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何ともならなかったら、ネガティブ・ケイパビリティを発揮します

れんこんnote 034


 始まる前は、「何とかなる」と気を楽にします。
 始まったら、「何とかする」とやり抜きます。
 そして、最終的に何ともならなかったら、ネガティブ・ケイパビリティを発揮して事態を受け止めるしかないと思っています。

 こうした生き方を知りましたが、どこまで実行できているか、実行できるかについては、わかりません。
 今のところ、こうした生き方ができたらいいなと思っている段階にいます。

 さて、今回は、最終的に何ともならなかったときのことをお話ししたいと思います。

災難に遭う時節には災難に遭うがよく候

 この言葉は、江戸時代の禅僧、良寛和尚の言葉です。とても強烈で、心に重く響きます。
 極めて困難な事態にぶち当たったとき、思い出す言葉です。

 災難に遭う時節には災難に遭うがよく候、
 死ぬ時節には死ぬがよく候、
 是はこれ災難をのがるる妙法にて候

 この言葉は、1828年12月、良寛和尚が71歳の時、新潟県三条市付近で発生した三条地震の際、知人から良寛和尚にお見舞いの手紙があり、その手紙への返信の末尾に添えた言葉だそうです。その知人は、三条地震で子どもを亡くしていました。

 一見、冷たい言葉のように思えますが、この言葉は、災難から逃れるための真実、災難に苦悩しない真実、厭うことで苦悩が生じるという、苦悩の真実を示しているのだそうです。

 災難という事実と災難から生じた苦悩とを分け、まずは、事実を事実として受け止めて対処することが災難を逃れる方法だということを表現した言葉と、私は理解しています。

 生じてしまった苦悩や悲しみに対して、事実に対処しているときにはじっとしていてもらい、対処していないときにじっくりと相手にします。
 苦悩や悲しみを無視したり、嫌わないことが大事です。
 苦悩や悲しみを大事に扱っているから、事実に対処しているときに、苦悩や悲しみが暴れ出さないでいてくれるのです。

 阪神・淡路大震災、新潟県中越地震、東日本大震災、熊本地震、能登半島地震と大震災が続いています。
 大震災で家族や家を失ったら、筆舌尽くしがたい苦悩に襲われ、途方に暮れるでしょう。
 被災した方々の苦悩は想像を絶します。
 まさしく、何ともならない事態の極致でしょう。

 こうした事態を、ネガティブ・ケイパビリティを発揮して受け止めることができるでしょうか。
 私にできるかどうかは、わかりません。
 でも、こうした事態に置かれたら、良寛和尚の言葉を噛みしめ、ネガティブ・ケイパビリティを発揮して事態を受け止めるんだと、自分に言い聞かせようと思います。
 実際にその事態に遭遇したら、そうできる自信はまったくありません。
 でも、心構えだけはしておこうと思っています。

「日薬」と「目薬」

 帚木蓬生著「ネガティブ・ケイパビリティ」に、「日薬」と「目薬」という話が載っていました。

 何事もすぐには解決しません。数週間、数か月、数年と時間がかかることがあります。何とかしようともがいているうちに、何とかなります。これが「日薬」です。
 時間をかけ、もがき続けることで解決していく、それが「日薬」なのです。

 悲しみは時間が過ぎても癒えないかもしれませんが、病気や怪我、課題の多くは時間をかけて取り組んでいくと治ったり、解決したりすることが多いようです。
 「日薬」という「時間をかけ、解決を急がない姿勢」が大事なのですね。
 私たちは「タイパ」を気にして、早急に解決したがりますが、そうではなく、ゆったりと構えて取り組む姿勢が大事なのだと改めて思いました。

 「目薬」とは、見守る眼のことです。
 見守ってくれる人がいたら、苦しみに耐えられそうです。
 励ましてくれる人がいたら、頑張って前に進めそうです。
 理解してくれる人がいたら、自分に自信を持って挑戦できそうです。

 「日薬」と「目薬」があれば、ネガティブ・ケイパビリティを発揮して事態を受け止めることができそうな気がしてきました。

ネガティブ・ケイパビリティを発揮できるようになる

 ネガティブ・ケイパビリティを発揮できるようになること、高めることは、死ぬまで続けることになりそうです。
 「解決する」と「解決しない」の間で宙ぶらりんの状態にいることが多そうですから、宙ぶらりんの状態に耐える力が必要です。

 でも、私はいたって楽観的です。
 なぜかって、これまで行き当たりばったりでいい加減に生きてきましたから、宙ぶらりんには慣れているのです。
 「解決する」と「解決しない」のどっちかに決めようなんて、あまり思わずに生きてきましたから、案外、幸運にもネガティブ・ケイパビリティを持ち合わせて生まれてきたのかもしれません。

 わからないことが多くて、わからないまま人生を終えるんだろうなと思いつつ、好奇心を発揮してわかる努力は続けようと思います。
 ネガティブ・ケイパビリティという、わかったようなわからないような力を発揮して、周りの人たちの心を温めることのできる老人になりたいと思っています。

追伸

 課題発見力や課題解決力よりも、ネガティブ・ケイパビリティという能力を育てることが大事なのではないかと思うこの頃です。
 ネガティブ・ケイパビリティが育つ環境を学校に整えることが大事になってきている気がします。
 多様性を大事にするって、ネガティブ・ケイパビリティを育てることなんじゃないかって思ったりもします。

 こんなことを考えていくと、学校の役目がどんどん広く深くなり、教職員の残業が増えることになってしまうでしょうか。
 そんな危惧をしてしまいますが、それでも、学校の役目で最も大事なものは「日薬」と「目薬」だと思うのです。

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