってみよう。

大阪大学大学院博士課程に在籍していた1988年、オーストラリアの多文化主義(multiculturalism)の現実を学びたいと思い、交換留学を利用してクィーンズランド大学(ブリスベン市)へ1年間留学した。大学で学ぶほか、地域の学校を周り、オーストラリアの移民政策や社会制度、教育実践に強い印象を受けた。

 帰国後、日本も将来は移民を受け入れ、多文化共生社会になるだろうと考え、日本に住む外国人の生活を調査したいと考えた。そこで、選んだのが、当時1万人ほど日本に入国していた「ベトナム難民」だった。トヨタ財団から1年間(1989年度)の研究助成を受け、ベトナム語を習い、関西、関東でそれぞれ30家族、合計60家族へインタビューを行った。片言のベトナム語と日本語による調査であったが、どの家族も温かく向かい入れてくれた。

 この調査をする前に、アメリカなどに住む移民研究について文献研究を行った。それまでアメリカなどでは、移民がどのように社会に定住しているかを主題に、「民族集団」研究が盛んであった。それらの研究では、新着移民は英語を話さず自分たちの言語を使用し、自分たちのコミュニティ(民族集団)に固まって生活し、アメリカ社会に同化しないがマイノリティの立場から社会に異議申し立てをする様子が描かれることが多かった。その中で、新しい多文化共生社会が生まれてくるダイナミズムが論じられていた。

 当時「単一民族国家」とも呼ばれた日本社会に参入してきた「ベトナム難民」家族もきっと「民族集団」化し、日本社会に異議申し立てをするようになるのではないかと、私は考えた。しかし、いくら調査をしても彼らに「民族集団」化する様子は見られず、1年間では十分な研究成果を示すことはできなかった。トヨタ財団の担当者から、もう一年研究を継続しないかと提案をいただいたが、丁寧にお断りした。すぐに海外へ移動することが決まっていたからだ。

 1990-1992年の2年間、私は国際交流基金の日本語教育の専門家としてオーストラリアに派遣された。以前留学したブリスベン市にあるクィーンズランド州(QLD)教育省に勤務し、家族と共に暮らすうちに、オーストラリアにベトナム人が多数いることがわかった。1970年代後半から、オーストラリアは「ベトナム難民」を積極的に受け入れており、全豪ですでに20万人のベトナム人が居住していた。ブリスベン市に住むベトナム人にベトナム語と英語で話を聞くと、彼らの生活は、日本に暮らす「ベトナム難民」の生活と違って見え、新たな問題意識が生まれた。つまり、「ベトナム難民」と言っても、日豪で生活世界が異なるという比較の視点を得た。この視点は、大きな転機につながった。

 2年間のQLD教育省の任期を終えて帰国し、1993年に宮城教育大学の助教授になった。その後、在日「ベトナム難民」家族の調査を再開した。まず、1988年に訪ねた60家族を再訪し、その後の定住生活の様子を伺うことから始めた。するとすぐにわかったのは、多くの家族が国内外に再度、「移動」していることだった。

 その「移動」を追いかけた。国内調査だけではなく、ベトナムに一時帰国する「ベトナム難民」家族に同伴してホーチミン市や中部ベトナムの農村を訪ねたり、シドニーに移住した若者を訪ねたり、アメリカのカリフォルニアに移住した若者を追いかけたりして、話を聞いた。その結果わかったのは、難民家族のネットワークは、日本に住みながらも、日本国内だけではなく、ベトナムや他の第3定住国に住む家族や親族にも広がっていた点だった。その調査結果も含めて博士論文にまとめ、大阪大学へ提出し、博士号(文学)を授与された。

その論文をもとにした本書を、朝日新聞の書評欄に、ベトナム研究の第一人者である白石昌也先生が紹介してくれた。その一部が以下である(朝日新聞、朝刊、2001年5月6日)。


      本書は、日本におけるベトナム系難民の軌跡を追い、彼らを取り巻く内外の
        状況変化を視野に入れつつ、とりわけその生活と心理に肉薄した労作である。
        地域住民として日本社会に向き合う難民たちは、その一方で、ベトナム祖国、
       そして他の難民受け入れ国であるアメリカやフランスへと広がる独自の「大家
       族」ネットワークの一員でもある。彼らのアイデンティティーや生活戦略に見
      える揺らぎを、著者の目は見逃さない。

 

 この研究で学んだことは、「ベトナム難民」家族(特に、第一世代)は、日本で暮らしながらも、国内だけではなく、祖国や第3定住国の家族、親族、友人等とつながる生活世界に生きているということ、そしてその生活世界は日本や祖国、国際社会からの社会的要因の影響を受けること、さらに、その生活世界は固定的ではなく変化すること、つまり動態性があること等であった。

 したがって、目の前の人を、「国籍」や「出生地」「在留資格」などで「名付け」ても、その人自身の心の中や意味世界はそれらの「名付け」とは別の広がりがあるのだ。

これらの気づきは、今から思うと、のちの「移動する子ども」学を構想する基盤となるものであったが、まだその時点ではそこまで気づいていなかった。

 

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