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「管理職は愉快です」復刻版 第8回


第2章 春~基本の型を身につける

1節 継続する②

《心得15》継続は人をつなぐ

継続は力なり

 学生時代に「継続は力なり」と教わりました。

 しかし、「継続」は別世界の人の言葉と思っていました。
 数学の問題を2日でも3日でも解けるまで考え続ける集中力はありましたが、毎日コツコツと勉強したり、覚えたりすることは苦手でした。
 そんな私が「継続する」ことを身につけたのは生徒たちのお陰です。


ウソつき自己紹介

 そのことについては、ウソつき自己紹介を通してお話ししましょう。


 自己紹介です。
 次の①から⑦の中に一つだけウソがありますが、ウソはどれでしょうか。

① 教員のとき、生徒向けに、「独法師」という題のクラス通信を1年間1日も欠かさずに出し続けたことがある

② 教頭のとき、生徒向けに、全10回の「ぷらいど創造講座」を早朝に開催し、毎回「ぷらいど創造通信」を発行した

③ 人事担当の主幹のとき、管理主事向けに、読み終えた本を紹介する「じんたん通信」を1年間出し続けた

④ 高校教育指導課長のとき、SNSを活用して課内サイトを作り、指導主事に通信を出し続けた

⑤ 校長のとき、生徒たちに、7年間で総数2万通を超えるハガキ表彰状や励ましのハガキを贈り続けた

⑥ 教育長になってから、表敬訪問に来た子供たち向けに、彼らのためだけのオリジナル名刺を作り、差し上げている

⑦ 現在、教育局内で課長級以上の職員向けに「教育局未来サイト」を立ち上げ、毎週1回ほど投稿している


クラス通信

 クラス通信を初めて1年間発行したのは、教員5年目のことです。

 その前の2年間は挫折の連続でしたので、「1カ月間だけ頑張ろう」と始めました。

 工夫もしました。
 「回るノート」4冊を生徒たちに渡し、翌朝のホームルームで集めます。
 ノートに書かれた文章の中から1、2点を選んでコメントとともに通信に載せました。
 3度目の挑戦を知る生徒たちの応援があったので、1年間毎日発行することができました。

 「3日、3月、3年」の言葉通り、「まず3日」「次は1月」「次は3月」と、小さな目標を一段ずつクリアしていく体験をしたことで、「継続する」自信がつきました。
 生徒たちにはとても感謝しています。

 意図していたわけではなかったのですが、「回るノート」とクラス通信には、人をつなぐ機能がありました。
 生徒が書いたものをただ載せるだけの通信が、生徒同士を「知り合い」にしました。
 互いを知り、認め合う風土ができあがっていったようです。


継続は人をつなぐ

 通信の題を「独法師」としたのは、教員7年目のことです。

 「ひとりぼっち」という「つなぐ」と対極の言葉を選びました。
 人は生まれるときも死ぬときも独りです。 だからこそ、つながることを大切にしたいと思ったからです。
 クラス通信の継続は、生徒をつなぎました。

 自転車そろえの継続も、思いをつなぐことだったのではないかと思うようになりました。
 ですから、「継続は力なり」よりも「継続は人をつなぐ」という表現のほうが、私にはしっくりときます。


いろいろな継続

 さて、クラス通信の後、いろいろな継続に取り組んできました。

 教頭のときの「ぷらいど創造講座」や「ぷらいど創造通信」は3カ月間続けましたし、主幹のときには「じんたん通信」を1年間続けました。

 課長のときも課内サイトで発信し続けましたし、校長のときはほめ励ますハガキを贈り続けました。

 教育長になってからも、オリジナル名刺を贈り続けていますし、「教育局未来サイト」に時々投稿しています。

 他にも、年間100冊読破を目標にした読書を始めて19年目、メールマガジン「れんこん」の発行が14年目(これだけは、2024年現在も継続していて、23年目になりました)、ブログが10年目と、継続することが習慣あるいは趣味になっています。


読書

 読書は、ただ読むだけの流し読みです。
 感想や参考になる点を書き出したときもありましたが、長続きしませんでした。
 覚えていようがいまいが気にしないで読むことにしました。
 気が向けば本に赤・青・緑の線を引いていますが、気が向いたときだけです。

 ただし、読んだ本の題名、著者、出版社、価格、読み終えた日だけは表計算ソフトに記録しています。
 後日、「あれはどの本に書いてあったか」と探すときに便利です。

メルマガやブログ

 メルマガは800字程度のコラムで、最初はハガキで送りました。
 ブログは教え子にほめ励ますハガキを紹介したほうがいいと勧められ、始めました。

想定外との出会い

 これらの継続により、さまざまな人とつながることになりました。

 志を理解し合える人との出会いによって未知の分野に引き込まれたり、思ってもみない仕事を任されたりと、不思議で魅力的な体験をたくさんさせてもらいました。
 そうした点では管理職はさまざまな人とつながる可能性が高く、想定外の楽しさをたくさん味わうことができます。

 ついでに言うと、管理職は想定外の苦しさを味わう機会にも恵まれています。
 このように想定外が多いということは、とても愉快なことです。

ウソつき自己紹介のウソ

 ところで、ウソつき自己紹介のウソですが、⑦に少しだけウソが混じっています。

 「毎週1回ほど投稿」ではなく、「かなり不定期に投稿」です。
 手を広げすぎて「教育局未来サイト」への投稿がおろそかになっています。
 現在、反省しようかどうかと悩んでいるところです。

《心得16》目的を考えないほうが継続できる

継続と目的は相性が悪い

 多くの継続に挑戦するうちに「継続は力なり」を実感するようになりました。

 継続することで、自転車そろえや文章を書くことにいくらか熟達しましたし、我慢強くなったような気がします。
 継続が説得力を生み、信頼されるようになった気もします。
 高い志を持って活動している人と出会う機会は確実に増えました。

