見出し画像

溢れる愛情は気持ちいいと知っているから、愛せないと感じるときは虚しいんだな。

決算書作った。確定申告も無事済ませて納税も済んだ。入院中の旦那の留守宅、雪かきをして、掃除洗濯を済ませ、郵便局へ寄って宅配荷物を受け取り、来月のデータ入力をしてから、忘れずに生ゴミを出して、旦那がしびれを切らさない程度の時間までに病院へたどり着いて、見舞客の報告をする。一つひとつは大したことじゃなくても、きちんと忘れずにこなすのって本当はすっごく大変で、普通に生きている普通の大人のすることって、なんて多いんだろうと改めて思う。本当は、納税を済ませた時点で自分で自分を褒めてあげたい(そんな事じゃ誰も褒めてくれない)所なのに、今回は病院の行き来というオプションがついた。私の中の最大の関心事は決算なんだけど、そんなことはお構いなく、旦那にとっての最優先事項はモチロン自分のことになるから、内心の関心事はおくびにも出さず、粛々と滞りなく日常の些末なミッションをこなさなければ、私にとっての関心事が滞る。ゆえに、当たり前ではあるけれど私のクリアしてきた喜び、達成感など、旦那は知るよしもない。何でこんなねじれた思惑、心理で一緒に生活してなきゃなんないのかな、と思わなくはないけれど、日常の生活をしていく上で、他の誰でもない、旦那との共同生活が一番快適だと感じているのは嘘ではない。だから、割り切ってしまえばいい。旦那に、私が何に関心を持っているのか、何に努力をしていて、何に今傷ついているのか、そんなことを分かってもらいたい、悩みや達成感を共有したい、などという欲を持ちさえしなければ、生活そのものは至って快適なのだから。

旦那が病気になって苦しんでいるとき、ミッションのように粛々と看病をする。内心かすめる、自分の仕事のことを頭の片隅に追いやりながら、いかに私の優先事項が他にあることを悟らせることなく、やはり私が居てくれて良かった、と感じさせるだけの貢献が出来るかどうかに心を砕く。ほんの一瞬、他の人だったらどうなのだろう?と問いを抱く。子どもや親だったら?あなたのいない世界など想像もつかない、と思っていた頃の私だったら?他の関心事など、一瞬で吹き飛んで、目の前に居る彼への心配で頭がいっぱいになる愛情深い人間になってみたかったと夢想する。

言ってみても仕方がない。愛情は自分で図れない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?