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3日3月3年、10年20年30年と続けたら、どうなるでしょうか?

れんこんnote 022


 れんこんnoteを始めてから、3か月が経ちました。
 3か月という期間は、過ぎてみると短く感じますが、七転八倒した長い期間でした。
 我ながら、よく頑張ってきたなあと感心しています。

 いつまで続けられるかはわかりませんが、もし3年、10年、20年、30年と続けたらどうなるかを考えたくなりました。
 私自身の経験を踏まえて、考えてみることにします。

3日3月3年

 「3日3月3年」という言葉を耳にすることがあります。

「3日3月3年」とは、

 3日我慢すれば、3月耐えられる
 3月耐えられれば、3年頑張れる

という意味で、修行等の心構えから来ていると聞きました。

 れんこんnote執筆&投稿を3月耐えた私は、3年頑張ることができるらしいのですが、とても3年間を頑張り切る自信はありません。
 1年間くらいならば、何とか頑張ることができるかもしれませんが、3年間もネタが続くとは思えません。きっと挫折しているでしょう。

 最近は、「3日3月3年」というと、転職を考える時期を言うそうです。
 変化の激しい時代に、「石の上にも3年」と頑張っていたら、時代に取り残されてしまうのかもしれません。
 おそらく私も3年以内に転職(?)しているでしょう。

 もはや「石の上にも3年」は、死語になっている気がします。

3年を超えて頑張ったこと

 ところで、私が生きてきた時代は、主に昭和・平成の時代ですから、「石の上にも3年」という言葉がまだ生きていました。
 3年でその道の入り口に立つことができ、10年で何とか一人前と見てもらえると言われていました。
 そんな時代を生きた私ですから、3年を超えて頑張ったことがいくつかあります。

 1つは、校長の7年間、生徒たちにほめ励ます葉書を贈ったことです。
 7年間で2万通を超える葉書をポストに投函しましたが、校長を退任し、葉書の文面を考える必要がなくなったときには、正直、ホッとしました。
 かなりの本を漁りましたから、無理をしていました。

 1つは、教頭・校長の9年弱、毎朝、校舎内のごみ拾いや教卓拭き、自転車の整頓、学校前の道路の吸い殻拾いなどを行ったことです。
 これらの習慣をやめたとき、気も体も楽になりました。
 年齢を重ねるとともに、指が痛むようになり、続けるには体がきつくなっていました。

 どれも実行しているときは気が張っていましたが、やめたら気が抜けました。
 やめてしまったら、「継続は力なり」の威力はなくなり、単なる昔話になってしまいました。

10年20年30年

 さて、10年以上続けると、どうなるでしょうか?

 10年 偉大なり
 20年 畏るべし
 30年 歴史なる

という言葉があります。中国のことわざと言われています。

 この言葉は、「凡事徹底」とともに、鍵山秀三郎さん(株式会社イエローハッの創業者、NPO法人「日本を美しくする会」の相談役)の信念であったと聞いています。
 凡人である自分ができることと言えば、「凡事徹底」しかないと、鍵山さんの考えや行動に強い共感を覚えたものです。

10年20年30年と続けたら…

 私が10年以上続けていることと言えば、私信「れんこん」の発行があります。
 2002年4月に始めましたので、もう22年になります。発行号数も1770号を超えました。

 20年以上続けていますが、「偉大なり」とか「畏るべし」とか言われても、ピンときません。習慣として継続してきただけです。
 「継続は力なり」と言われますので、何らかの力を身につけたのかもしれませんが、私自身はよくわかりません。

 私が30年以上努力して続けていることが、「妻を好きでいること」です。
 こちらは、48年になります。
 「歴史なる」と言われても、確かに夫婦の歴史ではありますが、「歴史なる」というほど偉くはありません。
 私にとっては普通のことで、死ぬまで努力を続けていこうと思っています。というか、最近は努力の必要はなくなり、まったくの自然になりました。

 20年30年と続けてきましたが、その成果はよくわかりません。
 10年20年30年と続けたら、それが習慣となり、続けている日常があるだけ……そんな感じです。

「継続は力なり」を考えたところ…

 ここで、「継続は力なり」について、少し考えてみます。

 私は、20代前半までは、一つのことを継続することができませんでした。「継続できない時代」でした。

 20代後半から30代にかけて、継続することができるようになりました。クラス通信の発行や教材づくりがきっかけです。「継続できる時代」の始まりです。

 継続することができるようになって、自分が成長したことは間違いありません。
 ですから、「継続は力なり」は身に染みています。

 しかし、最近は「力なり」のところに違和感を覚えるようになってきました。
 「力」を用いて、何かを成し遂げようとしなくてもいいのではないか、何かと戦おうとしなくてもいいのではないか、と思うときがあります。ただの習慣で良いではないか、と思ってしまいます。
 「継続できない時代」「継続できる時代」の次の時代があるのかもしれない、と思うようになりました。

 でも、そう思うのは、「生きる力」が減少しているからかもしれません。
 エントロピー増大に抗う生命体は、死ぬまで生きようと戦い続けることが使命です。
 10年20年30年と続けたら、続けている日常があるだけ……なんて言っている場合ではなかったのです。
 「生きる力」を復活させなければなりません。

 ということで、もう一度「継続は力なり」を武器にして、輝いて生きていくことにします。
 れんこんnoteも、まずは、あと3月頑張ることにします。

追伸

 急に勝海舟の言葉を思い出しました。私の好きな言葉です。

 行蔵(こうぞう)は我に属す。
 毀誉(きよ)は他人の主張。
 我に与(あずか)らず我に関せずと存知候(ぞんじそうろう)。

 行いは自分の責任ですが、他人が行う評価を気にしても仕方ありません。
 そのときそのときが、充実していたり、幸せだったりすれば、それで十分です。

 10年20年30年という年月に意味はなく、今この瞬間を輝かせようと努めていたら、いつの間にか長い時間が過ぎていた、ということでいいんだと思うようになりました。

 れんこんnoteがいつまで続くか、いつ挫折するかは、わかりません。
 唐突に終わるのか、フェイドアウトして終わるのかも、わかりません。
 わかっていることは、いつか必ず終わることだけです。

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