 このように、継続は結果として力となります

 しかし、力を得ることを目的として継続に努めることはお勧めしません
 というのは、継続と目的は相性が悪いと考えているからです。


 例えば、生徒に自分の自転車をそろえる習慣をつけるという目的で、自転車そろえを継続しているとします。
 目的が達成されれば、継続する必要はなくなります

 また、目的を達成するにはできるだけ効率的なほうがよく、継続を短期間で終わらせるほうが合理的です。

 さらに、目的を意識していると、気分が落ち込んだときなどに「こんなことをやっていて自転車をそろえる習慣づくりに効果があるのだろうか」と疑心暗鬼になります。
 労力と比べて効果が少ないと判断して継続をやめてしまうかもしれません。

 このように、継続と目的は基本的に相容れないものなのです。


目的を持って行動することと、目的を持たずに行動すること

 目的を持って行動することは大切なことです。
 一方で、目的を持たずに行動することも大切なことです。

 目的があるから、一緒に行動してくれます。
 目的がないから、気楽に雑談につき合ってくれ、結果として有益な情報を得られることがあります。

 現在、目的を定めて改善を継続する姿勢が求められています。
 同時に、目的を決めずにさり気なくやり続ける姿勢や、目的が見えなくても挑戦する気概も、求められているように思います

 目的とは現在の自分に見えるものであり、現在の自分に見えない先へ行くには有効ではありません。
 見えない先に行くには、目的に囚われず、自分の感性を信じて行動する勇気が必要です。

 このように目的は持ったほうがよかったり、持たないほうがよかったりしますが、継続しているときには、目的を持たない、あるいは考えないほうがよいと私は思っています。


 単なる習慣として継続していれば、効果があるかどうかと悩むことはありません。
 悩むことがなければ、淡々と継続することができます。


継続は生命体の本質

 「継続する」は管理職が身につけるべき基本の姿勢ですが、生命体の本質でもあります。
 種の保存や個の保存は生命体の本能ですから、継続は本能に関わります。

 つまり、何をどう継続するかが生命をどれだけ輝かせるかとつながっているのです。

 そうしたことに思いをはせつつ、「継続する」という基本の姿勢を磨いていくと、教育の本質にも触れることができるようになります

 そもそもの始まりの前に目的はありません。
 始まった後に目的は生まれるのです。

 生命体は生命の存在を大前提として、生命の継続を目的とします。
 球児たちは野球と出会った後に甲子園を目指すようになるのです。

 この本質を見つめざるを得ない管理職はとても愉快です。

(初出 2015年4月28日「内外教育」)

解説

《心得15》継続は人をつなぐ

「継続は力なり」より「継続は人をつなぐ」
 学生時代に「継続」が苦手だった私は、教師になってから「継続」ができるようになりました。
 できるようになったのは、目の前にいる生徒たちがいたからです。
 彼らのためには、私ができるささやかなことを続けるしかなかったからです。

 「継続」できるようになって、「継続は力なり」を実感しました。

 けれど、「継続は力なり」は、あまり好きになれませんでした
 それより、「継続は人をつなぐ」ほうが、大事なように思えました

 継続することで、力をつけることができます。
 継続そのものが、力を発揮して、多くの人に影響を与えることもあります。
 ですから、「継続は力なり」は正しい言説だと思います。

 「継続は力なり」は正しい言説ですが、私は好きになれませんでした。

 力をつけて、何をするのでしょうか。
 多くの人に影響を与えて、どうしたいのでしょうか。

 力は、良い方向へも悪い方向へも有効です。
 与えた影響に固執すれば、他者の自由を奪うことになりかねません。

 私は、力というものを信用していません。
 善意が力を振るい、多くの人から言論の自由を奪い、戦争へと駆り立てた歴史を忘れることができません。
 力に対しては、強い不信感があるのです。

 そういう私ですので、「継続は力なり」よりも「継続は人をつなぐ」ほうに惹かれてしまうのかもしれません。

「継続は人をつなぐ」は結果であって、目的ではない
 「継続は人をつなぐ」ということを実感しましたが、「継続は人をつなぐ」は結果であって、目的ではありません。

 継続していたら、さまざまな人との関わりましたし、さまざまなことが起こりました。
 それらを意図して継続したわけではありませんが、結果として多くの人と関わり、つながることになりました。
 結果として、愉快な関わりを持つことができました。

 ということで、「継続」と「目的」の関係について少し考えました。

《心得16》目的を考えないほうが継続できる

 上述のように、「継続と目的とは相性が悪い」ということが、私の結論です。

 物事を始めるときは、目的や意味が必要です。
 でも、物事を継続するときは、目的や意味を考えない方が良いのです。

 そのため、「なぜ継続しているのか」と問われたら、「習慣だから」とか「決めたことだから」と答えることにしているのです。

 実は、「目的」というものも、私はあまり好きではありません。
 だって、「目的」は今の自分に理解できるもので、自分が成長した未来には違った「目的」が見えてくるかもしれません。
 ですから、「目的」を持っても、いつでも柔軟に変更するつもりでいます。

継続は生命体の本質
 「目的」や「意味」は、人間が作り出したものです。
 人間がいなければ、「目的」や「意味」それ自体が存在しません。

 ですが、「継続」は人間が誕生する前から、さまざまな生命体が行ってきました。
 ですから、「継続は生命体の本質」であると、私は考えています。

 「何をどう継続するか」「生命をどれだけ輝かせるか」が教育の本質だ、と私は考えています。


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