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「管理職は愉快です」復刻版 第6回


第1章 冬~初心忘るべからず

2節 できることからやる③


《心得10》太陽に挨拶する

太陽への挨拶

 朝夕の習慣のうち、特にお勧めな習慣が、太陽への挨拶です。

 屋上への非常階段が、朝日に挨拶するのに絶好の場所でした。
 「今日も一日、丸く、豊かに、明るく、元気に、感謝して生きられますように」と太陽に挨拶をすることから一日を始めました。

 生徒も教職員もほとんど出勤していない時間でしたので、素直に声を出して挨拶することができました。
 太陽への挨拶は、基本的に声を出してしたほうがいいと思います。
 そのほうが太陽からたくさんの元気をもらえるからです。

 太陽に挨拶をしていると、忘れていた言葉をいくつも思い出しました。
 「お天道様が見ている」という言葉がありました。
 「いつも心に太陽を」という言葉もありました。

 「お天道様が見ている」と口にすることで、人を相手にするのではなく、天を相手にしよういう気持ちになれました。

 追いつめられてやむなく太陽と向き合うようになったみたいなものですが、太陽に見守られている、わかってもらっていると思うようになって心がとても楽になりました。

毎日見ているものに気持ちが似ていく

 「人間は毎日見ているもの、接しているものに気持ちが似ていく。
 美しいものを見ていると、自分の気持ちもそうなりますし、汚いもの、雑なものを見ていれば、必ずそういう風になっていく」とは鍵山秀三郎さんの言葉
です。

 太陽を毎日見ていれば、太陽のようになるでしょうか。毎日教室をきれいにしておけば、生徒の気持ちもきれいになるでしょうか。
 そんなことを思いながら四階から順に一階まで下りていく日々でした。

 一日の仕事を終え、街並みに沈む夕陽を見るときが一番幸せな気分です。
 何も考えずにただじっと夕陽を眺める時間は至福の時間です。
 太陽を身近に感じながら生活する習慣はいいものです。
 心が太陽に温められて、愉快な気持ちになりやすくなるようです。お勧めします。

《心得11》仕事を分類し、優先順位をつけておく

いつやるかという大問題

 「やるべきことをやる」「できることからやる」という話をしてきましたが、いつやるかという大問題があります。

 この大問題を解決する二種類の知恵があります。

 一つは、「明日に延ばせることは、明日に延ばす」という知恵Aです。
 もう一つは、「今日できることは、明日に延ばすな」という知恵Bです。

 どちらを選ぶかは各人の好みです。
 私は通常は知恵Aを好んで用いましたが、気が向いたときはBを選ぶこともありました。

知恵A 「明日に延ばせることは、明日に延ばす」

 知恵Aは、落ち込んだときや怒りで判断を誤りそうなときに「先に延ばす」知恵を思い出す素地となります。

 ところで、数学的にはAとBは逆の関係にあります。
 Aの対偶は「明日に延ばせない仕事は、今日中に済ます」という知恵Cです。

 Aが真であれば対偶も真となりますので、通常の私は知恵Cを重んじています。
 このCの発展が「何とかしなければならないときは、何とかする」です。
 この覚悟を持てない人は、知恵Aを信奉してはなりません。身を滅ぼすことになります。

 Aの発展に「何とかなるときは放っておく」「明後日やその先に延ばせることはやらなくていい」などがあります。

 気楽な生き方のように思えますが、「できることでもやらないと判断する」自律的な生き方であり、これからの時代に必要な知恵であると勝手に思っています。

知恵B「今日できることは、明日に延ばすな」

 Bは「できることは何でもやる」自動的・他律的な生き方で、近代化が始まってから現在に至るまで流行してきた生き方であると、これまた勝手に思っています。

教頭の各仕事をいつやるかという大問題

 教頭の各仕事をいつやるかという大問題に話を戻しましょう。

 私は知恵Aを信奉しているのですが、知恵Bを活用することもあります。
 それは仕事に優先順位をつけているからです。

仕事の4分類

 仕事は、「やりたい仕事か」「やらなければならない仕事か」で4つに分類されます。

 「やりたくて、しかもやらなければならない仕事」「やりたいけれど、やる必要のない仕事」「やりたくないけれど、やらなければならない仕事」「やりたくなくて、しかもやる必要のない仕事」の4つです。

