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現在の「カチカチ山」と未来の「カチカチ山」を創作してみました/民話「カチカチ山」

れんこんnote 051


現在の民話「カチカチ山」

 タヌキを柴刈りに誘ったウサギは、その帰り道、SNSに「タヌキが他人の山から薪を盗んだ」と、芝を背負ったタヌキの写真を載せます。
 次の日、「誰が載せたのだろう」とタヌキが聞くと、ウサギは「カチカチ山のカチカチ鳥が載せたに違いない」と答えます。
 タヌキはウサギを疑いましたが、それを口にできませんでした。

 後日、ウサギの仲間たちは面白がって、匿名でタヌキへの誹謗中傷をどんどん載せていきました。
 ウサギはタヌキと関わりたがらなくなり、ウサギの仲間たちもタヌキを無視するようになりました。

 タヌキは、ウサギたちの誹謗中傷と無視とでどんどん追い詰められ、とうとう自殺してしまいました。
 遺書には、ウサギにいじめられたと書いてありました。

 遺書を見たタヌキの両親は、ウサギたちとその親を訴えました。
 第三者委員会はウサギたちの行為をいじめと認定しましたが、ウサギたちは自分たちの行為を重大なことだと認識することはありませんでした。

 その後、世論が大きくなり、匿名での誹謗中傷を取り締まることになりました。
 被害者側が誹謗中傷に当たると申し出ると、誹謗中傷と見られる記事を載せた人物が特定できるように法律が改正されました。
 言論の自由はあるけれど、それに伴う責任も持たなければならないという考え方でした。

 匿名の記事を載せた人物が特定できるようになると、政治家や富を独占する人たちが人知れず悪用するようになりました。
 すべての人たちの思想や行動を調べつくし、取り締まる監視社会になっていきました。

 人々は監視社会を嫌いましたが、それを口にすると、危険分子だと検挙されるので、口に出すことができす、監視社会を変えることができずにいます。

暗い希望のない「カチカチ山」から、明るい希望に満ちた「カチカチ山」へ

 現在の「カチカチ山」は暗い希望のない話になってしまいました。
 これでは、面白くありません。
 明るい希望に満ちた「カチカチ山」を創作できないものでしょうか。

 極めて難しい挑戦ですが、やってみることにしましょう。

未来の民話「カチカチ山」

 タヌキを柴刈りに誘ったウサギは、その帰り道、SNSに「タヌキが他人の山から薪を盗んだ」と芝を背負ったヌキの写真を載せます。
 次の日、「誰が載せたのだろう」とタヌキが聞くと、ウサギは「カチカチ山のカチカチ鳥が載せたに違いない」と答えます。
 タヌキはウサギを疑いましたが、それを口にできませんでした。

 後日、ウサギの仲間たちは面白がって匿名でタヌキへの誹謗中傷をどんどん載せていきました。
 ウサギはタヌキと関わりたがらなくなり、ウサギの仲間たちもタヌキを無視するようになりました。

 その事実に、タヌキの仲間たちが気がつきました。
 仲間たちはタヌキに「一人じゃないよ。みんなで解決しよう」と声をかけ、大人たちを巻き込んで解決を目指しました。

 ウサギは親から無視されていました。
 ウサギの親も子どもの頃、親から虐待を受けていましたし、生活が苦しくて子供の面倒を見てあげられていませんでした。

 ウサギの仲間たちも心に傷を抱えており、誰もがそれを他人に言いたがりませんでした。

 目に見える問題は氷山の一角だったのです。

 タヌキとその仲間たちや親たちは、氷山全体の問題をどうしたものかと相談しました。
 ウサギとその仲間たちやその親たちにも、氷山全体の問題を相談しました。

結論は皆、わかっていました。

 助け合い、支え合う社会をつくることです。
 でも、どうやって作ればよいかがわからなかったのです。

 タヌキとその仲間たちは、ウサギとその仲間たちと一緒に、「カチカチ山周辺を助け合い、支え合う社会にする」ことを目的にして、様々なプロジェクトを行うことにしました。

 柴刈り体験プロジェクト、お年寄りと遊ぼうプロジェクト、学童保育体験プロジェクト、「この指とまれ」遊び創造プロジェクト、先生ごっご教え合いプロジェクトなど、さまざまなプロジェクトが考案され、動いています。

 各プロジェクトは、顔を見て意見交換をしながら進めることのできる人数にしています。
 複数のプロジェクトに子どもも大人も参加しています。
 その上で、各プロジェクトの活動報告会をカチカチ山周辺に住む者たち全員で行い、意見交換をしています。


 世界は、WEBやNSNなどで見知らぬ人たちとつながるようになりました。
 カチカチ山周辺では、世界の人々との交流も大事にしながら、地域の人たちと顔の見える助け合い、支え合いをすることも大事にするようにしています。

 いじめは、今でもあります。
 でも、誰もが誰かとつながり、助け合えるようになりましたので、自殺に追い込まれる者はいなくなりました。


 いじめをゼロにしようとすると監視社会になっていくことを知っていますので、いじめをゼロにしようとはしません。

 いじめを少しでも減らす努力をしながら、いじめがあったら自殺に追い込まれることのないよう、誰かとつながり、助け合い、支え合うことにしています。

 さらに、いじめる者を悪者扱いして排除するのではなく、いじめる者ともつながり、助け合い、支え合うことを目指しています。

 「罪を憎んで人を憎まず」をモットーにして、「罪を罪と思わない幼稚さを悲しみ、人を排除する愚かさを噛みしめよう」とカチカチ山地域の住民たちは、これまで努力を続けてきましたし、これからも努力を続けていこうと声をかけ合っています。

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