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原動力

自分の原動力って何だろう?

原点に返るつもりで時々考える。なんでこんな面倒くさいことしてるのかな。そりゃもちろん、やってみたらうまくいった、出来た、楽しい、結局こういうのが好き,っていうことなんだけど。

思い出すのは

「帰ってこい。カネはなくても、食べるものと寝るところはある。」

結婚生活が破綻していて、いつ次の生活費が入ってくるかも分からない状態の不安の中で、幼子二人を抱えながら、こういうことに耐えるのが結婚生活だし、自分はもう大人なんだから、苦しいなりにちゃんと自分でなんとかしなきゃ、するべきだと思い込んでいた節がある。自分が身動きとれない状態なことも理解できないくらい、実は幼かったし、賢くもなかった、と今ならわかる。そして同時に分かるんだ。あの頃の私のように身動きとれないことすら理解できずに苦しむ若者はたくさんいるのだろうと想像が出来る。

ひと頃、定住先も持てず、定職に付くことも出来ずネットカフェで暮らす都会の若年貧困層の姿なんかを取りざたされたが、都会の片隅でそれほどの貧困にあえぐくらいなら、田舎や身内を頼るなり,いくらでもやり用はあるだろうに、とつい思ってしまうが、「いくらでもあるやりよう」が彼らにはわからないのだ、多分。それを愚かだとか無知だとかで片付けてしまうとしたら、それは当時の無知な自分を切り捨てることと同じことだと感じる。

当時の自分には、何はなくてもとりあえず帰ってこい、と言ってくれる親があった。それが出来ない親や、状況だって、もちろんたくさんあるだろう。

けれど、一時避難でもいい、緊急脱出でもいい、とにかく居場所はある、というのは、人生に於いて、人間にとって、とてつもなく大切なことだと、身を以て感じている。

だから、そうして帰ってきた私の故郷は、安心して息の付ける場所であり、人に助けられながら,生活と子育てをして生きてこられた場所でもある。

だから、守りたい。子どもが成長してまちを出、生活の拠点がそれぞれの場所にできる。でも、変わらない、それはいざとなれば食べるものと寝る場所はある居場所だと言うこと。私がして貰ったように、今度は私がそう言えるように守っていきたい。

たいそうな世界平和の思想ではない。大げさな人類愛なわけでもない。一番身近な子どもたちにとってのそんな場所にしておきたい、それが原点。ただそこから派生して、少なくとも同じように考える人たちが地域の中にいれば、共通の想いでそれが地域全体の想いになる。そうなってくれればいいな、ただそれだけ。

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