仕事の優先順位

 私は「やりたくないけれど、やらなければならない仕事」を優先順位第1位としていました。

 「やりたくない仕事」は気が重い仕事の場合が多いので、気を軽くするためにすぐにやってしまいました。
 ただし、気が重くならない「やりたくない仕事」の場合は、知恵Aにしたがって先に延ばします。

 優先順位の第2位は「やりたくて、しかもやらなければならない仕事」にすべきだと思っているのですが、なぜか「やりたいけれど、やる必要のない仕事」のほうをやりたくなってしまいます

 この連載などがそうです。
 この優先順位を間違えると、仕事に押しつぶされます。
 ですから、無理難題が好きな人以外は、「やりたくて、しかもやらなければならない仕事」のほうを優先順位第2位とすることを強くお勧めします。

 なお、「やりたくなくて、しかもやる必要のない仕事」は誰もやらないと思うでしょうが、そうでもありません。
 自覚していないと、この仕事をやらされてしまうことがあります。
 やらされそうになったとき、「やる必要のない仕事」だということをしっかりと主張できるよう、きちんと仕事を分類しておくことが大切です。

《心得十二》初心忘るべからず

 第1章を「冬」~初心忘るべからず~としましたが、その理由をお話ししましょう。

「初心忘るべからず」とは

 全国大会で優勝した子供たちなどが私のところに表敬訪問してくれます。
 その際、彼らのためだけの名刺を作り、差し上げています。

 あるとき、高校生に、表に「初心忘るべからず」と題した名刺を贈りました。裏には、

 修行を始めた頃の初心の芸をわすれるな
 修行の段階に応じてそれぞれの時期の初心をわすれるな
 老後におよんでも老境の初心の芸を忘れるな

 下手な時代を忘れるな
 上手くなるまでの工夫を忘れるな
 上手くなっても謙虚であれ

と記しました。

 「初心忘るべからず」とは、未熟な頃の自分を忘れるなということです。
 できなかった頃の自分や悪戦苦闘しながらやり始めた頃の自分を思い出しなさいという世阿弥の叱咤です。
 そんな話を高校生にしました。

 しかし、「初心忘るべからず」は、私自身が最も心しなければならない言葉です。
 ですから、いつまでも忘れてはいけないという反省の気持ちを込めて第1章を綴りました。
 私の悪戦苦闘の体験から生まれた極意や心得が少しでもお役に立つことがあれば、感激です。

初めての頃の志

 ところで、初めての頃の志を忘れるな、という教えも大事だと思っています。
 その頃の志は未熟ですが、自分の一生を貫くテーマであることが多いようです。

 私自身は、志というほどのものではありませんが、高校生の頃から「孤独」というものが心から離れませんでした。
 世の中は、大家族から核家族へ、さらに家族が解体された「アトム化」「孤立化」へと移行しつつありました。

 教員時代に毎日発行したクラス通信の題を「独法師」(「ひとりぼっち」と読みます)としました。
 「孤独に耐える強さ」と「関わり合い続ける強さ」とを持つ人であってほしいという願いを込めました。

 現在も自立する強さとしての「自助」と助け合い支え合う強さとしての「共助」を、子供たちや教職員、学校に身につけてもらいたいと願っています。

「冬」から「春」へ

 「冬」の時代に固めた志を「春」「初夏」「夏」を通して何度も確認して磨きながら、実現する力量を鍛えていくことにしましょう。
 志の実現は容易ではありませんが、「秋」には精一杯の実りを実現できるようになりたいものです。

 管理職は無理難題に遭遇する機会に恵まれています。
 恵まれた機会を活かすためにも、無理難題に潰されないためにも、「いま、志を磨いている」という意識を持ち続けることが必要ではないかと思っています。

