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MY BOOK REVIEWS ⑥私も「移動する子ども」だった―異なる言語の間で育った子どもたちのライフストーリー

このシリーズの6冊目にレビューする書籍は、『私も「移動する子ども」だった―異なる言語の間で育った子どもたちのライフストーリー』(2010, くろしお出版)。

この本は、2006年から始まった「移動する子ども」シリーズの第5弾として編んだ本である。日本語教育の学界では、1990年代から2000年代まで、「日本語指導が必要な児童生徒」(文部省/文部科学省)に焦点化した研究がほとんどを示していた。私もその研究動向に関わってきたが、ある日、これらの「日本語指導が必要な子ども」が大人になるとどうなるのかが、気になってきた。その答えを知るためには、かつて子ども時代に複数言語環境で育ち成長した大人に聞くしかないと思った。

周りを見ると、国内の「日本語指導が必要な子ども」の成長後を追いかけた研究は皆無だった。そこで、幼少期より複数言語環境で成長した人にインタビューすることを考えた。

すぐに、私の研究室の院生たちに、調査の目的を説明し、「こんな人にインタビューしてみてはどうか」と思う候補者をネットで探してリストアップしてもらった。すぐに、10数名の名前があがった。すでにプロとして活躍している人やいわゆる有名人が多かった。候補者は、職業や専門領域、背景など、なるべく多方面から集めたいと思った。

その結果、セイン カミュさん(タレント)、フィフィさん(タレント)、一青妙さん(歯科医・女優)、コウケンテツさん(料理研究家)、華恵さん(作家・エッセイスト)、白倉キッサダーさん(野球選手)、長谷川アーリア ジャスール(サッカー選手)、響彬斗・響一真さん(大衆演劇座長・役者)、NAMさん(音楽家・ラッパー)などがリストアップされた。

調査方法としてインタビューを思いついたのは、博士論文で「ベトナム難民」家族へのインタビューをしていたことや、大阪大学大学院の博士課程で人類学を学んだ際に、日本の農村、漁村、山村のフィールドワークで「聞き書き」をした経験があったので、自然な発想だった。

ただ、今回は、大人を対象に、幼少期からの複数言語環境で言語とどのように向き合ってきたのか、その成長過程に焦点があったので、「ライフストーリー・インタビュー」しかないと思った。また、このような研究のテーマや着想は、他に前例がなく、研究意義は極めて大きいと思われたので、最初から、論文ではなく、書籍として研究結果を公開することも考えていた。

また、この研究テーマはこれからの社会や子どもたちに関わる社会的課題と考えられたので広く衆目を集めたいとも考えた。その戦略として、市井の人へのインタビューではなく、有名人や、これから有名になると思われる人を対象にインタビューをするのがよいと判断した。

ただ、ここからが大変だった。リスト化された候補者一人ひとりに、調査協力をお願いするための「インタビュー依頼書」「調査目的の説明書」「私の研究や業績の説明」「謝礼」「調査協力同意書」などを書いた文書を作成し、候補者の連絡先や所属事務所宛てに送付した。すぐに返事が来る場合もあれば、断られる場合もあった。今、アメリカのメジャー・リーグで活躍している野球選手にもインタビューを申し込んだが、当時所属していた北海道のチームの広報部から、丁寧な「お断り」のお返事をいただいた。理由は、翌年(2009)春のWBC(ワールド・ベイスボール・クラシック)に専念したいからということであった。

 インタビュー調査は2009年の春休みから始まった。どの人のインタビューも、楽しく、印象深いものだった。アメリカ人の父と日本人の母のもと、アメリカで生まれ6歳までアメリカで育った華恵さんは、当時、高校2年生だった。都内の高校に通っていて、放課後に制服姿で早稲田大学にある私の研究室に一人で来てくれて、インタビューを受けてくれた。そのインタビューの原稿をまとめた初校ゲラ(印刷前原稿)を確認してくれたのは受験勉強中の高校3年生の冬休みだった。時間をかけて、丁寧にゲラをチェックしてくれた。翌年(2010)春、東京藝術大学に現役合格した。才能豊かな人だなあと思いました。大学卒業後は、テレビやラジオ、インターネット等で活躍している。

 台湾人の父と日本人の母のもと、東京で生まれたのち、小学校6年生まで台湾で暮らした一青妙さん。中国語、台湾語の環境で育ったため、自身を「台湾人」と思っていたと語った。その後、中学生から大学まで日本で暮らし、歯科医と女優として活躍するとともに、最近は作家、エッセイストとしても多数の書籍を刊行している。その妙さんが、40歳代になってから、自身の中国語が年齢相応の中国語になっているか不安があると語ってくれたのが、印象的であった。

 ニューヨークで生まれ、親の仕事に関係で、ギリシャや中東、日本、シンガポールなどで成長したセイン カミュさん。生まれたアメリカではなく、日本で暮らし活躍するようになった背景も話してくれた。子どもの頃、マルチリンガルで他の子どもたちとやりとりしていた様子を、「言語というより、話し方かなあ」と語ってくれたことが印象的でした。子ども時代の言語理解を知る上で貴重なコメントだった。また自身のアイデンティティ・クライシスや、日本語も英語も流暢だが、英語を読むのが苦手とも話しれくれた。

