もう一つの「わらしべ長者」を創作してみました/昔話「わらしべ長者」
れんこんnote 055
とにかく生きること
「成長すること」は、とても大事なことだと思っています。
でも、「成長しなければならない」と成長を押しつけられたら、息苦しくて逃げ出したくなります。
だって、他人や自分が期待する通りには成長できませんから。
「成長」なんてものは、元気なときには成長しようと努力して、当初目標とした成長ではない形の成長を手に入れるもので、疲れたときには成長しようと頑張ることはしないで、いい加減に扱った方がいいものなのではないでしょうか。
私は、「成長すること」よりも、「とにかく生きること」の方が大事だと思っています。
そんなことを考えながら、もう一つの「わらしべ長者」を創作してみました。
もう一つの「わらしべ長者」
昔、一人の貧乏人がいました。
観音様に願をかけたところ、「初めに触ったものを、大事に持って旅に出なさい」とのお告げをもらいます。
男は観音堂から出たところ、石につまずいて転び、1本のわらしべをつかみます。
男がわらしべを持って歩いていくと、大きなアブがまとわりつくので、アブを捕まえてわらしべの先に結び付けます。
すると、大泣きしていた男の子がアブが結び付けられたわらしべを欲しいと言います。
わらしべは観音様からいただいた大事なものでしたが、わらしべを男の子に譲ります。
すると、男の子はわらしべで遊びながら、家に帰って行きました。
手ぶらになった男は、旅を続けました。
お金もなく、寝るところもないので、目に留まった大きな旅館の裏に回り、仕事をさせてもらえないかと頼みました。
何軒も断られましたが、小さな旅館で雇ってもらうことができました。
男はずっと下働きでしたが、真面目に働いたので、少しずつ信頼されるようになりました。
料理が得意だとか、そろばん勘定ができるとか、男に取り柄があったわけではありません。
言われたことを何とかやり遂げることで、精一杯でした。
ただ、観音様から「初めに触ったものを、大事に持って旅に出なさい」と言われたことは忘れませんでした。
かまどの側にわらしべが1本落ちていると、捨ててしまわずに、わらしべの束にそっと返しました。
わらしべに限らず、小さなものやささいなことを大事にするようにしていました。
男には、誇れるものは何一つありませんでしたから、観音様が自分にかけてくれた言葉だけが生きる支えでした。
長年下働きを続けているうちに、同じような境遇の娘と知り合いました。
気立てや器量の良い娘ではありませんでしたが、男も同じようなものです。
互いに一人ぼっちで寂しかったので、一緒に暮らすことにしました。
二人はささいなことでよく喧嘩をしましたが、ずっと一緒に暮らしました。
やがて子どもが生まれました。
子どもを養うのは大変なことです。
二人は懸命に働き、時々喧嘩をしながらも、子どもを育てました。
子どもは思春期の頃、少し荒れましたが、成人して家庭を持ちました。
子ども夫婦は近くに住み、毎日のように男夫婦のもとに顔を見せてくれます。
男夫婦は相変わらず、時々喧嘩をしながらも、一緒に暮らしました。
男は初めに触った「わらしべ1本」を大事にして、人生という旅を続けました。
それが、男の生き方でしたし、誇りでした。
誰かにほめてもらことも、理解してもらうことも、男は考えませんでした。
観音様に見ていてもらっていると思うだけで、満足でした。
男は、死ぬ間際に、連れ添った妻に言いました。
「お前と連れ添うことができて、俺は幸せだったよ」
「俺の側には、いつもお前と観音様がいてくれた。本当に有り難いことだ」
「俺は、街道一の長者人生を歩んだのかもしれんな」
男が死んだ後、妻は子ども夫婦に言いました。
「死ぬ間際に、幸せだったとか、有り難いことだとか、夫が言ってくれたことは嬉しかったが、一生でたった1度だけだった」
「そう思っているなら、毎日とは言わないが、月に1度くらいは、幸せだとか、有り難いだとか、言ってくれたら、あんなに喧嘩せずに済んだだろうに」
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