 志を磨いていると、その磨いた志に支えられ、無理難題を乗り越えることができるような気がします。

 では、「春」の章へと進むことにしましょう。
(初出 2015年3月17日「内外教育」)

解説

 太陽と友だちになることは、お勧めです。
 人間の友だちもいいのですが、太陽という友だちには、包み隠さず自分をさらけ出すことができます。
 自分のありのままを偏見なし見てもらえるので、信頼できる友だちになれます。
 それに、生涯の友だちをもつことができます。

 その友だちと朝夕、挨拶することを日課にしていました。
 最近、太陽と挨拶することを忘れていましたので、この機会に太陽への挨拶を再開しようと思います。


 「明日に延ばせることは、明日に延ばす」という知恵Aは、「ウサギとカメ」のウサギの知恵です。

 私はウサギ気質でしたから、知恵Aを好んでいました。

 ところが、歳を取ってからは「今日できることは、明日に延ばすな」という知恵Bのほうを多用するようになりました。

 原稿執筆を依頼されたときには、締め切り日前に原稿を執筆し終えています。大抵、締切の1か月以上前に、原稿を送ってしまいます。
 暇になり、時間が沢山あるので、今日できることが増えました。
 明日に延ばさず、今日やってしまうので、締め切りの1か月以上前に原稿が仕上がってしまうのです。

 年齢とともに活用する知恵が変化していきました。
 皆さんは、いかがですか。

 仕事の優先順位について、私は、

第1位…「やりたくないけれど、やらなければならない仕事」
第2位…「やりたくて、しかもやらなければならない仕事」
第3位…「やりたいけれど、やる必要のない仕事」
第4位…「やりたくなくて、しかもやる必要のない仕事」

としてきましたが、実際には、第2位と第3位を入れ替えてしまうことが結構ありました。

 ときには、「やりたいけれど、やる必要のない仕事」を優先順位第1位にしてしまって、「やらなければならない仕事」を徹夜してやらねばならない羽目になってしまったこともありました。

 それでも何とかしてしまう若さがあるうちは良かったのですが、最近はもう無理です。

 皆さんはいかがですか。

 第1位を「やりたくて、しかもやらなければならない仕事」としている人がいるかもしれません。
 「食べ物を好きな順に食べる」タイプの人に多いのではないでしょうか。
 私は「好きな食べ物は最後に食べる」タイプなので、「やりたくて、しかもやらなければならない仕事」のほうを後に回しています。

 仕事の優先順位の付け方には、人それぞれの個性が出ます。
 どのように優先順位を付けるかよりも、優先順位を意識することが大事だと思っています。


「初心忘るべからず」とは、一般には「未熟な頃の志を忘れるな」ということだと思われているようですが、「未熟な頃の自分を忘れるな」ということが本来の意味のようです。

 校長や教頭になると、未熟な頃の自分を忘れていることが多いものです。
 最近の初任教師を見ていると、私が初任の頃より教育についてきちんと学んでいるなと思います。

 新米教師だった頃の私は、教育について無知でした。
 大学で教育についてきちんと学んできませんでしたし、自ら学ぼうとしてきませんでした。
 採用試験対策はしましたが、どんな教師になろうかと考えることはありませんでした。

 教師になってから、目の前の生徒のために勉強を始めました。
 場が与えられ、必要とされる資質を磨く気になりました。

 学生時代は、すべてが準備のように思われて、真剣になれませんでした。
 教師になって初めて、自分が必要とされるので、本気で学びたいと思うようになりました。

 私にとって「未熟な頃の自分」とは、「必要とされることの喜びを知り、本気で人生を切り拓いていこうと、初めて思った自分」であったように思えます。

 「未熟な頃の志」のテーマは、「孤独」でした。
 教師時代から教育長くらいまでは、意識していたテーマです。

 最近は忘れかけていました。
 私の生涯のテーマですので、もう一度意識してみようと思います。


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