 エジプトで生まれ、エジプト人の両親とともに来日し、名古屋で育ったフィフィさんは、子ども時代から大人になるまでのストーリーを詳しく語ってくれた。韓国人の両親のもと、大阪で生まれたコウケンテツさんは、料理研究家としてデビューしたばかりで、都内のご自宅でインタビューを受けてくれた。「在日ベトナム難民」家族の両親のもと、神戸で生まれたNAMさんは、ベトナム語を学ぶために自費でベトナム留学し、その後ラッパーとして活躍した半生を語ってくれた。神戸から都内に転居した際には、早稲田大学の私の授業でも、ゲストとして来てくれて、学生の前で、『オレの歌』を熱唱してくれた。

「タイ語、禁止」と母親から言われた白倉キッサダーさんや、「使えないハーフ」と自嘲気味に話した長谷川アーリア ジャスールさん、ブラジルで成長した後来日した響彬斗・響一真さんも、それぞれ貴重な話をしてくれた。これらの人の幼少期からの話を聞くと、子ども時代に複数言語に接触する経験は、その後の人生に様々な影響を与えていることがわかった。「バイリンガルで、よかったね」といった単純な話ではないと思った。

 そのインタビュー調査の結果を、学界はどう受け止めるのだろうかと思って、日本語教育学会の秋季大会(2009年10月、九州大学)にエントリーし、口頭発表の機会を得た。

<発表タイトル> 「私も「移動する子ども」だった―幼少期に多言語環境で成長した成人日本語使用者の言語習得と言語能力観についての質的研究―」(『2009年度大会予稿集』pp.183-188.)

 私に割り当てられた発表時間は、大会2日目の午後の最後の枠。帰路を急ぐ人もいるだろうから、会場はガラガラだろうと思っていくと、キャッチーなタイトルのせいか、立ち見が出るほど満杯で、100人以上が集まっていた。驚きの手応えを感じた。この発表の最後に、次のことを主張した。少し長いが、『予稿集』より引用する。

  「 これらの結果からまとめると、幼少期に複数言語環境で成長した成人日本
    語使用者の言語習得と言語能力観について、以下の5点が浮かび上がる。
    ①子どもは社会的な関係性の中で言語を習得する、②子どもは主体的な学
    びの中で言語を習得する、③複数言語能力および複数言語使用についての
    意識は成長過程によって変化する、④成人するにつれて、言語意識と向き
    合うことが自分自身と向き合うことになり、その後の生活設計に影響す
    る、⑤ただし、言語能力についての不安感は場面に応じて継続的に出現す
    る。
      では、これらの知見はCCB(移動する子どもたち)への言語教育にお
    いて何を意味するのか。空間を移動し、言語間を移動し、言語教育のカテ
    ゴリー間を移動するCCBは、既成の記述的な言語能力や言語教育のカテゴ
    リーとは別次元で、極めて主観的な意識のレベルで言語習得や言語能力意
    識を形成し、そのことに主体的に向き合い、折り合いをつけることによっ
    て自己形成し、自分の生き方を立ち上げていくということである。ただ
    し、その言語能力は高度なマルチリンガルのように見えるが、常に不安感
    を秘めた言語能力意識である。この「不安感を秘めた言語能力意識」を踏
    まえ、その意識に向き合う言語教育実践の構築が今後の課題となろう。」
    (p.188)

本書のタイトルはこの発表前から決めていたが、この発表で、「これでいい」と確信した。

このインタビュー調査から、私の研究は、複数言語環境で成長する子どもの研究から、そのような経験を持つ大人の研究に視野が拡大した。本書は、その大きなターニング・ポイントとなる一冊となった。なぜターニング・ポイントとなったのか、次回から詳しく述べてみたい。

この本には、帯をつけたいと思った。そこで、日本語教育学会の元会長で、文化庁文化審議会会長の西原鈴子先生に「帯文」をお願いすると、快諾してくださり、すぐに「お言葉」を送ってくださった。

   「10人の「移動する子ども」だった方々のお話は、“複数の言語との接触が
   同時に複数の「生き方」との接触だ”と教えてくれます。これは移動という
   オプションで育まれた豊かなこころの軌跡の物語です。研究者にはわくわく
   するデータ、子育てする人には得難い参考書、成長中の若者には力強い応援
   歌となることでしょう。」(「帯文」より)

この「帯文」は今も色褪せない。この「帯文」のおかげで、多くの人が手に取ってくれたと思う。本のカバーデザインは、今回も、装丁家の桂川潤さんにお願いした。インタビューをした人たちの写真を配したデザインになっている。その多くの写真は、インタビューに同行した院生たちが撮ったものだったが、素人の写真なので、インタビュー協力者からいただいた写真に差し替えたのもあった。その一人、当時高校3年生だった華恵さんも、プロのカメラマンに撮ってもらった写真を送ってくれた。そのプロ意識に、感心した。おかげで、素敵なカバーとなった。

補遺:

『週刊NY生活』(858:2022年3月19日10面)に書評が掲載されました。評者はNY在住の藤田麻紀氏。「複数言語能力を親が考えるだけでなく、子ども本人がどのように意識して考えられるようになるのか、をより一層考えるようになった。」https://nyseikatsu.com/editions/858/858.pdf



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