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書くことは無限大

書くことは無限大かぁ…? 

ちっくしょう~うらやましいなぁ~

我が息子のことなんですけどね。

ウエブのライターをやっていて、小説も書き溜めているそうだ。

書くことを職業にしたいと思っていたのは、もともと私の方だ。

小学校の文集にも、”将来の夢は小説家” なんて書いちゃったりしたこともあるし、Ikkuは書くことが全然違う、小説家になったら?なんて言われては、内心まんざらでもない思いでいたもんだ。

今でも、息子がライターだと知ると、友人からはさすがIkkuの息子だね、とか言われたりする。

そう言われると、正直言って悪い気はしないけれど、でも。

私は自分を知っている。

ほんのちょっと人より得意だったことを褒められていい気になって、でもそれ以上の努力はすることもなく、うっすぅ~いメッキを付けたまま大人になっていっただけのただの凡庸な人間。

そんな人間が、努力もせずに年をとってしまったから、今じゃ書くことを思考し続けることさえ難しい。あ~あ、書きたいことは、いっぱいあったのにな、とか、結局何を言いたいんだか、自分でも分からなくなった、とか言っては、それも仕方がない、年なんだから、とか肯定している。そんな自分のことを、決して好きじゃないクセして。(だからすぐに、どうせ自分なんてって、発想になるクセして)

子供は親を超えていく。

それはいつの時代でも常道だし、むしろそうでなければ困る。

そうではあっても、もうちょっと、そびえ立つ高い壁になっておきたかったな~。けど、もともと何の努力もしてきてないんだから仕方がない。そんな薄い人間を超えるのは、楽々たやすいこと。「お母さんってすごいんだよ」っていう、本心からの尊敬のまなざしを実感できていたのは、せいぜい小学校低学年くらいまでだもんな~。

子どもは親を超えていく。

どう見積もっても、同じ時代、同じ環境にいたとしても、子どもの方が優れている。それは単純に嬉しいし誇らしい。

ひいき目抜きで、私は彼の文章が好きだし、思考が好きだし、世の親たちが一様に思うであろう「自分が一番のファン」だと自認できる。

認めた上で、自分を自覚した上で、今、思う。

これでいいのか?自分…。

卑下したり、腐ってるヒマがあるなら、可能な限りの自分の努力を続けて見てもいいんじゃないか?

「ちくしょう、うらやましいやん」って感情がわいたのって、つまりそういうことだよね。いやいや、別に息子と張り合って小説家になりたいとか、そういうことじゃないよ。そうではなくて、何の努力もしていない、って自認する自分が、そろそろイヤになってきた。





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